東洋医学はオカルトとしか思えない
うさんくせー
お腹を見て症状判断とか、手相見て病気を言い当てる占い師と何が違うんだw 経絡治療が効くのなら日本の鍼灸院がもっと流行ってるだろ
日本で経絡治療を提唱してくれたおバカさんがいるおかげで
鍼灸が何の治療効果もない胡散臭いものになってしまったわけだ >>101
日本の鍼灸イコール経絡治療のような言いようだがよく調べてみ。
経絡治療で挫折でもしたん? はりの学校じゃ経絡の話ばかりじゃないか
そんなもの実際には効きもしないのに
利口なやつほど高得点を上げて難解な理論に埋没してゆく
そして何の役にも立たない教科書通りの治療をやりながら消えてゆく >>103
>そんなもの実際には効きもしないのに
経絡は道具だからね、使う人によるんだよ 結局な、頭が悪いんだな
知恵がない
IQは高いんだろうけど 東洋医学の神秘を西洋医学の科学が解明、というのはよくあるが
西洋医学の科学を東洋医学の神秘が解明、というのは聞いたことないなあ 東洋医学は実践でしか理解できない。
理論の上っ面をみてるからオカルトだの神秘だのって言う話になるんだな。 >>107
あなたは専門学校関係者でしょう?
そうやって無知な若者をたぶらかすのはお止めなさい
鍼灸学校が今やってることはマルチ商法ですよ もしかしたらいくつか効くツボもあるのかもしれない
昔の中国人はその理由がわからなかったから
無理やり陰陽五行説にあてはめた
そこまでは仕方ないが
その大昔の考え方に未だにしがみついてるのがバカ
どう考えても五大元素が木火土金水っておかしいだろ
水は火に克つとか火は木の子とか原始人じゃあるまいし 両足の崑崙にマグレイン貼ると
くしゃみがとまる。
マジ。
風呂場でマグレインが
剥がれるとくしゃみが復活。
マジで。
花粉症は崑崙で押さえる@根治はしないけど 何千年も前の人々が限られた乏しい知識の中で目の前に起きてる現象を何とか説明しようと患難辛苦して作り上げたものが陰陽五行ですよね
この近代科学が極限まで進化した現代に何故昔の陰陽五行のままなのか?
専門学校の講師はあたかも自分が陰陽五行を発見したかのように得々と説明する姿に胡散臭さを感じた
自分では何も考えず東洋医学をひけらかしてさえいれば先生と呼ばれ飯を食っていけるのだからな >>114
全くその通り
加えて昔とは違い今の中国人は大嘘付き
鍼麻酔なんかひどい例
陰陽五行のみならず現代の中国人の鍼灸治療も全く信用できない >>107
つまり単なるプラセボってこともあり得るってことだな どうも世の中の100人に一人ぐらい人は念じただけで病気を治せるようなのです
鍼灸で成功するのは100人に一人くらいの割合なので、
その人たちは超能力的な素質があるのではないかと 超能力と同様ということなら話が早い
つまりそれは偶然ということ 病院のような精密検査機器がない鍼灸院では人間の五感だけが頼りになる
もちろん五感の技術が一定のレベルになければ話にならない
しかし、五感だけでは越えられない壁もある かつて脈診の大家を集めて一人の患者の脈診を行ったことがある
その結果大家達は全員異なる診断をした
全員が同じ診断をだせない脈診
つまりはいいかげんってこと 病院勤務鍼灸師も専門学校講師と大して変わらんよなw 十字式とか背中をポンポン叩いてるだけなのにあれで患者は列をなして来てるんだから
何なんだろうと思うわ >>118
超能力=鍼灸
つまり鍼灸はオカルトってことだな 背中をポンポン叩いてるだけととらえるか、目に見えない何かに意味を見いだすのか。
自分の意味と他人の意味は必ずしも一致しないからね。
その意味付けをするバックボーンは科学だったり宗教だったり。
今は情報エントロピー増大でカオスな時代だろうけどねw
まあ、ラプラスの悪魔を信じるか不確定性原理を信じるか、神を、奇蹟を信じるか。
どれ信じてもいいんじゃね?その総和が世の中なんだし。
皆が絶対的に同じ共通認識じゃなきゃ不安かい? >>123
専門学校講師で優秀な人も多いと思うぞ。
>>127
人は人、ワイはワイ >>125
超一流は人知を超えたものを持ってるという意味でわ? >>125
念じるだけで病気を治すことに例えられる
超能力的な素質がオカルトでなければ何なの? オカルトとは超自然現象のこと
それから
>>130は>>129に対しての誤り 自然を超えた現象か…
自然と人為、現象と本質。
人は自然と現象を超えた本質に迫れるのであろうか。 >>127
ラプラスの悪魔→古典力学
不確定性原理→量子力学
神、奇蹟→超越的な力
さぁ、これらの情報のうち何を信じてどう意味付けして生きる?
