外部、他者に自己の幸福感の承認を求めるっていうのは、自分自身のその状態に不安や不満があることと同義なんだ
本当はそれをしていても満たされていないし、楽しくないし、満足していないからから周囲からの評価がそれほど重要になるんだ

結婚も子供も一面では少し高価な石ころのような側面がある
身の丈に合わせれば、それを手に入れること自体は決して難しいことじゃないからな

そこで手に入れたものに喜びや楽しみ、満足を感じている人間にとっては外部の人間がそれを「自分には無用だ」と言おうが羨望の眼差しを向けようが、どちらにしても大して重要な意味は持たないだろう
それを持っていること、持っている自分そのもの、自分の手にしているものに当人にとって重要な意味が生まれてるからだ

だから客観的評価、他人との比較が重要になる時点で既にその人間は自分の手にしているものにも自分自身の状態、存在にも不満になってる
重要な意味を感じられてないんだ

なのに「こんなに満足してる、自分は羨ましがられるべき人間だ」なんて自分を騙すから心が荒むんだ
自分に嘘をつけば心はどんどん荒廃するように最初から出来てるから
って、こんなことばっかり考えてるよ
「不幸」は主観でも客観でも簡潔かつ自然とリンクする極めて分かりやすいものなのに、そのリンクが予め難解で複雑なように出来てる「幸せ」っていうのは一体何なんだろうなって

改めて賛同レス、お褒めの言葉をthx
ありがとう