HELP!4人はアイドル♪BEATLES
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ビートルズ65、ビートルズNo.5まではペラジャケだったな。 なぜ「シーラヴズユー」のステレオ音源は破棄されたのか? 破棄されたという事実を述べる記事はよく見るが、何故なのかを明解した記事等は見たことが無い 次から次に発売される流行り歌の、それもマスターテープですらない素材テープなんて廃棄するのが当たり前だから
あと、ステレオ音源なんて最初からないわ
ステレオと銘打ったデビューLPの曲も歌と演奏が左右泣き別れのインチキステレオ
ステレオ録音自体やってないんだから
それでも"抱き締めたい"はなぜか素材テープが残ってたから後でステレオ盤を作り上げることができたけど あの当時は左右の音源を別トラックで録音するやり方だったから
ステレオとしても充分通用するわけだろ No,no 最初の二枚のアルバムはモノラルでしか出さないつもりだった
会社から急にステレオ盤も出せと言われて、最終的にモノラルにミックスダウンする直前の泣き別れテープを流用しただけ
3枚目のハードデイズのアルバムはちゃんとステレオ録音している
泣き別れではない 楽器とヴォーカルが左右にはっきりと分かれているじゃん
ツイスト・アンド・シャウトなんかいい例だ ツイスト・アンド・シャウトは一枚目のアルバム収録曲だもの 1987年のCD化のとき、初期のアルバムはモノラルでしか発売しなかった
変な泣き別れ録音で出すわけにはいかないなぁという気はあったと思う そのとき、ヘルプ!とラバーソウルはステレオCDで出したけど、
元の録音がやっぱり変だった
(ラバー・ソウルなんてほとんど泣き別れ録音に近い)
この2枚のアルバムはジョージ・マーティンがステレオミックスをやり直してステレオCD発売にこぎつけた
初期の泣き別れ録音は、素材のテープ廃棄済みだからやり直そうにもできない
もうこれはモノラルでCDを出すのが我々の良心というものだとG.マーティンも思ったんじゃねーかな
09年のリマスターでは、ビートルズ音源は最早文化財だから、昔発売したものをものをそのままブラッシュアップしようという方針にしたんだろう
(それでもヘルプとラバーソウルは87年のやり直しステレオミックスで発売されてるけど) ビートルズストーリーという2枚組のアルバムが発売されたことがあった
4人のインタビューや成功するまでのナレ、歌はちょぼちょぼのマニア向けの内容
オリジナルは米国盤で国内盤もすぐに出た ビートルズのLPは中古レコード屋でも高く買い取ってくれたな
反面、プレスリーのものなどゴミ扱いだったよ 00家
02A家
「家」(2019年家)
家監督 家 家 家 家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
(声)家、家、家、家ほか
解説・家
10:55家 シングル盤よりもコンパクト盤のほうがお買い得だった
ステレオだし4曲入りで¥500だったもの 本当に破棄されたのかな?
割れサイトにはマルチトラックがアップロードされてるんだよな
誰かがコピーしてたとかテイクが違うバージョンは残っているとか?
まあ今だとiZotope等のプラグインでトラックを別ける事も出来るかもな ユーチューブでもビートルズ初期曲のリアルステレオバージョンとかがアップされているが、みんな今の技術で作り上げたもの
元のテープが残ってればそういう海賊版ではなくて本家のレコード会社が出す あ、ビートルズの人気がホンモノになってからは、テープは全部残せと命令が出てる
そういう時期のものだったら、こっそりコピーして社外へ持ち出したものがが出回ることはある >>740
もうその話、4回目か5回目
高齢者の宿命ですかな 当時はビートルズはカス扱いされてからステレオテープもすぐに消去されてた
先を見ないレコード会社にはあきれる 「ステレオテープ」ってわけでもないんだがね
あきれないでやってくれ
誰も未来はわからなかったんだから
当時、リンゴがインタビューで将来について尋ねられて答えている
「こういう商売も何年もやってられるわけじゃないから、将来は美容師をやりたい」 シーラヴズユーのステレオ音源ならYoutubeで聞ける
オリジナルのオープンテープを所有してた人がいたから有難い オリジナルのステレオというのはそもそも作られたことがない って言うかさ初期の原盤制作権を持ってた奴って誰なの?
エプスタイン?
投資家?
