元の舞台の劇作家がゲイであったからといって、作品全部を「ゲイ!」という色眼鏡でみるのはどうだろう。

1950年代に舞台に乗せた作品を、現代の感覚で新解釈として演出するのは理解できる。
しかし1950年代に映画化されたものを、50年近くたってから「ヴィヴィアン・リーはオカマと理解して演じているか」というのは危険だ。
1950年代は、その時代の解釈でいい。
エリア・カザンだってオカマをヴィヴィアンには要求していなかったはずだ。