HELP!4人はアイドル♪BEATLES
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>>698
お前に、頼みがある
コテつけてくれ。みな速攻でNGにできる
さもなければ、さっさと死んでくれ 医師・古川優樹は今年4月、愛知県名古屋市のホテルで、当時17歳の無職の少女に現金3万円を渡してみだらな行為をしたとして逮捕されました。
愛知県警によりますと、古川容疑者は知人の16歳の少女にツイッターで「16歳か17歳の女の子を紹介してくれたらお金あげるよ」とメッセージを送り、
17歳の少女を紹介してもらった見返りに現金約2万円の報酬を渡したということです。
古川容疑者は取り調べに対して容疑を認めているという。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170827/k10011114441000.html
https://dotup.org/uploda/dotup.org1462270.jpg
古川優樹の勤務先電話番号
058-389-2228 >>699
ワロタ 大いに同意
BEATLESは最高峰!! ビートルズを聞き飽きたなんて人に会ったことがない
それだけ偉大なバンドであった 何度となく再発売されても売れるディスク
それはビートルズだけ 米国盤の例のバラバラの人形を抱えてる気味悪いジャケットは発売禁止になった シングル盤は何度もジャケットを代えて再発売されてた 医師・古川優樹は今年4月、愛知県名古屋市のホテルで、当時17歳の無職の少女に現金3万円を渡してみだらな行為をしたとして逮捕されました。
愛知県警によりますと、古川容疑者は知人の16歳の少女にツイッターで「16歳か17歳の女の子を紹介してくれたらお金あげるよ」とメッセージを送り、
17歳の少女を紹介してもらった見返りに現金約2万円の報酬を渡したということです。
古川容疑者は取り調べに対して容疑を認めているという。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170827/k10011114441000.html
https://dotup.org/uploda/dotup.org1462270.jpg
古川優樹の勤務先電話番号
058-389-2228 愛なき世界を歌って一躍名が知れたピーターとゴードン
これ一発で終わったカスだったなw >>708
一曲でも大ヒットを出したピーター&ゴードンではなく、ケチつけるだけで何の取り柄も無いおまえの方がカスなんだぜ、カスww >>708 爺さん、アンタどこでも嫌われてるなww
ここ、そこ、そして至る所でwww コテ付けろと言ったのにな
まあ、付け方も知らんのだろう Life is very short, and there's no time
For fussing and fighting, old man カヴァー曲を取り入れてた初期のアルバムは楽しく聞ける ハードディズナイトのときは忙しかったから日数をかけず撮影完了したが
ヘルプのときは余裕があった
メンバーみんなロケ地で楽しんだという ヘルプ!の台本を渡されたメンバーの感想
ジョン「これはいける」
ポール「すげえ、すげえ」
ジョージ「アハハハハハ」 日本ではヘルプ!から厚手見開きジャケットになった
もちらん、まだ赤盤だった ビートルズ65、ビートルズNo.5まではペラジャケだったな。 なぜ「シーラヴズユー」のステレオ音源は破棄されたのか? 破棄されたという事実を述べる記事はよく見るが、何故なのかを明解した記事等は見たことが無い 次から次に発売される流行り歌の、それもマスターテープですらない素材テープなんて廃棄するのが当たり前だから
あと、ステレオ音源なんて最初からないわ
ステレオと銘打ったデビューLPの曲も歌と演奏が左右泣き別れのインチキステレオ
ステレオ録音自体やってないんだから
それでも"抱き締めたい"はなぜか素材テープが残ってたから後でステレオ盤を作り上げることができたけど あの当時は左右の音源を別トラックで録音するやり方だったから