債務処理や投機関係でマルチが世界中を回ってしまって確認が取れないってだけでは? 権利はそりゃレコード会社
マルチとか初期の頃は無い時代だった
初期ステレオとして出回ってるのはみんな今の技術ででっち上げたヤツ BzやYOSHIKIさんや虎舞竜は特別だとしても
レーベルとかバーニングみたいなエージェントとかフジパシフィックみたいな
音楽出版社って無かったのかな?
初期の音源は録りから2MIXの一発録り?
信じられないけど 初期はチャンネル数が少ないからダビングを繰り返して編集してた シーラブズユーの段階では2チャンネルレコーダー
抱きしめたいから4チャンネル
SGTペパーズでもまだ4チャンネルだったから、ダビング必至だった ビートルズは最初からEMIで録音できたわけではない
EMI傘下のマイナーレーベルで録音開始したはず 最初からEMIでジョージ・マーティンの下でレコーディングしている
(1962.6.6 アビーロド・スタジオでEMIのオーディションを受けて合格)
アメリカではキャピトル傘下のヴィー・ジェイ・レコードというマイナーなところからレコード発売して、売れなかった
その後、キャピトル本体が売り出した ドイツに出稼ぎにきてショボクレてたビートルズを拾ってくれたのがトニー・シェリダン
同じイギリス出身だということもラッキーだった 日本ではマイボニーはザ・ビートルズのクレジットで発売されてた
あとで伴奏しているだけだと分かった マイボニーは、ポリドールだったかな
日本では、日本語カバーが、プリーズ・プリーズ・ミーよりも先にヒットしたけど
当時はまだ、ビートルズというグループの認識はほとんどなかった
とにかく、プリーズ・プリーズ・ミーからだった。日本は。 アメリカ、日本ともにビートルズのレコード発売は遅かった
日本盤シングル発売
1964.2.5 抱きしめたい/ こいつ (東芝音楽工業)
1964.3.5 プリーズ・プリーズ・ミー/ アスク・ミー・ホワイ (東芝音楽工業)
1964.4.21 マイ・ボニー/ ザ・セインツ (ポリドール) (アメリカはマイナーレーベル、ヴィー・ジェイからもっと早く出ていたが、そのときは話題にならなかった) 1963年の春先には、イギリスでビートルズというグループのプリーズ・プリーズ・ミーという曲がヒットして人気爆発しているとの芸能ニュースに接していた
しかし、日本ではレコードも発売されないし、どんな曲かもわからずそのまままた忘れていた
ところが64年初頭にはアメリカで「抱きしめたい」が発売されて大人気と伝わってきた
日本もアメリカにならってレコード発売
すぐに大変な話題となり、レコードを早速買った者から聞かせてもらった
レコードを聴くだけだったので、今この曲を歌っているのは誰で、ジャケット写真のどの顔なんだろうと思ったものだ なるほど…
後追い世代の自分の中学生の頃もヘルプ!のボーカルをポールと思っていた奴が結構いたりしたな 英本国と比べると
ラヴ・ミー・ドゥが1年半遅れ
プリーズ・プリーズ・ミー、アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア、ツイスト・アンド・シャウト
このあたりが1年遅れの発売
「ヤア・ヤア・ヤア」のサントラぐらいから、やっと追いついた 「恋する二人」はラジオのヒットパレードで嫌になるほど聞かされた
日本人ウケした曲だったんだろうな >>766
日本人好みって、とらえ方はさまざまだけど
そう言われる作品はあるね。人物でもある
ビートルズの初期の曲だと
プリーズ・プリーズ・ミー
オール・マイ・ラヴィング
恋する二人
アンド・アイ・ラヴ・ハー
なんかが、よく言われた プリーズミープリーズミーは当時の日本人にはどう聞こえたのかな?
ポールとジョンの2声で始まるAメロ
(上声)RーRーーR ーRーRーRーR、、、、、
(下声)RーM7ー6ーP5ー6ーP5ー3、、、、、
あのAメロは和声に敏感な白人には好感持たれたんじゃ無いかな?