あなたは他人の意味付けにどう干渉する?そもそもなぜ干渉しようとする?
あなたの思考のエネルギーはもともと何処から来たエネルギー?何の力がもたらした? 通常の肩コリ腰痛は並の鍼灸師でも鍼で治せる
しかし、通常ハリの適応症でない病気まで治せてしまう鍼灸師も確かにいる >>135
それは認識が甘い
私に言わせりゃ「肩凝り腰痛が治せる何て一握りもいない」
痛みの改善レベルならそれなりにはいるだろうけど
「治す」となると話は別
どこまでそういうふうにやれば治るとするのか
健康であるというモデルの認識にズレがあるとしか思えない >>134
この中なら量子力学だろうな
理論に怪しい部分はあるが
これなしで生活できないからな
だがこれが東洋医学がオカルトかということとどう関係あるの? >>135
病気が治るのはプラセボだろうな
プラセボはオカルトではないが
プラセボなら別に東洋医学でなくてもいいし
だからコンロンではなく例えばショウカイとかでも
それが効くと思う人ならくしゃみ止まるだろうよ >>137
古典力学だってなければ生活できないし、人によっては神が生活の中心にあるけどね。
万有引力だって電磁気力だって最初はオカルト扱いだったしさ。
量子テレポーテーションなんて世間的にはオカルトなんじゃないかな。俺はこれ気と関係あると思ってるけど。
まあ、この板と関係ないと思えばそうなのかもね。そう思うのならばすまないね。
十字式の話出てたから宗教と科学の話が思い浮かんでさ。
理系と東洋医学の関係のほうが気になるね、自分的には。
でも生命現象が一番のオカルトだよね(笑) >>140
治療家としてはある意味一流だが
それは東洋医学とは関係ない 鍼灸=プラシボって結論ですよ
鍼灸で成功できるのは100人に一人
プラシボを起こせるのは100人に一人
つまり鍼灸=プラシボということです それより鍼灸専門学校は生徒を募集しないでくれる?
100人中99人が食えない鍼灸を生徒に勧めるって犯罪でしょ?
専門学校講師は詐欺師ですよ むしろ鍼灸師は鍼の技術だの東洋医学だの学ぶより
どうやったらプラセボ起こせるかの研究した方がいいね >>143
東洋医学の思想は迷信だと思うが
東洋医学自体は完全にプラセボだとは思わない
欧米では内関を刺激するグッズがあり
それを使用すると吐き気がとまるらしい
子宮の脊髄神経の皮膚分節に当たる
三陰交や至陰の刺激により子宮が動き逆子が治るらしい等
これらはそれなりに信用できるようにも思う
ただその根拠を
陰陽五行の相克関係や六十九難とかで
説明するのはやめてくれってこと >>144
食えないから講師になり
生徒を騙す悪循環 >>145
プラセボをおこすにはオカルトがいちばんいいんじゃない? >>146
俺もそう思う。
実効性はあるが、説明はかなり無理がある。
十分に需要はあるんだから、あの医学にすり寄るようなこじつけはやめるべきだ。 鍼灸師は手品師みたいなもんか
趣味で手品できる人はたくさんいるが手品師になれるのは100人に1人みたいな >>121
>全員が同じ診断をだせない脈診
>つまりはいいかげんってこと
大家というからにはよく治せる人達だろ。
異なった脈診所見を使ってよく治しているのだ。
診断が違うのになんで治せるんだ?
