マジカル・ミステリー・ツアーBEATLES
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いや、著名な芸術家や学者や芸能人にも多い発達障害。
ジョンの発達障害という説はサイトにもあったが、言動や行動からも有り得る話だろう。 ビートルズが日本で知られたばかりの頃のMLでは
4人のうち誰が好きか、というくだらない特集コーナーがあった MLって購買層がそれだったからね
クイーンやベイシティローラーズとかファン同士で貶しあったり
男の子は当時ロックを扱う雑誌が少なかったのでしょうがなくMLを読んでたが
Player(無料のミニコミ時代)にシフトし始めて
ロッキングfが登場して男の子はMLを読まなくなったな
その後リットーミュージックのサンレコやらキーボードマガジンなど
そう言えばサンレコでアビーロードのトラックシートとEQのメモが掲載されてた
今はWAVESのプラグインがあるから今の若い人達にはあの有り難さが分からないがだろうな MLは子供向けの音楽雑誌だったから内容が幼稚そのもの
執筆陣もデタラメを平気で書くいい加減な連中ばかりだった ビートルズ来日を実現させた最大の功労者である星加ルミ子はまだ存命なんだね
当時、単身で訪英していろいろな歌手たちを取材したことは凄いと思う
もう78歳というから半世紀上前の出来事だった 星加ルミ子はクリフ・リチャードとも会っているんだよ。 >>710
60年代には情報も今みたいに入る時代でもないし
「ミュージック・ライフ」「ティーン・ビート」あたりは
洋楽なんてまだ少数派のためによく頑張ってたと思うよ 毎月、MLの発売日が楽しみだった高校時代
各レコード会社の広告を見て欲しいレコードを探した青春時代
今は懐かしい思い出だ >>712
クリフ・リチャードのインタビューと入れ替わりにシャドウズが入ってきて
星加ルミ子が
「意識してクリフを避けてるの?」
と突っ込んでいた
かなりのコミュ能力、取材力を持っていたと思う はるばる遠い東洋から来てくれたので会ってくれたビートルズも良心的だ。 あの頃のビートルズは多忙なのにわざわざ時間を割いて会ってくれた
当時のMLの表紙は和服姿の星加ルミ子を真ん中に4人が贈られた兜のミニチュアをかぶってる姿だったな 当時のMLの価格は200円ぐらいだったっけ?
遠い昔の頃なんで記憶がない 当時のシングル盤が330円、コンパクト盤がステレオで500円
LPステレオが1800円、モノラルが1500円
音楽雑誌なんてそんなもんだろ >>719
少ない小遣いで毎月買えていたから、それぐらいかな
サンデーやマガジンが60円ぐらいだったと思う
電車の初乗りは20円だったか 大卒初任給
1965 2.5万円
2012 20.02万円 サザエさんで、カツオが修学旅行先の旅館の番頭に気に入られて養子騒動に発展する話のオリジナル版だと、
波平とマスオが寄った飲み屋の値札に焼き鳥5円と書かれてた気がする。 夏はまだエアコン(当時はクーラー)が一般家庭に普及していなかった
暑い中、扇風機で我慢してた時代でもあった
デパートなどに行くと涼しくて表に出るのがいやになったほど 笑点放送開始の記念すべき年
あのときは談志が初代の司会だった 毒舌で知られた政治評論家などはビートルズをボロクソに批判していたっけ イギリスはエキセントリックな国だ
まだ20代のオリビアニュートンジョンに「顔のシワ取り手術をしたい?」とか
ジェリー・リー・ルイスの奥さんが12歳だったことを喜んでスクープする
芸能記者がたくさんいたな。 昔から英国は紳士の国というイメージだったが
その国からあのような革新的なバンドが出現したことに世界は驚いた アジア地域を植民地化した大英帝国
しかし、日本だけは奴隷にできなかった 植民地と奴隷を混同するようなら
歴史については書き込まない方がいい 日本では腰に差した刀が触れ合わないように道の左側を歩く風習があった
それで、人や車、何でも左側通行ということにした
第二次大戦後、人の後ろから車が来ないように、人は右、車は左とした
英国がどうだとか、そんなのは知らない 東芝オデオンから「リヴァプールの若者たち」というオムニバスLPが発売されてた