しかも全て4分音符とおもいきや終止形は付点4分音符プラス、裏拍からの16分音符
ビートルズはこういう事を感覚的にやってたんだよな
考えてからメロやハモを作っってない所が天才なんだよ 恋におちたらにおけるジョンの歌いだし、それにポールとの二重唱は素晴らしい かつての「題名のない音楽会」で今は亡き黛敏郎氏が
「恋に落ちたら」の歌いだし(のコード進行だったか)を褒めておったな
ガキだった俺にはその意味がはっきりとは分からなかった
だがこういう世界に通用する大家が俺の大好きなビートルズを褒めておったのが
誇らしかったもんじゃった
昔々
遠い遠い銀河系での話じゃ >>772
コードと言えば、黛氏は、某映画音楽だか何かで使われているメロディーを聴いていたらコード進行が完全に『ヘイ・ジュード』だったとも。
また、ビートルズはジョンが作詞でポールが作曲担当だwとか愛嬌のあることも言っていた。 >>773
いちばん最初は自分もそう思っていたよ
日本の曲でも、作詞・作曲の順に名前が載るからね
レノン/マッカートニーと書いてあれば、勘違いしても不思議ではない せやな
リードギターはジョージ・ハリスンという触れ込みだったんで
「タックスマン」やら「グッドモーニング・グッドモーニング」のリードギターも
ジョージがやってんだと信じて疑わなかったもんじゃったw 当初、ジョン・レノンが作詞で、ポール・マッカートニーが作曲をすると紹介されていた
ジョンは作詞が根柢にあり、先ず詞ができてそれに曲をつけるのに対して、ポールは曲が先行する
インタビューなどでそういう二人の曲作りについて答えた事から、その特質が単純化されて作詞、作曲を分担するという話になったのかも知れない ( ,_ノ` )y━・~~~
兎も角 BEATLES… ( ,_ノ` )y━・~~~
THEは付けずとも
本当にファンさ
心配ご無用 アメリカは敬意を表して THE をつけなかった
それだけ世界一と認められたバンドだったから GOD (John Lennon)
‥ I don't believe in Beatles
I just believe in me
Yoko 吉田英男(自民) 三浦市長まとめ
・ 親族を市役所に勤務させて市から給与を支払わせていた。
・ 市長が公用車で川崎のソープ街に乗りつけていた。
・ 京急長野カントリークラブの接待も公用車を使っていた。
・ 旅行の羽田空港まで送り迎えにも私用していた。
・ 更に愛人宅まで公用車で帰宅もしていた。
・ 上記をチクった市職員は降格している。
・ 公用車運転記録を住民監査請求したら秘密委員会で破棄された。
・ 上記を議会に問いた議員は現在村八分にされている。
・ 市長報酬の値上げをしている。(市長年収1800万 会社不労所得2200万)
・ 前年の台風被害の復旧工事は特別会計から数割しかされていない事実。 フロム・ミー・トゥ・ユーもつまらない曲だよな
デル・シャノンがカヴァーして初めて全米にビートルズの存在を知らしめたが フロム・ミー・トゥ・ユーは、63年春に英国でシングル盤として発売
大ヒットして全英1位を7週間続け、シングル盤として70万枚を売り上げた
63年春の渡英でビートルズと同じテレビ番組に出演したデル・シャノンは出たばかりのこの曲を知り、帰国して早速カバーしたレコードを出し、全米77位となった
64年、ビートルズによりあらためてプリーズ・プリーズ・ミーの B面として発売、ビルボード誌、キャッシュボックス誌ともに全米41位を記録した 今、フォーシーズンズの映画が始まった
これを観れば、50〜60年代アメリカンポップスの雰囲気がわかるし
ここにビートルズが飛び込んできて、どんな影響与えたか、想像するのも面白いと思う "The Beatles Vs The Four Seasons"
1964 Vee Jay Records VJLP1062
ビートルズとフォーシーズンズの曲が12曲ずつ入ったお買い得な2枚組LP! なにかご用命のものがございましたら
なにか私どもがお役に立てることがございましたら
一発ポチっと下さいませ すぐにお送りいたします
愛をこめて 尼からあなたへ ♪あ 悲しくなるだろう 今日からあ〜〜〜〜〜 いぇいっ! ギター、ドラムだけで演奏してたシンプルな頃のビートルズはいい 楽器の種類が素朴なのはいいね
他のグループだと
サファリーズのピアニカ