プラセボかい?
3割の効果では大家とは呼ばれんだろ?
いいかげんどころかここらが肝なんだよ。 大家Aは自らの脈診所見Aで患者をよく治す。
大家Bは自らの脈診所見Bで患者をよく治す。
大家Bが他人の脈診所見Aで施術したら効果はない。
なんでだ? そもそも脈診所見というものは
その治療者の経験や想いやさまざまなものが加味されての所見。
西洋医学は教授であれ研修医であれ共通の言語を持つように教育していったが
東洋医学は流派とか、その施術者オリジナルな所見や表現が多い。
だからAの所見はBは使えない。
まるで逆のこともあるであろう。
それでもそれは誤診ではない。
これが東洋医学だと思っている。
ちなみに私はバリバリの西洋医学派です。 施術者が治せると思い込み患者も治ると思い込んだ時治るんだったりして
通常プラセボは3割だが相乗効果で6割治るとかw プラセボと言えば勝った気になる人がいるが、極論言うならプラセボだとして何か問題あるのかね
有用であり代替が効かないならプラセボかどうかなんて大した意味はないんではないの
ホメホパシーみたく、それ自体医学的に危険な行為をプラセボを頼りに推し進めてるなら別だが
精神的なものを軽視するのが是ならなんで精神科や向精神薬なんてものがあるんだ?あれはプラセボなのか?
痛みだってつまりは精神的なもんじゃないか
麻酔科医は治ったような気にさせてるだけのインチキ医者だから不要とかか?
気合いさえあれば精神的なものはすべてどうとでもなるなんて言う精神論が、それこそオカルト以外のなんだと言うのか
まあ、全部プラセボだとも思わんけどね >>155
このスレは東洋医学は根拠のない迷信だと言いたいだけで
プラセボに問題があるとは一言も言ってない >>153
つまりそれがオカルトってことなのでは? >>151
大家もいいとこ3割なんじゃないの?
それとももっと治せるのかい?
それぞれ異なる所見を持ってるって
それぞれの思い込みか?
それ正にオカルトだろw
つまりいいかげんってこと >>152
ホント不思議だよなw
俺の推測では
プラセボ、ウソ、勘違い
のどれか
あるいは全部w 起きた現象の尺度を色々持つのはいいだろ
ただし再現性があるならだ プラセボ=自然治癒力だから大変結構な話だ
プラセボを極限まで発揮できたら自然治癒力の火事場の馬鹿力が発揮されて
すべての病気は治ってしまうのかも プラセボと自然治癒力は同じではありません。
自然治癒力が意識とは関係なく自動的に動作する治癒力であるのに対し
プラセボは何らかの意識の変化により引き出された治癒力で発動の仕方が違います。
ですから自然治癒力は治療効果にはなりませんがプラセボは治療効果になります。 東洋医学による鍼灸治療の治療効果はプラセボ効果に似ています。
また、東洋医学の科学的とはいえない治療理論はプラセボ効果の発生確率を
高めている可能性があると思います。 「代替医療のトリック」にも鍼灸は他の代替医療に比べてプラセボを
引き出しやすいようだ、とあります。
鍼灸に限らず医師による治療でもプラセボ効果は起こります。
同じ薬を処方されても院長からだと効果が大きいとか。
しかし鍼灸でも結果としてプラセボ効果が出たとしても、最初からプラセボを
期待して治療しているわけではありません。。 >>164
はじめからプラセボを期待した治療では治療効果は落ちます。
なぜなら自らの治療に対する確信が相対的に薄れるからです。 プラセボってどの程度効果があるの?
例えばNK細胞が増えて癌が治るなんてことがあり得る?
