観念に瞬時に同化してしまう事も一種の逃避の反応で癖になってしまった事なのでしょうか?

生活しながら気付きましたが目の前の世界を認識するよりも観念の世界の方が大きく、影響も受けています。
手を洗いながらも様々な観念を次々に同化して熱中して行為も疎かになるので最近は物忘れも多いです。
手を洗う時に手の感覚に集中してみると変な感じになります。
でもあまり興味深いものでもないのでまたすぐ観念に入り込んでしまいます。
なぜこんなに、観念ばかりが、現実より大きくなるのですか?

観念に囚われず目の前のものを認識して過ごす生き方は子供の頃の世界ですか?
子供の頃は手を洗う感覚すら興味深く新鮮だったと思います。

でも子供は悟ってはいないのですよね?
(赤ん坊は悟っていると聞いた事がある気がしますがそれないですよね?)