>>610
ありがとう、です。

>>611
リーンは「ガンジー」の企画が流れたのちも映画化への意欲は持っていた。
「ライアンの娘」のあと、「ガンジー」と「戦艦バウンティ」の映画化に没頭していたが、
結局、この二つはどちらも流れてしまう。
とくに「ガンジー」は二年間インドに滞在して自ら脚本を書いていたが、
どうしても満足のゆくものができなかった。
そんな時にアッテンボローがやって来て映画にしたいと言うので、彼に任せることにした…
とリーン自身が語っている。
『キネマ旬報』1985年7月下旬号(915)より。