>>446>>447 わしの言うとおり取り決めをしていないと同意したのじゃな。
 写メでよいという取り決めはして居ないと、わしは書いたのであるからのう。
 おぬしが取り決めはして居ないと返したならば、同意したことになるのじゃ。
 日本語が理解できる者ならば当然わかるじゃろう。

 そもそもおぬしが世親が阿頼耶識が現量であるとチベット語で書いた文の翻訳が在ると書いたのじゃ。
 それなのにそれが書けないとは一体何故なのじゃ?
 おぬしがそのようなことを書かなければ、わしもチベット語の翻訳などは請求しないのじゃ。
 おぬしがそれを書かなければ議論にもならないのじゃ。
 また自分で自分を論破しているのじゃな。
 速やかにチベット語の翻訳を書くのじゃ。

>>449 自分で話したのを弟子が伝えたのじゃ。
 梵天は智慧のたとえとも言えるじゃろう。
 それもまた真実なのじゃ。
 ブラフマンとは全てである意識そのものであるからのう。
 智慧もまたブラフマンなのじゃ。

 そのように言えるじゃろう。
 
>>453 わしもしぬじゃろう。
 何も思わないのじゃ。
 わしは死んでも永遠に安楽であるからのう。
 すべての者は死に人類もいずれは滅ぶのじゃ。
 悟ったものだけが永遠に安楽に在るのじゃ。