>>952 報告はしなくて善いのじゃ。
 ただ自分が実践すればよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>954 それはおぬしが依存しているからじゃろう。
 依存していない者は病にもならないのじゃ。
 依存したいから自分を病にするのじゃ。
 親の方もおぬしに依存しているから病になれという言動をするのじゃ。
 おぬしの親はよくおぬしがおかしいとか、体が弱いとか言っていたかもしれん。
 共依存なのじゃ。

>>956 孤独とか寂しさから依存するのじゃ。
 孤独からの逃避なのじゃ。
 それを心の中に追求するのじゃ。

>>957 治ることもあるじゃろう。
 そして親から離れると善いのじゃ。
 治らなければやはり親から離れると善いのじゃ。
 
>>959>>961 自分のジャッジはただの観念なのじゃ。
 そうであるから本来過ちでもないことでも自分を責めたりするのじゃ。
 道路の境界線を踏んだから自分は駄目な奴だと想うとかのう。
 子供の観念遊戯と同じなのじゃ。
 おぬしの心の働きはこのような子供の観念遊戯と全く同じではないか、心を観察して見極めるのじゃ。


 報いは自他を平等に見る智慧から起こるものじゃ。
 他人にしたことが自分に還るだけなのじゃ。
 道路の境界を踏んでも何の報いも無いのじゃ。

>>963 おぬしの寝床ではないのかのう。
 渡部じゃな。