ゲイリー・ルイスとプレイボーイズのアコーディオンなど 恋する二人は二重録音なのだ
ハモニカ吹きながら歌えるわけがない >>594
スタジオ録音でわざわざしないだろうけど
歌えないことはないだろう タバコふかしながらドラムを叩くリンゴには呆れた思い出がある。 ボブ・ディランの風に吹かれても自力だろう
ハーモニカは間奏だけだし そういえば、恋する二人以外
ビートルズは、間奏のない曲が多いな
間奏といえば思い浮かぶのが、サーチャーズの「恋の特効薬」
タタン、タタン、タタンタタタンタ
ここを聴くだけで60年代が蘇る、まさに、ザ・間奏だと思う ちなみに、ザ・前奏なら
「悲しき雨音」か、「朝日のあたる家」な
異論は認める のっぽのサリーのリードは前半がジョン、後半がジョージなんだよ ロール・オーバー・ベートーヴェンのイントロはじつにカッコいい
本家のチャック・ベリーを上回る わしは涙の乗車券、BACK IN THE USSR、DRIVE MY CAR等のイントロ大好きだ 逆に、記憶にはよく残るが、あまりいいとは思えないのは
ディジー・ミス・リジーかな 初期のビートルズは激しくシャウトしていた
若さにあふれていたからね ビートルズ以前にシャウトしてた歌手はリトル・リチャードだけ
プレスリーでさえシャウトしなかった ロックンロール・ミュージックの最後の方
明らかに息を切らして唄ってるのが、人間臭くていい
撮り直しする時間余裕がないぐらい、忙しかったんだろうな ビートルズ65のアルバムは忙しくて曲が間に合わず、カヴァー曲を入れて制作された >>813
シャウトの起源はスクリーミン・ジェイ・ホーキンス!
宗教的祭事のシャウトの起源はメソポタミアのシュメール人!
(下の文は多分ガセネタね) 「ゼアズ・ア・プレイス」のシンプルな歌唱は好きだ。 日本盤2枚目のアルバムは1枚目に比べるとシングル盤B面の曲ばかりが寄せ集められてた
いい曲はほとんど1枚目のアルバムに収録されてしまっていたからね 日本では2枚目まではモノラル盤で発売されてたんだよ
3枚目の映画盤からステレオで出るようになった 本邦初発売のハードディズナイトのジャケットは日本オリジナルのもの イギリスNMEが紙の毎週発売していた紙の発行を終えることを今月発表した
ポール他有名ミュージシャンが感謝と感慨のコメントを伝えた
今後はネットでの配信に力を入れるという 時代は確実に進んでいる 東芝オデオン盤のジャケットが黄ばんできた
どうすればいいのか? おせーろ 当時はペラジャケが多かった
厚手ジャケットになったのは「ヘルプ!」から 前田武彦と木元教子の東芝ヒットパレードは
ハガキのリクエストが、曲名ではなくレコード番号だった
だから、スローダウンはマッチボックスにカウントされ
エイト・デイズ・ア・ウイークはノー・リプライにカウントされた
名コンビで好きな番組だったが、そこが欠陥だったな 木本教子はTBSのアナウンサーとなってニュースキャスターのはしりとなり、その後フリーとなってフジテレビのワイドショー司会者となったその頃、東芝ヒットパレードを前田武彦とやっていた
ラジオを聴いていた頃は経歴など知らず、ただもう年齢を食った落ち着きのあるしゃべりをするオバハンという感じだった
マエタケはその後、テレビ生番組で共産党万歳と叫んでディスられ、没落一方
対して木本教子は道をあやまたずその後もご活躍、今も政府委員などやって勲章ももらっている マエタケは、昼12時の番組と、夜のヒットスタジオの司会をやってるころは
地球はマエタケを中心に回っている、それぐらいの人気だったな
東芝ヒットパレードでも、そこそこ洋楽の造詣はあった 俺が俺がの巨泉よりは、よほどマシだったわ
当時の洋楽解説者なら
福田一郎、高崎一郎、小島正雄が詳しかったかな 高崎一郎は主婦相手のくだらない番組を担当してから地に落ちた ポピュラー音楽の評論家では福田一郎がいちばんまともだった。 糸居五郎は評論家ではなくてアナウンサーだが、DJをやってりゃ似たようなもんだったかな S盤アワーというラジオ番組もあったが、かかる曲が古臭く、S盤とはSP盤のことかいなと思ったりした
日本ビクターのレコード番号らしいが 昔のラジオは各メーカーがbackupした音楽番組がいろいろあった
ビクター、コロムビア、キング、東芝、グラモフォンなど
毎月の新譜を流して宣伝したり、専属歌手の特集を聞かせてくれた 毎週、ラジオのヒットパレードが楽しみだった青春時代が懐かしい >>838