ステレオとしても充分通用するわけだろ No,no 最初の二枚のアルバムはモノラルでしか出さないつもりだった
会社から急にステレオ盤も出せと言われて、最終的にモノラルにミックスダウンする直前の泣き別れテープを流用しただけ
3枚目のハードデイズのアルバムはちゃんとステレオ録音している
泣き別れではない 楽器とヴォーカルが左右にはっきりと分かれているじゃん
ツイスト・アンド・シャウトなんかいい例だ ツイスト・アンド・シャウトは一枚目のアルバム収録曲だもの 1987年のCD化のとき、初期のアルバムはモノラルでしか発売しなかった
変な泣き別れ録音で出すわけにはいかないなぁという気はあったと思う そのとき、ヘルプ!とラバーソウルはステレオCDで出したけど、
元の録音がやっぱり変だった
(ラバー・ソウルなんてほとんど泣き別れ録音に近い)
この2枚のアルバムはジョージ・マーティンがステレオミックスをやり直してステレオCD発売にこぎつけた
初期の泣き別れ録音は、素材のテープ廃棄済みだからやり直そうにもできない
もうこれはモノラルでCDを出すのが我々の良心というものだとG.マーティンも思ったんじゃねーかな
09年のリマスターでは、ビートルズ音源は最早文化財だから、昔発売したものをものをそのままブラッシュアップしようという方針にしたんだろう
(それでもヘルプとラバーソウルは87年のやり直しステレオミックスで発売されてるけど) ビートルズストーリーという2枚組のアルバムが発売されたことがあった
4人のインタビューや成功するまでのナレ、歌はちょぼちょぼのマニア向けの内容
オリジナルは米国盤で国内盤もすぐに出た ビートルズのLPは中古レコード屋でも高く買い取ってくれたな
反面、プレスリーのものなどゴミ扱いだったよ 00家
02A家
「家」(2019年家)
家監督 家 家 家 家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
家、家、家、家、家、家
(声)家、家、家、家ほか
解説・家
10:55家 シングル盤よりもコンパクト盤のほうがお買い得だった
ステレオだし4曲入りで¥500だったもの 本当に破棄されたのかな?
割れサイトにはマルチトラックがアップロードされてるんだよな
誰かがコピーしてたとかテイクが違うバージョンは残っているとか?
まあ今だとiZotope等のプラグインでトラックを別ける事も出来るかもな ユーチューブでもビートルズ初期曲のリアルステレオバージョンとかがアップされているが、みんな今の技術で作り上げたもの
元のテープが残ってればそういう海賊版ではなくて本家のレコード会社が出す あ、ビートルズの人気がホンモノになってからは、テープは全部残せと命令が出てる
そういう時期のものだったら、こっそりコピーして社外へ持ち出したものがが出回ることはある >>740
もうその話、4回目か5回目
高齢者の宿命ですかな 当時はビートルズはカス扱いされてからステレオテープもすぐに消去されてた
先を見ないレコード会社にはあきれる 「ステレオテープ」ってわけでもないんだがね
あきれないでやってくれ
誰も未来はわからなかったんだから
当時、リンゴがインタビューで将来について尋ねられて答えている
「こういう商売も何年もやってられるわけじゃないから、将来は美容師をやりたい」 シーラヴズユーのステレオ音源ならYoutubeで聞ける
オリジナルのオープンテープを所有してた人がいたから有難い オリジナルのステレオというのはそもそも作られたことがない って言うかさ初期の原盤制作権を持ってた奴って誰なの?
エプスタイン?
投資家?
債務処理や投機関係でマルチが世界中を回ってしまって確認が取れないってだけでは? 権利はそりゃレコード会社
マルチとか初期の頃は無い時代だった
初期ステレオとして出回ってるのはみんな今の技術ででっち上げたヤツ BzやYOSHIKIさんや虎舞竜は特別だとしても
レーベルとかバーニングみたいなエージェントとかフジパシフィックみたいな
音楽出版社って無かったのかな?
初期の音源は録りから2MIXの一発録り?