一般に鍼灸では悪性腫瘍は治らない
それどころか禁忌になってるけど プラセボを利用してがんを治そうと思う人はいないでしょうね。 ガンの進行のスピードをゆるめたり止めたりはできる。
大阪PL病院の院長先生が学会で多く発表されている。
もちろん血液データやX−P付きでだ。 >>152
あー、確かにこれはうまい説明が難しいよな。
まあ要するにあれだ、東洋医学の診断というのは「基礎知識の中で成り立つ、治療師フィルターを通して出した答え」みたいなもんだわな。
んなもんだから健康に対するイメージによって見方も答えも変わる、と。
そのうえそもそもが経験則を強引に解釈したようなものだからして、そこに厳密な意味での客観性が存在するとはとても思えない。
同時に西洋医学が決めつけるほど、人間というのは客観性のあるシステムであるとも考えづらい。
それはインビトロな結果がそのまま臨床像に厳密に反映されないことからもうかがえる。
これはつたない推論だが、人間というシステムの根幹に触れ得るのは多分同じ人間というシステムだけなのだろうと考える。
多分鍼も灸も薬もそういう意味では枝葉末節なのだろう。
もちろん明らかな「適応」というものがあるので、十把一絡げに考えるわけにも行かないが。
ただしその「システム」というものを正確に描写した記述にはまだお目にかかっていない。
これは自然治癒力とかプラセボの背景などというものともおそらく違う。
それらはシステムの一部ではあるだろうけれど。
うまい表現ができずに申し訳ないが、152をみて思ったことを書いてみた。 >>170
わかりにくい文章だな
かいつまんで言えば東洋医学は当てずっぽうってことでいいか? >152の続きでこれはどうか?
大家Aは自らの脈診所見Aで患者をよく治す。
大家Aの弟子Bは自らの脈診所見Bでそこそこ治す。
弟子Bが師匠の脈診所見Aで施術したら結果はどうだろうか? オレは>>170言いたいことすごくわかる気がする。
システムから構造を見出し機能させたり、機能を抽出し構造を構築したり。
システムは主観でサブシステムは客観だったり、システムが客観でサブシステムは主観だったり。
そんなシステムイメージを誰と誰は共感、共有でき、誰と誰はできないか。
システムイメージを自然や宇宙にどう投影して生きているのか。
システムイメージは記号化(言語化)できないだろうね。
当てずっぽうだけど(笑) 細胞レベルの若返り(笑)
【社会】たかの友梨に改善指示=エステで誇大広告―東京都
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1363591775/l50
これに高い金払って文句言う人もいれば大いに満足している人もいるわけで。
発信者と受信者のシステムイメージだな(笑) >>168
>ガンの進行のスピードをゆるめたり止めたりはできる。
鍼灸で出来ると言っているのかな?
>大阪PL病院の院長先生が学会で多く発表されている。
学会発表だけではダメですよ。極端に言えば自分が理事の学会かもしれないし。
査読された論文が何処かの雑誌に発表されていませんか? >>171>>172>>173
> 大家Aは自らの脈診所見Aで患者をよく治す。
> 大家Aの弟子Bは自らの脈診所見Bでそこそこ治す。
> 弟子Bが師匠の脈診所見Aで施術したら結果はどうだろうか?
多分だがほとんどのケースで思ったような効果は期待できないと思う。
格闘技でいえば「敵を早く倒すためのBなりの方法論を見つけるべき」であって、Aのやり方をなぞってみても最終的な威力あるやり方は得られない、という感じか。
ここで疑問というかオカルトといわれるゆえんである「ABそれぞれが(仮に)真逆のやり方をしているのになぜに多様な結果が得られることがあるのか」ということが頭に浮かぶ。
これは170にも書いたがいくつかの可能性が考えられる。
まずひとつは東洋医学理論そのものが単なる妄想である可能性だ。
もうひとつはある程度の客観性がある理論にもかかわらず、それを使う人間によって大幅にゆがめられて解釈されている可能性。
いずれにしても理論とは関係のないことをしていても何かしらの効果がある、というところが共通点ではある。
俺が考えるに理論はある程度の指針となり得るが、生理学的な正当性などを求めるとよくわかないものになる。
結果が出ているのなら、医学的な整合性については気にする必要ななかろうというのが現時点での結論。 >>176
>多分だがほとんどのケースで思ったような効果は期待できないと思う。
弟子が師匠の所見どおりに施術したのに本来の自分の実力以下の効果では師弟の意味がないです。
>弟子Bが師匠の脈診所見Aで施術したら結果はどうだろうか?