ビートルズ、アニマルズ、デーブ5などの英国バンド寄せ集めのレコードだ 明治維新の富国強兵、脱亜入欧の政策で
日本が最も手本にしたのが、当時の最強国イギリス
芸術でのフランス、医学でのドイツなどを除いて
ほとんどの分野でイギリスを手本にした(無邪気なまでに真似たものも多い)
結果、今の先進国ではイギリスと日本でしか見られないものもある
道路の左側通行、郵便ポストが赤色であることなど ドイツ人医師ケンペルは1690〜1692年に日本に滞在して、日本での見聞をまとめた「日本誌」を執筆した
その中で、長崎街道、瀬戸内航路、東海道を巡ったケンペルは「日本の道路は清潔に保たれていて、行先を示す標識が設置され、左側通行のルールが徹底されていた」と記している
もっとも昔は世界中で左側通行は大勢をしめていた
右利きの者が刀剣類を携行して歩けば自然と左側通行になった
ところが、征服先の交通インフラ開発を積極的に行ったナポレオンがフランス革命の真っ最中、1792年に道路の右側通行の法令を公布したという記録が残っている
銃による戦争の場合、刀剣と違って左側に体を回したほうがやりやすく、素早く攻撃に移るために軍隊全体を右から左方向に進めることができるように右側通行にしたという見解がある
その他、左側通行が右側通行に変わった理由には諸説あるが、ヨーロッパでナポレオンが広めたことは間違いない というか、フランス発祥の右側通行を、その後のナポレオンがヨーロッパ大陸征服とともに広めたんだな
大陸とは一線を画すイギリスや、遠く離れてもともと左側通行だった日本には関係のないこと 英国も日本も同じ島国
皇室有り、左側通行、共通点がある ポールはドラックドライバーを初めて数ヶ月後に
ジョンからプロにならないか?と誘われた プレスリーは車の運転ならうまいんだぞ
なにしろ歌手になる前はトラックの運ちゃんだったんだから プレスリーは徴兵されてドイツ駐留中に上官の娘に目をつけ、娘が婚姻年齢に達するのを待って結婚したロリコンだった
リンゴは徴兵を逃れるため、バンド活動みたいなものだけではなく機械工の見習で工場で働いていた
ジョンやポールは徴兵の年齢に達する直前1960年に徴兵制が廃止されて助かった ジェリー・リー・ルイスは12歳の少女と結婚した。
英国のゴシップ雑誌がそれをすっぱ抜いてエルビス不在チャンスを掴めたのに
後年はライブハウスのドサ回り。しかしCBS60minutesにおいて幸せだったと告白していた。
男って皆少女に憧れるものだろ?
結局ロリコンって言ってるのは若さには勝てないオバはんだけじゃん。
まだ6歳の芦田愛菜ちゃんが某女性雑誌で「女性が嫌う女性タレント」にダントツで一位だった。 ジョンとエルヴィス唯一の共通点
二人ともマザコンだった ジョンは父親に捨てられたことを生涯恨んでいた
アメリカを征服し、頂点に立ったときに父親が名乗り出たことがあったが
ジョンはまったく無視した
このときの模様は当時のMLに詳しく載っている フレッド・レノンのレコードがあるな
語りの部分が多いが、歌はさすがに下手ではない
♪That's my life, that's my life‥ 中学の同級生に、フレッドのように船乗りになったというのが居た
外国航路の貨物船に乗り組んで、港々に女ありとか言って無頼の生活を送っているようだった 全世界にテレビ中継されたときの「愛こそはすべて」は全米第1位になった。 世界初の宇宙中継でジョンとポールどちらかの曲をとるか
争った逸話は有名 当時の宇宙中継は映像も最悪で低レベルの放送だったな イエローサブマリンはビートルズ唯一の駄作アルバムであった 幼稚なアニメ、ダサイ曲だらけのアルバム
それがイエローサブマリン イエローサブマリンは今でも世界の多くのパンピーが知っている消え去らない一曲だよ リンゴってヘンな曲ばかり歌わされてた
メンバーの中では道化役担当だったからか ビートルズ時代のリンゴ担当のヴォーカルでマシなものは1曲もない イエローサブマリンって
It's all too much って素敵な曲が入ってたよね
あれどうやって録ったか人知ってるいる?音屋の人いる?
ドラムはOHが強めなような気もするし、全体的にVINSONを通してから卓に入れたのかな?
それともトラック毎にスタジオ内のギターアンプ通しで再録音?