信じられないけど 初期はチャンネル数が少ないからダビングを繰り返して編集してた シーラブズユーの段階では2チャンネルレコーダー
抱きしめたいから4チャンネル
SGTペパーズでもまだ4チャンネルだったから、ダビング必至だった ビートルズは最初からEMIで録音できたわけではない
EMI傘下のマイナーレーベルで録音開始したはず 最初からEMIでジョージ・マーティンの下でレコーディングしている
(1962.6.6 アビーロド・スタジオでEMIのオーディションを受けて合格)
アメリカではキャピトル傘下のヴィー・ジェイ・レコードというマイナーなところからレコード発売して、売れなかった
その後、キャピトル本体が売り出した ドイツに出稼ぎにきてショボクレてたビートルズを拾ってくれたのがトニー・シェリダン
同じイギリス出身だということもラッキーだった 日本ではマイボニーはザ・ビートルズのクレジットで発売されてた
あとで伴奏しているだけだと分かった マイボニーは、ポリドールだったかな
日本では、日本語カバーが、プリーズ・プリーズ・ミーよりも先にヒットしたけど
当時はまだ、ビートルズというグループの認識はほとんどなかった
とにかく、プリーズ・プリーズ・ミーからだった。日本は。 アメリカ、日本ともにビートルズのレコード発売は遅かった
日本盤シングル発売
1964.2.5 抱きしめたい/ こいつ (東芝音楽工業)
1964.3.5 プリーズ・プリーズ・ミー/ アスク・ミー・ホワイ (東芝音楽工業)
1964.4.21 マイ・ボニー/ ザ・セインツ (ポリドール) (アメリカはマイナーレーベル、ヴィー・ジェイからもっと早く出ていたが、そのときは話題にならなかった) 1963年の春先には、イギリスでビートルズというグループのプリーズ・プリーズ・ミーという曲がヒットして人気爆発しているとの芸能ニュースに接していた
しかし、日本ではレコードも発売されないし、どんな曲かもわからずそのまままた忘れていた
ところが64年初頭にはアメリカで「抱きしめたい」が発売されて大人気と伝わってきた
日本もアメリカにならってレコード発売
すぐに大変な話題となり、レコードを早速買った者から聞かせてもらった
レコードを聴くだけだったので、今この曲を歌っているのは誰で、ジャケット写真のどの顔なんだろうと思ったものだ なるほど…
後追い世代の自分の中学生の頃もヘルプ!のボーカルをポールと思っていた奴が結構いたりしたな 英本国と比べると
ラヴ・ミー・ドゥが1年半遅れ
プリーズ・プリーズ・ミー、アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア、ツイスト・アンド・シャウト
このあたりが1年遅れの発売
「ヤア・ヤア・ヤア」のサントラぐらいから、やっと追いついた 「恋する二人」はラジオのヒットパレードで嫌になるほど聞かされた
日本人ウケした曲だったんだろうな >>766
日本人好みって、とらえ方はさまざまだけど
そう言われる作品はあるね。人物でもある
ビートルズの初期の曲だと
プリーズ・プリーズ・ミー
オール・マイ・ラヴィング
恋する二人
アンド・アイ・ラヴ・ハー
なんかが、よく言われた プリーズミープリーズミーは当時の日本人にはどう聞こえたのかな?
ポールとジョンの2声で始まるAメロ
(上声)RーRーーR ーRーRーRーR、、、、、
(下声)RーM7ー6ーP5ー6ーP5ー3、、、、、
あのAメロは和声に敏感な白人には好感持たれたんじゃ無いかな?
