>>691
ごめんなさい、連投になってしまうんですけど
ヴィスコンティがタジオの母親に自分の母親の面影を投影させた
しかも(本物の貴婦人である自分の母親をモデルにしつつ)貴婦人らしくはない・・
ってことにはどういう意味合いがあるんでしょう?
単に身近な貴婦人のサンプルとして自分の母親をモデルにした?
それともこの映画の根幹に関わるもっと深い意図がある?

マンガーノはその点について何か言っているんでしょうか?
あるいはヴィスコンティ自身、この点について何か語っているんでしょうか?
ごめんなさい、もしお手すきでしたら何らかのご教示いただければ幸いです。