善人ぶるのは愚か

私は事件や事故、病気などで我が子を失った親に対して
感情的に同情することはあっても、理性的に同情したことはありません。
なぜなら、世の中にはそういった不幸があることを承知の上で産んでいるはずだからです。

だから、可哀想だと「思った」ことはありますが
可哀想だと「理解した」ことは一度もありません。

以前、ある人が「本当に自動車事故を起こしたくない奴は、そもそも車に乗らない」と言っていました。
彼の言葉は確かに極論ですが、ある意味正しすぎる極論です。
本当に子供を不幸な目に遭わせたくない気持ちがあるならば、そもそも産まないはずです。

いくら身内がその子の幸福を望んでいようとも
この世の中は損な役目を負う者が必ず出てくるわけです。
しかしそのことを忘れてしまう。幸福をつかむ為に忘れようとする。
「自分は大丈夫だろう」「世の中そのうち良くなるだろう」
誰もが最初はそう思うのです。

そして、その期待が見事に裏切られ
いつしか自分が損な役目に見舞われた時になって、ようやく思い出すのです。