たいていの番組にあった新曲紹介コーナーが、楽しみでわくわくしてた
「太陽を探せ」を聴いたときは、「おっ、懐かしのサウンドが帰ってきた」
「悲しき願い」のときは、「アニマルズがついに神曲を出したか」
いつも、そんな期待感があったね
アニマルズは、前作のブーンブーンがだめだったから、なおさらだった 毎月、レコード店に行くと各社の新譜案内カタログが店先に置かれてあった
いろいろもらってきて見るのが楽しみだったな そんな皆様の次世代だな。僕は。オールナイトニッポンの糸居さんしか知らない。 レコードマンスリーは無料でくれたレコード店と
50円で売ってたケチなレコード店もあった 東芝のシングルは、文字通りドーナツ盤だったが
ビクターなんかは、中央部がアダプターのいらない構造になっていたね 糸居五郎は戦前の満州で森繁久彌とともにアナウンサーをやっていたというから古株だ
だが、オールナイトニッポンでのしゃべりは、「ハイハイ五郎で〜す」と全体にラップ調の軽いもの
その古い履歴などこかへ置忘れてきたようなノリだった 60年代の半ば、キャピトルレコードのカタログでよく見かけたミセス・ミラー
年配の女性シンガーだがなかなかに味わい深い
久しぶりに聴いてみたい
https://youtu.be/fODWNiUct_Q ビートルズが登場する前のキャピトルの看板スターは
ナット・キング・コール、ビーチボーイズ、フランク・シナトラしか知らなかった なに、ミセス・ミラーを知らなかったのか
ネタレコードだぞ ババァであるところに反応してもつまらんよ
歌、歌の下手さに呆れかえって面白がるのさ 日本ではオデオンレーベルだったからキャピトルは無関係だったな ベンチャーズのノーキーも、亡くなったんだな
我々も、どんどん近づいている ガッツだぜ、愛は勝つ、それが大事
そして2018年は
『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索 リアルタイムにビートルズを聴いて人にお伺いしたいのですが
当時、モッズ系の音楽はどう捉えていらっしゃいましたか? モッズは黒人音楽のことをいう
ビートルズとはまったく違う リンゴがインタビューに答えている映像があるな
−あなたたちはモッズなんですか、ロッカーなんですか
「モッカー」 ビートルズのモップヘアはプールで泳いだあとのジョージの頭を見て思いついた
これは本当のことなのか? まあ諸説あるけど
売れないバンドは、売れるためにいろんな事をやったらしいからな
当時のビートルズも、例外ではなかった モップヘアは全世界のアーティストが真似た
それだけビートルズは音楽以外でも大きな影響を与えた 日本でビートルズがまともに評価され出したのは赤盤・青盤が出てからってホント? >モッズは黒人音楽のことをいう
違うよ
モッズって言うのはR&BやSoul, Funkなど黒人音楽に憧れたイギリス白人の若者が
勘違いして作ってしまった白人音楽の事だよ
ザ・フーとかスモール・フェイセズとか
モッズとは呼べ無いけどエアロスミスもボーカルとドラマーが
ロックバンド形態でJBをやろう!というアイデアから始まって、ああいうロックバンドになった >>861
評価の意味が、よくわからないな
日本のファンに人気が出たのは、昭和39年春
したり顔の評論家どもの評価なら、いつかわからないし、どうでもいい 昭和38年、洋楽に詳しい友達からいまイギリスから凄いグループが出てきたぞと
教えてもらったのがビートルズだった >>847
ナットキングコールやサムクックは
ビートルズの人気が出たころに亡くなったな 東芝が販売権を持ってた外国のレコード会社にワーナーレコードがあった
映画会社のスターなどが歌手としてレコードを出していた
コニー・スティーブンス、トロイ・ドナヒュー、ロジャー・スミスなど
当時の赤盤シングルで買ったよ トロイ・ドナヒューは来日したこともある
品のいいおぼっちゃまだった 「恋のパームスプリングス」というレコードを出してたが、歌手じゃない感がよく出てた 映画「パームスプリングスの週末」は面白かったよ
サントラ盤も発売されたことがる ワーナーにはジョニー・ソマーズがいた
すごいハスキーな声の美人歌手だったな ジョニー・ソマーズと言えばワン・ボーイ