この場合そこそこ以上に治すが正解です。
では、
大家Bは大家Aの脈診所見Aで施術すると自分の所見Bで施術したときに比べ効果は落ちます。
一方
弟子Bは師匠大家Aの脈診所見Aで施術すると自分の所見Bで施術したときに比べ効果は上がります。
両者とも所見Aで施術しているのになぜ反する結果になるのでしょう? 禅の不立文字みたいな話だな。
科学は結果の記号化(数値化)を求めて客観性の実現目指してるようなもんだからね。
AとBと患者のそれぞれの“結果という概念”が一致したかをどう証明しようというのか。 ネッシーの写真は自分が捏造したと名乗り出てるのに
いやネッシーは必ずいる
捏造こそがウソだと言う奴がいる
オカルトの世界でよくあることだが
これと同じ論争がこのスレではされている
頭大丈夫か?
東洋医学はオカルトってことに気づけよ
きっと他のオカルトも信じてるんだろうから
気づいたところで変わらんだろうけどな >>177
> 両者とも所見Aで施術しているのになぜ反する結果になるのでしょう?
端的に言えば「所見Aに納得しているかいないか」ということだろう。
所見、とくに東洋医学におけるそれは「自分はこの状態をこのように解釈する」というのと同義だ。
そこには事実上客観性は担保されていない。
そして大家Bが行う所見Bに基づく治療でもAと同じくらいの効果が見込める。
推論としては共通した何かに影響を及ぼしながらも、それぞれ違う見方、解釈を行っていると考えられる。
東洋医学の理論というものはそのようなものだと考える。 >>178
> AとBと患者のそれぞれの“結果という概念”が一致したかをどう証明しようというのか。
従来のやり方で一致させようとすると無理がでてくるな。
東洋医学独自の生理とその評価方法を、ぶれなく確立させる必要があると思う。
ただそれを推し進めると職人技の話になり、かなり間口が狭くなる可能性は高いが。 >>179
俺は東洋医学はオカルトだと思っているよ。
正確にはその理論、説明がそうだと思っている。
ただし有効性という点で考えるならば低めのパーセンテージではあるが、それを誘導することのできる施術者は存在していると思う。 東洋医学はまず現象がありそれを後付けのオカルトチックな理論で説明したもの
だから理論自体はイミフでも実際に効くことは効く いや
オカルトとだと認めるのならば効くというのはウソか勘違いに決まってる
仮に効くとしてもせいぜいプラセボレベル
ほっといてもいつか治るような疾患にしか効かないレベル
そうでないというのなら何か証拠を見せてくれ >>180
>端的に言えば「所見Aに納得しているかいないか」ということだろう。
正解です。所見Aに対する信頼度の違いですね。
大家Bは自身の脈診所見Bに確信を持っているので所見Aでは確信は揺らぎ効果は下がります。
弟子Bは自身の脈診所見Bより師匠の所見Aの方が信頼できるので確信は強まり効果はあがります。
では、なぜ術者の意識状態が治療効果に影響するのでしょう? >>184
> いや
> オカルトとだと認めるのならば効くというのはウソか勘違いに決まってる
オカルトなのはあくまでもその理論や説明だと思うよ。
かなり無理のある説明だからね。
> 仮に効くとしてもせいぜいプラセボレベル
> ほっといてもいつか治るような疾患にしか効かないレベル
むしろ「医業もしくは医業類似行為」にかかる人間の大半はこれだろう。
そして俺らの治療はほとんどが日常ケアが主目的といっても良い。
効率が落ちかけている状態を何とかしようとする。
いってみればプラセボをきちんと引き出し、できるだけ素早く楽にしてあげることが大切なわけだ。
それを俺らは「効く」と表現する。
ただし全くでたらめばかりしているわけでもないよ。
たとえば皮膚の電気抵抗値を指標と考え、どこをどのようにすれば抵抗値の低減が図れるのかを試行錯誤してゆく。
おそらくはどのようなアプローチでもこれは実現できるはずだが、経過観察を経てこれが(おおむね)健康に寄与しているとわかれば、それで十分実用的とする、とかね。
古代からある経験則を見いだす方法論を、やや現代的なつまり客観性を担保できそうな方法で調べる。
医学的でもないし、ましてや科学にはほど遠いが十分患者さんの期待には応えることができるだろう。 >>185
> では、なぜ術者の意識状態が治療効果に影響するのでしょう?