しかも全て4分音符とおもいきや終止形は付点4分音符プラス、裏拍からの16分音符
ビートルズはこういう事を感覚的にやってたんだよな
考えてからメロやハモを作っってない所が天才なんだよ 恋におちたらにおけるジョンの歌いだし、それにポールとの二重唱は素晴らしい かつての「題名のない音楽会」で今は亡き黛敏郎氏が
「恋に落ちたら」の歌いだし(のコード進行だったか)を褒めておったな
ガキだった俺にはその意味がはっきりとは分からなかった
だがこういう世界に通用する大家が俺の大好きなビートルズを褒めておったのが
誇らしかったもんじゃった
昔々
遠い遠い銀河系での話じゃ >>772
コードと言えば、黛氏は、某映画音楽だか何かで使われているメロディーを聴いていたらコード進行が完全に『ヘイ・ジュード』だったとも。
また、ビートルズはジョンが作詞でポールが作曲担当だwとか愛嬌のあることも言っていた。 >>773
いちばん最初は自分もそう思っていたよ
日本の曲でも、作詞・作曲の順に名前が載るからね
レノン/マッカートニーと書いてあれば、勘違いしても不思議ではない せやな
リードギターはジョージ・ハリスンという触れ込みだったんで
「タックスマン」やら「グッドモーニング・グッドモーニング」のリードギターも
ジョージがやってんだと信じて疑わなかったもんじゃったw 当初、ジョン・レノンが作詞で、ポール・マッカートニーが作曲をすると紹介されていた
ジョンは作詞が根柢にあり、先ず詞ができてそれに曲をつけるのに対して、ポールは曲が先行する
インタビューなどでそういう二人の曲作りについて答えた事から、その特質が単純化されて作詞、作曲を分担するという話になったのかも知れない ( ,_ノ` )y━・~~~
兎も角 BEATLES… ( ,_ノ` )y━・~~~
THEは付けずとも
本当にファンさ
心配ご無用 アメリカは敬意を表して THE をつけなかった
それだけ世界一と認められたバンドだったから GOD (John Lennon)
‥ I don't believe in Beatles
I just believe in me
Yoko 吉田英男(自民) 三浦市長まとめ
・ 親族を市役所に勤務させて市から給与を支払わせていた。
・ 市長が公用車で川崎のソープ街に乗りつけていた。
・ 京急長野カントリークラブの接待も公用車を使っていた。
・ 旅行の羽田空港まで送り迎えにも私用していた。
・ 更に愛人宅まで公用車で帰宅もしていた。
・ 上記をチクった市職員は降格している。
・ 公用車運転記録を住民監査請求したら秘密委員会で破棄された。
・ 上記を議会に問いた議員は現在村八分にされている。
・ 市長報酬の値上げをしている。(市長年収1800万 会社不労所得2200万)
・ 前年の台風被害の復旧工事は特別会計から数割しかされていない事実。 フロム・ミー・トゥ・ユーもつまらない曲だよな
デル・シャノンがカヴァーして初めて全米にビートルズの存在を知らしめたが フロム・ミー・トゥ・ユーは、63年春に英国でシングル盤として発売
大ヒットして全英1位を7週間続け、シングル盤として70万枚を売り上げた
63年春の渡英でビートルズと同じテレビ番組に出演したデル・シャノンは出たばかりのこの曲を知り、帰国して早速カバーしたレコードを出し、全米77位となった
64年、ビートルズによりあらためてプリーズ・プリーズ・ミーの B面として発売、ビルボード誌、キャッシュボックス誌ともに全米41位を記録した 今、フォーシーズンズの映画が始まった
これを観れば、50〜60年代アメリカンポップスの雰囲気がわかるし
ここにビートルズが飛び込んできて、どんな影響与えたか、想像するのも面白いと思う "The Beatles Vs The Four Seasons"
1964 Vee Jay Records VJLP1062
ビートルズとフォーシーズンズの曲が12曲ずつ入ったお買い得な2枚組LP! なにかご用命のものがございましたら
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愛をこめて 尼からあなたへ ♪あ 悲しくなるだろう 今日からあ〜〜〜〜〜 いぇいっ! ギター、ドラムだけで演奏してたシンプルな頃のビートルズはいい 楽器の種類が素朴なのはいいね
他のグループだと
サファリーズのピアニカ
ゲイリー・ルイスとプレイボーイズのアコーディオンなど 恋する二人は二重録音なのだ
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