しかしツールスが無い時代の音はミステリーに満ちているな EMIは録音技術に関してはDECCAに遅れをとっていた
もし、ビートルズがDECCA専属になっていたら鮮明な音質で聞けたはず
彼らをオーディションで落とした審査員がクビになったのもうなづける ポールの最新アルバムが全米1位になったそうだ
これはじつに36年ぶりの快挙 自演だとか何だとか
そういう詰まらん5ちゃん(2ちゃん)ルーティンはほっときゃいいんだよ
いちいち構うなバカ スレの荒れるもとだ
こうやって俺も荒らしてるけどな 自演狂には他の人も自演に見えるという原則通りw
>>781
まったく同意 生きてこそ 気に入らないレスには自演呼ばわり。2ちゃんねる底辺ユーザーの長きにわたる伝統だ(笑)
しかしポール・マッカートニーの高齢にして創作活動に邁進する姿勢は立派だよね。
本物のクリエイターなんだな。NEWの時みたいに、今度はEgypt Stationを引っ提げて来日するんだな。 ポールはもうすでに声が枯れている
20代の頃の若々しい声は出ない
もともと悪声だっから仕方ないといえばそれまでだが メンバーで声がいいのは一人もいなかったし
4人ともプロの歌手の声ではなかった
ただ作曲ができたので救われたんだ プロの歌手じゃなかったって
そりゃ先生について習った訳ではないだろうけど
それでもあれだけ味のある歌いっぷりのヴォーカル2人がいる
グループはそうそう他のバンドにはいなかったと思うよ そうそう
ロケンロールの人が「いい声」だの「歌手の声」である必要なんてぜんぜん無いよ
計る物差しが間違ってる
伝わる歌が歌えればいいんだよ 歌唱の先生について習ってもBEATLESみたいな魅力は出せないよ
作詞・作曲できる才能って凄いし、確かにポールの歌もジョンの歌も伝わる歌なんだよなあ…
(ジョージも) 初期はジョンの声が強烈に耳に残ってるが
後期はポールの声で終焉を迎えた もう、当時を知る人がだいぶ減ったな
語り合う相手も、身近にはいなくなった
先日、同世代何人かで集まる機会があったが
ジャンニ・モランディを知ってるやつは誰もいなかった
プロコル・ハルムも一人だけ
そんなものなのかな? 貧乏でステレオ装置も買えなく
安物のレコードプレイヤーで我慢してた世代はみんな死んだ 日本初のLPが「ザ・ビートルズ!」英国盤、米国盤で使用されたハーフシャドウの白黒ジャケット
とにかく斬新でカッコよかった
ただしモノラルで発売されたのが残念だった ザ・ビートルズ・セカンド・アルバムのジャケットもいい
あれはアメリカのオリジナルジャケットだ 日本オリジナルのジャケットが3枚目のヤァ、ヤァ、ヤァ
初のステレオ盤でもあった 5枚目のアルバム「ビートルズ5」がまたモノラル盤で発売された
これにはドイツ語版の抱きしめたい、シー・ラヴズ・ユーが収録されていた アイ・フィール・ファインはベンチャーズもカヴァーしている
ビートルズよりも角のない丸っこい演奏だ ステレオ!
イエロー・サブマリン・アニメ版「ひとりぼっちのあいつ」が一番好き
サイケデリック! >>798
ああ、あれ良いよな
40年近く前テレビ放映したとき、あのチビキャラ(Nowhere man?)のアテレコは確か大泉晃じゃなかったかな… ↑確認したら大泉滉だし、あのキャラの名はジェレミーだね
失礼しました >>797
それ聴いたことあるけど、なんでわざわざインストでオリジナルを再現するようなこと
するんだろうと不思議に思ったな。インストならではの工夫とか全然なくて。
ベンチャーズって結構、アレンジのウデが冴えたバンドだったとも聞いたことがあるの
で余計にそう思った。(昔テープ1本買っただけなんだけど) 今月来日するポールは、今回もマジカル・ミステリー・ツアー演るのかな? ホワイトアルバムの今度出るの
また新しい音源が出る
デモでスタジオでみんながやってるの
ようつぺで聴いたら
これまた最高
50年経ってまたこういうの出てくるから
ビートルズってスゴイ 1964年10月
1.恋する二人 ビートルズ
2.夢見る想い ジリオラ・チンクエッティ
3.ほほにかかる涙 ボビー・ソロ
4.ブーベの恋人 サントラ
5.プリーズ・ミスター・ポストマン ビートルズ
6.うつろなハート ジョニー・ティロットソン
7.明日があるさ ジョニー・シンバル
8.ア・ハード・デイズ・ナイト ビートルズ
9.恋のレッスン ジョニー・ソマーズ
10.バチェラー・ボーイ クリフ・リチャード
11.いとこにキッス エルヴィス・プレスリー
12.GTOでふっとばせ ロニーとデイトナス
13.若さを歌おう ベルト・ケンプフェルト楽団
14.愛なき世界世界 ピーターとゴードン
15.星をつかもう テリー・スタッフォード
16.ビコーズ デイブ・クラーク・ファイブ
17.夢見るビートルズ ドナ・リン
18.テル・ミー ローリング・ストーンズ
19.リトル・ホンダ ビーチ・ボーイズ
20.朝日のあたる家 アニマルズ
21.誘惑されて棄てられて ピノ・フェルラーラ
ポールいよいよ今月末ドームでライブだが、高齢だし今回は途中で水も飲んで、無理無く演ってほしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています