>>211
唯物論、科学万能主義でなければプシコ的な発想でも仕方なかろう。
物や事のふるまいに執着して研究に没頭するのもプシコ的ではある。
まあ、オレは痛みをなんとかする方法だけを欲してるわけでもないし。
痛みを軸に話を展開すればそういう話にもなりますよね。
何かにフォーカスをあてて話を広げ、また違う何かにフォーカスをあてて話を広げ、そこに何らかの
繋がりを見いだし意味付けする。みんないつもしていることなんだろうけど。
痛みを痛みと名付けてある程度の共通認識になる前からそれはそこにあったし、痒み然り、しびれ然り。
経済を経済学とする前から経済はそこにあったし、ましてや経済の前に所謂、経済と呼ばれるやつは
そこにあった。心理学だって物理学だって。宗教だって東洋医学だって儀式化する前に、意味付けし
その意味に乗っ取った行為があったのではないか。それが行為だけ真似て儀式化、形骸化されてしまい
意味が取り残されてしまった。
って、なんの話してたんだっけ?(笑)まあ、痛みも意味も主観からは切り離せませんな〜