マジカル・ミステリー・ツアーBEATLES
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
解散後だけど、プリーズ・プリーズ・ミーって、ガムのCM曲に使われてたよね
製品名わからんけど ビートルズのモップヘアは世界中の若者に影響を与えた ヘルプの冒頭(サビ始まり)4小節目のギターアルペジオは今聞いても斬新だね
一小節目がBmで始まりアルペジオ部分はE7を受けてのA7だ
そしてAメロはAで始まる、で終止形のHelp in anywayはDーGーAと
ミクソリディアン・スケールを強調して
Bメロは(help me if you canから)Bmに戻る
これって良く考えると凄いわ
あの四小節目のギターアルペジオって誰が考えたの?やっぱりジョン? >>268 ついこの前までnot a secondtimeなんか
作ってたのに驚異的な成長。 作り方が違うので
多分違うと思う。 >>268
基本ヘルプ!はジョンのアイデアをベースにポールといじって作り上げたらしい
また、「この頃のジョンの曲は転調を色々試しているような印象のものが多い」という話しもあるから意外とアレンジもジョン主導かも だよね、きっと
ジョージはマージーやモッズ系の音とイン哲は得意だけど
ジョンは何かが凄い。才能が。アイアム・ザ・ウォルラスとか聞くだけで嬉しくなる
ポールは、、、子供好き アイアム・ザ・ウォルラスなんて駄作じゃねえか
おまえ精神科へ行けよw >>273
そんな程度の事で精神科へ…なんて発想は、精神科に行きなれているお爺さんくらいのもんですよ、お大事にねw ジョンがあんな糞ババァなんかと知り会わなければビートルズは解散せずに済んだ ポール新曲発売!
この人本当にスゴイよ
いまだにオリジナルアルバム作って
元気でとんでもない再生回数
マジカルから50年だよ〜考えると感慨深い NHKFMでジョンの魂を聞いた
ひどいアルバムだよな
ただ叫んでるだけの駄作ばかり 解散後、ジョンは2枚のアルバムを出した
「イマジン」と「ジョンの魂」である
だが聞く価値のある曲はイマジンとラヴのみであとは遊びで作曲したもので
聞くに堪えないごみアルバムであった ソロ活動後、初の全米1位になった「真夜中を突っ走れ」は親友のエルトン・ジョンのおかげ エルトン・ジョンはビートルズの
ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズをカヴァーしてNo.1ヒットさせた
そのお礼にジョンはエルトンのコンサートに特別ゲストとして参加した ビートルズ前半はジョンの独断場
後半はポールが支配した ポールはジョンと出会ってから才能を開花させた
お互い刺激し合って数多くのヒット曲を生んだ そうだな。そして彼らは世界中の音楽好きな青少年を刺激して、世界の多くの才能を開花させた。 自作自演のアーティストはいろいろいたが
ビートルズは別格
比べるほうが間違ってる 1950年代から1960年代前半に至るまでアメリカにはポール・アンカ、ニールセダカという
自作自演の有能歌手がいたが、ビートルズ出現と同時に忘れ去られてしまった 年寄りどもは、同じ話を何度もしないと気が済まないのか
この数レス見てると、気持ちだけは若くありたいものだと、つくづく思うわ 早起きジジイ、今度は深夜か
毎回、草一本だけ生やしてるな >>295 君も早起きして仕事に行く生活をな。
自堕落生活は苦しみの元だ。 >>293
>>295
同一人物
図星なもんで切れる引きこもり野郎
来週はハローワークへ行って仕事みつけろよ
いつまでも親のすねかじってんじゃねえぞ >>294 2:24
>>296 8:01
爺さん、睡眠時間が短すぎるぞ
もう、昼と夜の区別もつかなくなったか 図星なもんで切れる引きこもり野郎
来週はハローワークへ行って仕事みつけろよ
いつまでも親のすねかじってんじゃねえぞ まあまあ落ち着いて
ここの人達は今のポールうんねんより
1965年くらいのビートルズで終わってる
ビートルズが解散してもう48年だよ
さすがに内輪話も風化したし
50、60年代の音楽も映画もさすがに古くなった
この板の他スレ見てても思うよ
話がループしても仕方ないのよ ジョン・ウインストン・レノンは
愛用するタバコがウインストンだったって、本当か メンバー4人とも愛煙家だったな
だから全員、声が悪かった >>301
そりゃあ基本的に懐かし洋画板にあるBEATLES映画のスレだからな
その辺の時代が話題の中心になるのが自然だろう
昨今の話題でいきたきゃ『パイレーツ・オブ・カリビアンのポール』とかいう別スレでも別板に勃てればいいw >>306
いつも叩かれっぱなしでノイローゼに陥ったんだね、全部自演に見えるんだろ(笑) >>307
ほっとけよ。もうすぐくたばるジジイなんだから
くたばったら戒名を、あいつの大好きな
ミックかエルビスかヨーコにしてやろうぜ >>310
うまい!
