では、平手が抱える「表現の苦しみ」とはいったいなんなのか。
これは、「提供された楽曲をただ単に歌うだけ」といった、操り人形としてのアイドル像から脱し、
ひとりの表現者としての自覚が彼女のなかで芽生えつつあることと関係しているのではないか。
そして、この自覚と彼女の現状が大きな矛盾をはらんでいることが、彼女を苦しめているのではないか。

言うまでもなく、欅坂46のすべての楽曲の歌詞は秋元康氏のペンによるものであり、そのほかのクリエイティブ
の面においても、恋愛禁止などプライベートな面でも、周囲の大人たちのコントロール下に置かれている。

そのシステムの範疇にいる限りにおいては、彼女の表現者としての自立にも限界がある。
その相克といかに対峙していくのか。

『サイレントマジョリティー』や『不協和音』といった欅坂46の代表的な楽曲は、
大人がつくったシステムや同調圧力へのプロテストを歌ったもの。
それを深く表現しようとすればするほど、自らの抱える矛盾や相克にも自覚的にもならざるを得ないだろう。

その矛盾と相克こそが、平手の抱える苦しみではないのか。そして、その「表現への苦しみ」は現在でも続いていると思われる。