それがヒットした'62年だったか、テレビを見ていたらアメリカ帰りだという松島トモ子が出てきて、向こうで流行っている曲だと言ってワン・ボーイを歌った
子役という齢ではなくなった松島トモ子はこれからは歌手なのかと思いながら見ていたが、‥ならなかったな
ライオンに噛まれてた 「内気なジョニー」の裏面が「避暑地の出来事」
両面ともいいカップリングだった ジョニー・ソマーズは「すてきなメモリー」を日本語ヴァージョンで歌ってる
発音もなかなかのものだった ワン・ボーイ、ヤング・ワン、トゥ・ヤング
こういう曲には、邦題つけなかったんだな 「ヤング・ワン」はコロムビアに販売権があったときは
「ぼくは若いんだ」という邦題がつけられてたぞ ビートルズに"その時ハートは盗まれた"というのがあったな
"こいつ"というのも EAST WESTのサブスクリプションを始めたんだけど「Fab Four」という
ビートルズ音源も選べる。んでDAWで打ち込みしたんだけど
SGTのアノSGギターとかcome togetherのタオルミュートドラムとか完璧過ぎる
おまけにジョンレノンとケンタウンゼントによって開発されたADTのプラグインも入ってる
これはちょっとビートルズマニアには驚くよ 普通のデジタルディレイじゃ無い音んだから ビートルズ好きが学生時代バンドをやり
社会人になってからはその暇もなく
定年退職してようやくパソコンの前で音楽制作を趣味にしている人は意外に多いぞ ビートルズは常に時代の先端を走っていた
いまだに再編集したディスクが発売されると売れるのはビートルズだけ ジョンの死後未発表のデモテープはポールが全部押収したんだろ ポールはビートルズは俺が存続させたんだ、という思いが強すぎる
確かにビートルズの後半はポールの曲がすべて1位になってたからな
ポールのおごりでビートルズが解散した原因になったのに ジョンは1966年来日のときにすでに解散を匂わせてたからな
その場にいた星加ルミ子はホモスタインに「絶対に言うな!」と口止めされてたし ホモスタインって、牛の種類か
パーカー大佐も、パーか?とか言われてたな 来日したときのビートルズはすでにコンサート活動に嫌気がさしていた
このあとフィリピン公演での事件で決定的になった すぐ前の日本公演の警護体制が万全すぎたから
落差がひどかったのもありそう 全盛時のコンサート動画を見てもファンの歓声ばかりで肝心の歌が聞きづらい
あれじゃ演奏するほうだって適当にやればいいんだって気になるよな ぼくたちの歌を聞きたければレコードを聞け
ぼくたちを見たければコンサートに来てくれ
そうジョンが言ってたな 当時のビートルズが英国にもたらした利益は莫大なものであった 何を今さらとか、それがどうしたとか、そう突っ込みたくなるレスが続くのも
老人スレならではか >>899
おまえの様なヘイト専門レスの嫌われヘド爺のレスよりずっーとマシな流れだと思うな。 >>900
899だが、いつものけなしてばかりのジジイではないぞ
スレが、年寄り特有の同じ話の繰り返しになりそうだったので、突っ込んだんだ
すまんかったな
また、新しいネタ出し合おうや >>902
うわっ、本物登場か
お前さえいなければ、このスレ平和なんだよ
前も言ったが、とっとと死ねや Life is very short, and there's no time
For fussing and fighting, old man ビートルズ世代とそれ以降の小僧世代は受け方が全然ちがう ビートルズ全盛時代を知らぬガキどもの妬みには苦笑するばかりだなw レコード時代のファンこそが真のビートルズファンだよ >>907
このたった一匹のアホが、どれだけレス消費してるんだ あんなもん英国でしか通用しないただの飾り
見栄っ張りが好むだけ リンゴは病弱で小学校もロクに通っていない
ビートルズの他の三人と比べても劣悪な環境で育った
そのまま行けば最底辺の生活しかできなかっただろう
だが、しかしビートルズに誘われた御蔭で一転勝ち組
このたび騎士にまでなれましたとさ ジョンは>>913よりちょっと豊かな家庭で育ったけどな
まあ、そんな4人が音楽でKnightにもなり世界的名士になった物語 リンゴはラスベガスのショーで観た朱里エイコを気に入り、先ずはメシを一緒に食おうと誘った
私もまだ何にも分からなくて‥誘いを断ったの、後に朱里エイコは述懐している
誘いに乗って勝ち組となったリンゴ
