>>502

>>417の恋の真理を思い出そう)
人が恋の成就から見放されるのは
人間関係がないからである

人間関係がある、かつそのときに限り
「大切な人ときっと出会える」
「見過ごしちゃもったいない」

話すという行為は
人間関係が具体的に生じることを意味する
「君」から「僕」へ向けた恋の指南と理解したい

以上で「セゾン」の二面性が明らかになった
表向きは、「僕」目線での「恋」曲だが
その内実は、「君」からの「愛」曲

恋と愛の定義を思い出そう
「恋」とは自己満足的な感情体験
「愛」とは自己犠牲的な意志的行為

その時々の人間関係が重なって
出会いや別れが喜怒哀楽を作る
そのどれが欠けたって
「恋」「愛」は生まれない

恋の感情が一時的なものであるように
人生も季節(セゾン)も無常
「生きるとは変わること」

「生まれ変われる」
だから最後は未来志向表現
「僕もセゾン」

他者の幸せを願うからこそ、勇気づける
これはたんなる「君」の気まぐれではなく
プロトタイプアイドルの役割そのものでもある

恋曲という装いの下に愛が隠されている
ゆえに「君」=欅坂と解釈しても意味は通る
「君」の二重性

恋と愛を峻別する観点からの分析によって
曲全体の構造を示してみた
(「愛」は「永遠」か?、という論点は省略した)

上記試みが成功したかわからないが
つぎに「セカアイ」の分析へ移ろう
「セカアイ」は恋曲か、それとも愛曲か?