ま、ちょっと365以下の案は真っ当でなく、脱線案だけどね。

でもケース報告じゃエビ信ぴょう性がうすいぞ!
って反論はとりあえずほっといて
(おっしゃるとおりですハイと、ペコペコする)

文脈、ナラティブ形成にだけ
重点おいてせっせとやんねん。
施術しながらもがくん。

そうするといつの間にか
たぶん積み上がった言語体系(東洋的施術の体系というある種のフィクション)の側から
ある時ふっと現実な空間にそれが効果として
勝手に現れるから。

もともと古典内の用語はフィクション産物に近くて
それを使って運用してるわけだし。
鍵はそのなかの体系言語に掛かってる。

施術者はじぶんのロジックと一貫性だけ
もがいてけば、
まだどーにかなるかも。