誘いを断って最後には生活保護の身となって野垂れ死んだエイコ‥ ジョン・レノンはミミおばさんに大切に育てられた
>>917みんな上手いんだろうけど、結構ポールだという声も聞く ジョージはクラシックに造形が深かった
ベートーベンの詞が素晴らしいと評価してた ハードディズナイトの中間部のギターは当時のジョージは弾けなかったから
録音操作でごまかしたんだよ アイ・フィール・ファインもジョンがリードを受け持った エリッククラプトン曰く
「ホワイト・アルバム」の時、スタジオに行って驚いた
ギターが一番弾けたのは、メンバーの中でポールだったんだ」 "I Feel Fine"でジョンがリードギターというのは少し違う
あのリフは歌いながらでも弾けるように工夫したものだから、ジョンもリフを弾いては居たが、全編に渡ってリフを弾き、間奏を弾いたのはジョージだ >>921
「ベートーベンは好きです 特に彼の詞が」と言ったのはリンゴ鼻スター ゲットバックのリードもジョンが担当したんだよ
ジョージではあれだけのテクニックはなかった あと、You Can't Do That
ジョージは初の12弦キターを弾き続けていたため間奏はジョンのギター
Slow downの間奏
ジョージリフを弾き続けてたのかな
Long Tall Sally
間奏の一発目はジョン、二回目の間奏はジョージ
Revolution
ジョンが割れたギター音を出している生演奏PVがある
Get Back
ルーフトップコンサートの映像でおなじみ
The End 三人によるギターバトル
And Your Bird Can Singのツインリードは、ジョージと‥ポールらしいが リンゴ、英国政府により処刑?
http://i.imgur.com/tAo1kw9.jpg
リンゴマンガ
twitter.com/motomotohide/status/976318561080627200?s=19 ↑ああ、リンゴ正式にsirの称号授与されたんだね
有名な儀式の画像だ ビートルズのレコードはいつからオデオンからアップルになったの? 1968.4 ビートルズがアップルの会社を設立
レコードもアップルレーベルで出せという
8月発売のシングル"ヘイ・ジュード"が最初のアップル作品だが、9月に日本で発売されたのは従来のオデオン・レーベルのまま
翌年くらいからアップルレーベルになった模様
11月、ホワイトアルバムがアップルレーベル最初のアルバム、69年1月の日本発売盤でもアップルレーベル アップルの名称は1966年に来日したときに湯川れい子が
リンゴに「あなたの名前は日本ではりんごと言う意味のよ」と教えたことが由来 前スレでも出たが、日本のアップル第一号は
メリー・ホプキンの「悲しき天使」だったと思う アップルはいろんなことをやってて、服を売るアップル・ブティックという店もあった
けれど、店員は酔っぱらって床に寝てる、客は万引きし放題
一か月ももたずに行き詰まった
それで閉店セールというところだが、閉店プレゼントだ商品はただで持ってけとやった
大混乱
ビートルズのやることだから、いろいろユルかった ♪ わたしは マッカなリンゴです〜
しょ しょ しょジョン ジョージの庭は つんつん月夜だ みんな出て コイコイコイ ビートルズのコピーで食ってるバンドってまだ活動してるの? なんだよ、親切にメシ食ってるか心配してやってるのか 今夜(29日(木)午前2:30〜3:20)NHK総合『サージェント・ペパー〜ビートルズの音楽革命』
♪The Beatles - Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
http://www.youtube.com/watch?v=guiNy0jSKkI&sns=em 高校三年のときビートルズ公演のチケットを学校に持ってきて見せびらかしてる奴がいた
あのときは羨ましかったな 爆発的人気だった頃によく来日してくれたよ
それまで来日する外タレは落ちぶれて小遣稼ぎに来る奴らばかりだったもの
人気絶頂時に来てくれたビートルズには感謝したい >>946
あの時期は、人気ピークのアーチストが、次から次へと来日した
前スレでも、無知なやつが
お前と全く同じような書き込みして、馬鹿にされていたよ ビートルズは一回だけ来日の序の口
横綱ベンチャーズなんて毎年だぞ >>949
回数勝負じゃねえぞ、クソッパゲ!