多分だけど「生き物はそういう風にできているから」だろう。
そのメカニズムについてはいろいろいわれているがどれもしっくりはこない。
が、多分以下のようなことも関係しているような気がする。
納得とは実感を伴う経験から生まれる。
それは揺るぎないものであり、自身の中では厳然とした事実として定着する。
そういった心理状態はなぜか患者さんにも「雰囲気」として伝わる。
まあこれは双方においてシステム全体の効率を上げるよね。 >>186
そんなレベルなら別に鍼灸じゃなく
黒魔術でも高価な壺でも何でもいいんじゃないのか? >>173>>188
> システムイメージは記号化(言語化)できないだろうね。
> 当てずっぽうだけど(笑)
まさにその通りだよね。
もっとも本来言語化が必要ないように「師弟関係」の中で大事なことを学ぶのだろう。
俺も修業時代は「みて覚えなさい」といわれた。
それは言葉で教えないのではなく、大事な部分は言葉にできないからみて師匠の治療の真意をおまえなりにくみ取れ、という意味だと知ったのはずっと後になってからw
システムを師匠はどのようにとらえ、どう対処しているのか。
自分でそのシステム以上に対処するとき、どのようにアプローチするのか。
自分で考え納得し、それを答えとしなくちゃいけなかったのだが、どこかに万能の公式みたいなもの、それはつまり完全な客観性を有する真実とその対処法があると信じて疑わなかった。
まごう事なき愚か者だった。 >>189
> >>186
> そんなレベルなら別に鍼灸じゃなく
> 黒魔術でも高価な壺でも何でもいいんじゃないのか?
その通り。
別に鍼灸などにこだわる必要はない。
効く効かないを突き詰めるなら、基礎的な知識すら必要ないかもしれない。
もっとも社会的にはそれではつらいが。
ただし一部の人間を除いて他に明らかな影響を及ぼせるようになるまでには、結構な時間や経験が必要だ。
その間あまりに自分が信じられない方法論に頼るのはつらかろう。
俺らは方法そのもので何かをしているケースは少ない。
しかし方法を通して何かを学び、そして何かに影響を及ぼす。
それがどうやら患者さんの利益になっていることは結構ある。
それはプラセボなのかもしれないが、それをうまく引き出せるならこれに勝るものはなかろう。
理論を学ぶのは、それは先人たちの智恵に触れるためだ。
そこには経験から来る膨大なノウハウがあるからだ。
なぜそのとき先人は感じ、そして実行したのか。
そこにはどのような背景があったのか。
それを勉強するのは、俺らのような職人にとってはとても大切なんだ。 東洋医学の治療家のほとんどが>>191と同じ意見なのか?
これって詐欺にちかいぞ >>192
> 東洋医学の治療家のほとんどが>>191と同じ意見なのか?
