教典と言うのは、いわば 物狂い、つまりは、仏教の噂話(うわさ ばなし)であって、仏教そのものでは決してないのである。
それを
あれこれ、言う。
一人はAとも解釈の余地がある。
別の一人は、Aでは不十分だそれはBだと展開しなければならない。
それを聞いてもう一人は言う、もう一度原点に戻り、再構築しなければならない。
こういう風にして進学学者は2000年間、いや、2020年間、パンと肉と葡萄酒を消費してきた、十分すぎる報酬である。