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日華事変
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/nikkajihen1.html
 日華事変は北京の南に流れる蘆溝河に架かる蘆溝橋で日本とシナの軍隊が衝突し、やがてシナ全土に
戦線が拡大していくのですが、最初に闇討ちを仕掛けてきたのはシナのほうです。蘆溝橋の近くで日本軍が
夜間演習をしていると暗闇から銃撃され、さては国民党軍が撃ってきたのだと判断し、やがて戦闘が始まってしまった。
 ところが撃ってきたのは国民党ではなく、もちろん日本軍でもなく、じつはシナ共産党のスパイであったことが
今では定説となっている。共産党員の兵士向けのパンフレットに『蘆溝橋事変はわが優秀なる劉少奇同士の指示
によって行われたものである』と自慢した記述があった。
 間違いなく蘆溝橋事件は毛沢東ひきいる共産党軍の謀略だった。当時の共産党軍は国民党軍との内線に
連敗につぐ連敗で、次々と活動拠点が奪われていった。そこでこのじり貧状態を打開するために国民党軍と日
本軍を戦わせて漁夫の利を得ようとしたわけです。
 狙いは的中したということになりますが、まもなく一週間ほどで国民党軍も日本軍もどうも様子が変なことに
気付いて銃撃戦はいったん沈静化し、日本軍は事件不拡大方針をとり現地協定を成立させる。
 しかしそれから3週間後に北京東方の通州という町でシナ保安隊によって、残忍きわまりない手口で、
日本人居留民約260人が虐殺される事件が起きた。その『通州虐殺事件』は戦後の教科書はもちろん歴史年表
にもマスコミ報道にも出てこない。まるでタブーのようになっているが、本当にあったことです。これで当時の
日本の世論は激怒します。