> これって詐欺にちかいぞ
俺と同じように考える人間ばかりかどうかはしらん。
ただ長期間臨床の場に立ち、その効果を実感し、そしてメカニズムの勉強をしてきて、そして生理的な事実との乖離に挫折(笑)した人間は少なくないはずだ。
そこを起点として考えてゆくとその先にある答えの一つが「本当に技術が功を奏しているのか?」という疑問符付きのものだったりする。
少し考えてみてくれ。
西洋医学の、生化学をベースにした方法論というのは、そんなに予想通りの結果をあげているのか?
むしろそうではないケースが多いと思うぞ。
もちろん名医はいるだろうが、それだってびったり計算通りということはあるまい。
外傷の緊急処置などはさすがだなと思うが、慢性疾患や機能的な問題は事実上手のでないものの方が多いような気がするのは俺だけか?
念のためにいうが、それが無駄とか何とかくさしているわけではないぞ。
俺が言いたいのは「正体不明の対象を相手にするというのは、そんなにうまくはいかないし、いったとしてもこちらの思惑通りに動いたかどうかわからない」ということだ。
俺らのようにそのアプローチが明確な基準に沿っているとはいまいち言えない方法論を採るならなおさらだ。
それでもなにがしかの利益を還元しているのは、俺らが想像する以外の機序が働いているのではないのか?
だからそれを利用できるなら、別に占いだろうが有酸素運動だろうがかまわないと思うわけだ。
俺らはずっと勉強してきたことを通してそれを利用する。
それだけだ。 >>193
追記
効果を現すために必要な要素がどんなものであるかはわからない。
全く不明といっても良い。
ただし練習次第で誰にでも使えて、特別な能力は必要なさそうだとは思う。 西洋医学もたいして効果をあげてないってのは俺の知り合いの鍼灸師も言ってたな
だがだからと言って東洋医学も効果をあげなくていいというものでもないだろう
その根拠が納得できるものであるか?ということが大切なんじゃないのか
とりあえず東洋医学は
やはり俺の思った通りのものだったということで俺的には終了 >>187
>多分だけど「生き物はそういう風にできているから」だろう。
説明するとなると容易ではありませんよね。
ですが、それなりの臨床家であればこの現象を否定する方はいないと思います。
>そういった心理状態はなぜか患者さんにも「雰囲気」として伝わる。
>まあこれは双方においてシステム全体の効率を上げるよね。
スレとの関係で控えめな感想なのかもしれませんが「雰囲気」として伝わるどころか
実際の臨床現場ではかなりシャープな現象として現れます。
むかし先輩たちが言っていた「ツボは効くのではない効かせるのだ」の意味はこれのようです。 >>179
そのネッシーウンヌンの例えは筋が悪いね。 >>195
> 西洋医学もたいして効果をあげてないってのは俺の知り合いの鍼灸師も言ってたな
> だがだからと言って東洋医学も効果をあげなくていいというものでもないだろう
> その根拠が納得できるものであるか?ということが大切なんじゃないのか
> とりあえず東洋医学は
> やはり俺の思った通りのものだったということで俺的には終了
東洋医学も効果を上げなくていいとはいっとらんよ。
ただその説明は万人を納得させられるものでは到底ないし、一般化も永遠に無理だろう。
根拠の納得は個々人によってあったりなかったりするものだから、施術側に確信があれば問題は無い。
被施術側は効果が納得できるものなら特段問題は無かろう。
いやなら来なくなるだけだし。
なかなかおもしろいやりとりだったよ。
また議論しような。 >>199
ありがとう。
特にいちばん上のヤツの幻肢痛のところは勉強になった。
ただ、講師が少し怪しげなところが良いこと言ってるのにもったいない。
現場では子宮を摘出しているのに生理痛なんていうのも多く経験する。
★おそらく女性にとっては長年にわたり毎月のことだから
★脳に不可逆性に記憶されているのであろう。
おそらくHKが腰痛の患者様の中には上記のような方もおられるであろう。
こういう場合、子宮切除している場合の生理痛も
普通の生理痛と同じ治療なのでしょうか。
これは反対側はないよね。
カイロや鍼やマッサージではどのような治療をするのでしょうか?