享年 約70
語彙 きわめて少ない(低能児、ニワカ、ガキ)
友人 いない
特技 早起き
安らかにな ザ・ビートルズって60年代の他のバンドと違って
チューニングは完璧だよね 並のギター奏法なのに何故か世界一のバンドになり、オリジナルは聴き継がれ歌い継がれ今も愛されている
また作曲作品は様々にアレンジもされ演奏され愛され続けている ギターテクニックよりもバンドのアンサンブル・バランスが完璧なバンドだったんだよ。
例えば
馬鹿テクギタリストのイングヴェイマルムスティーンは彼のバンド Rising Force とのバランスは全く取れてはいなかった。
小林克也氏の分析
「イングヴェイは自分の努力とその結果に対して自信を持ち、ギターに情熱を持っている。
彼はチャレンジャーであり。素晴らしいテクニックとスピードを持ったギタリストである。
しかし、現時点では彼のギターは素材として完成されてはいるものの、音楽としては素材であるに過ぎないと思う。」 友達がマジカル今日までだよ。って言うから
職員室で担任に新聞みせてもらって開演時間を確認してから
早退して見に行った。
あの頃やるきあったな。 この映画を初めて観たとき何が何だかさっぱり分からなかった ジョージがボンゴを叩きながら歌ってる後ろからトラックが迫って来るシーン
完全にエルヴィスをコケにしたシーン
どれも見ていて頭がおかしくなってきた >>317
初公開の武道館まで観に行ったんですか?
それともリバイバルか名画座のことかな
どちらにしても、劇場であの不思議な
映像を体験したなんて貴重ですね 映画館まで観に行ったのは、ヘルプだけだな
リンゴがリンゴを食べてるシーンで
アホ女のグループが、一斉に作り笑いをしていたわ 映画館でカットフルーツを食べていた女が
メロンを食べた時に
「メロンソーダみたいな味で美味しい」
と言っていた ヤァ、ヤァ、ヤァとヘルプ!の初上映のときのプログラムを引っ越しのときに
処分してしまったことが悔やまれる
松竹セントラルとニュー東宝で観た青春時代の記念品だったのに 当時は特別鑑賞券という前売り券があったよな
たしか450円ぐらいでロードショーを観劇できた シングル盤はいつからステレオとして発売されたんだ?
昔はモノラル盤でしか発売されてなかった ビートルズ登場以前にたまにステレオ盤として発売されていた
モノラルシングル盤が330円のときにステレオシングル盤は350円だった 330円から370円になったときは、ガキには地獄だった
ヘルプ、オン・ザ・ビーチ、ヘンリー8世あたりは、値上がりしたあとだったはず 30pステレオLPが1800円から一時ほんのわずかの間だが、
1750円に値下がりしたことがあった
それからまた値上げして2000円に定着した コロムビアとキングは他のメーカーと比べると価格が高かった 先日出たポール親父の新曲とクリップかっけえ〜!
と思いました 何年か前にポール作曲のオラトリオが発売された
あの後、どうなったんだ? ポール・マッカートニーの新作『エジプト・ステーション』9月に発売さされる♪
イラストも味がありカッコイイな!
http://www.youtube.com/watch?v=ZeJLrtFY7Ds&sns=em >>337
三久院得瑠尾酢洋子文句垂居士
まだ生きてたのか >>337おまえ暇なんだな、根暗ジジイ
>>338テラワロタwwwwww もうビートルズは過去のもの
ポールも隠居したほうがいい >>342
よ、禿げじいさん、『ジョンとポールのバラード』という楽曲があるんかい?
知らなんだわ >>344
ジジイはジョンオタだから
>>342は、別人かと
まあ、ボコボコに叩かれてるので、ごまかし半分のレスかも ジョンとポールが共作したのはFrom Me To Youだけ
アメリカではまったくヒットしなかった駄作であった 最後のユアマザー
巨乳のバスガイド
ストリップ
が見所。 ビートルズはヘルプ!で終わりをつげた
ジョン最後の叫びがそのまま出てた >>349
君の見解はそうなんだねw
自分の見解せいぜい大切にな、ただ君に同意しない人たちも当然、大勢いるww ポールが主導権を握ってからはやりたい放題
ホワイトアルバムの制作中、リンゴのドラムに難癖をつけて叩き方を指図し、
叩き方まで教えた
これに激怒したリンゴはスタジオを去ってしまった
これに困ったEMI側は急遽スタジオミュージシャンを呼び寄せ事なきを得た
だからホワイトアルバムはリンゴはほとんど録音には参加していない ポール主体になったビートルズは暗く落ち込むいっぽうだった ウィングス時代ジュニアーズファームだったか?ヘレンウィールズだったか?
ドラマーと殴り合いの喧嘩をして片目が青あざになりながらポールがドラム叩いた事件があったな。
デニーレインとジョンマックロウも唖然として手を出せなかったという
あれ、どの曲だっけ?確かに特徴的な演奏だったんだけど ポールはトラブルばかりおこしてた
メンバーから嫌われて当然だ 1962年9月4日、ラブ・ミー・ドゥの録音をジョージは左目の周りにアザを作ったまま行った
(ポールに殴られたのではなく、前日出演のキャバーン・クラブで、興奮した客から顔面に頭突きを受けた) ビートルズ解散のきっかけをこしらえたのがポールの我儘ぶり
そしてヨーコというキチガイBBAが入り込んだため 1966年に来日したとき、すでにジョンはやる気を失っていた
このことは当時現場に居合わせた星加ルミ子が目撃している
エプスタインからは口止めされていた やる気ってライブのやる気?
そんなのポール以外なかったろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています