>>152
あー、確かにこれはうまい説明が難しいよな。
まあ要するにあれだ、東洋医学の診断というのは「基礎知識の中で成り立つ、治療師フィルターを通して出した答え」みたいなもんだわな。
んなもんだから健康に対するイメージによって見方も答えも変わる、と。
そのうえそもそもが経験則を強引に解釈したようなものだからして、そこに厳密な意味での客観性が存在するとはとても思えない。

同時に西洋医学が決めつけるほど、人間というのは客観性のあるシステムであるとも考えづらい。
それはインビトロな結果がそのまま臨床像に厳密に反映されないことからもうかがえる。

これはつたない推論だが、人間というシステムの根幹に触れ得るのは多分同じ人間というシステムだけなのだろうと考える。
多分鍼も灸も薬もそういう意味では枝葉末節なのだろう。
もちろん明らかな「適応」というものがあるので、十把一絡げに考えるわけにも行かないが。

ただしその「システム」というものを正確に描写した記述にはまだお目にかかっていない。
これは自然治癒力とかプラセボの背景などというものともおそらく違う。
それらはシステムの一部ではあるだろうけれど。

うまい表現ができずに申し訳ないが、152をみて思ったことを書いてみた。