ビートルズは1回の来日でベンチャーズ来日1万回以上の価値だ、デブ!! いや、50年間来日を続けたのはたいしたもの
ギネスの1ページ目に載せたい! 質というものがまるで分かっちやいないバカがいるんだな わかっているのをまるで分かっちゃいないのはオマエだ ビートルズは今やキリストより有名なんだからと言ってヒドい目に遭ったジョン・レノン
世の中には軽口というものが分からない人種は居るもんなんだよな そういえば、複数回来日したアーチストは、そんなにいないな
ビーチ・ボーイズやブラザーズ・フォーも、再来日したのはだいぶ歳食ってから
旬のころに何度も来たのは、あまりいない 日本でしか稼げない来日回数を誇るバンド 出稼ぎお疲れ
幸多かれと祈る 三流の外人アーティストたちにとって日本はいい稼ぎ場 ベンチャーズが二度目の来日公演のとき、ライヴ盤が発売されて売れに売れた
これをきっかけに日本では1965年からエレキブームが起こった ベンチャーズインジャパンのLPは俺も買った
あまりに売れたんで第2集も発売された ビートルズとベンチャーズのおかげで当時の東芝レコードは売り上げ1になった 当時の東芝はビートルズに便乗したイギリスのバンドを多く抱えていたしね アニマルズの「朝日のあたる家」は45回転盤での盤面は細かい音溝だった >>962
6分ぐらいあったからな
ボブ・ディランのライクアローリングストーンも長かった
ベンチャーズのキャラバンのロングバージョンは、シングル出たのかな? キャラバン65のタイトルでコンパクト盤のB面に収録されて出てた パイレーツオブカリビアン出演のポール・マッカートニー
この映画の中で『マギー・メイ』を鼻唄で歌ってるんだな >>965
あの歌はリバプールの古い戯れ歌なんだと。Let it beに収録になってるけど。 ヘルプ!の日本初公開は今はなくなったニュー東宝だったんだよ おぉ、おぉ、あったねぇ、新東宝
エログロ、大衆娯楽路線の映画会社
労働争議の続く東宝からスピンアウトしてできた会社だ
「地獄」「黄線地帯」「女王蜂」シリーズ」‥‥
え、なに、違う?、そんな話じゃないって‥‥
‥‥‥‥ お呼びでない、こりゃまた失礼いたしましたっ
ギャフーン 当時は特別鑑賞券というものがロードショー前に発売された
通常の入場料よりも格安で買えた
あの当時は確か450円で観劇できたと思う 上映前の無料試写会
ハガキで申し込めば、たいてい当たる時代だった 作家の松村雄策氏によると
映画HELPの中でジョンが「ロンドン!」と発するそのセリフに合わせ
映画鑑賞中の客席のファンらが一斉に「ロンドン!」と唱和していたと ハード・デイズ・ナイトの時は女の子がキャーキャー歓声をあげ、スクリーンにカメラのフラッシュを浴びせた ヤァ!ヤァ!ヤァ!は東銀座にあった松竹セントラルで初公開された 前スレは、ヤアヤアヤアだったけど
次スレのタイトルは、どうする?
一応、映画板だし ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!邦題の元となった Beatkes Come To Town
ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! - A Hard Day's Night
ポップ・ギア(オムニバス) Pop Gear
僕はいかにして戦争に勝ったか(ジョン・レノン) How I Won The War
4人はアイドル - Help!
マジカル・ミステリー・ツアー - Magical Mystery Tour
イエロー・サブマリン - Yellow Submarine
レット・イット・ビー - Let It Be
マジック・クリスチャン(リンゴ・スター ) Magic Christian
ザ・ビートルズ 〜エイト・デイズ・ア・ウィーク - Eight Days A Week -The Touring Years- リンゴのチョイスは数ある中で何でそれ?
だったらヤァブロードストリートくらいは入れてやれよ ドリフのロング・トール・サリー 〜'66 The Beatles Budohkan Concert より そこは、ドリフのロング・トール・サリー('66 The Beatles Budohkan Concertより)を貼るべきでは ビートルズも、ブルー・コメッツに伴奏してもらったら楽だったのに 歌う最中にマイクが安定せずにポールがしきりに直しながら歌ってた マイクがスタンドを軸に旋回するように動いていた
テープで固定出来なかったのか・・・本番で初めて気づいたのか・・・ このスレッドは1000を超えました。
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