理論として道理として文脈としての正しさ
「北半球では方位磁石の針は常に北を指し示す」
これに「常に北じゃないかも知れない、北だと思っている個人の価値観かも知れない、針の指す方向は人それぞれの価値観によって変わる」という異論反論を呈する人間が居たとしたらその人間は事実事象、現象、物理や因果と照らして誤った主張をしてることになるだろ
反出生とは無関係に「作られたから苦しむ」自体はただの因果的な道理の解説であり方位磁石と北との因果関係を示す文章同様に唯正しい
作られずに苦しんでいる者の存在を証明出来ず、また苦しむ者は常にかつて作られたが故に存在している者だからだ
この部分を個人的な価値観だと主張するならそれは上の誤った反論と同じだということになる
ではそのただの単純な正しい因果の説明から何故「作るべきではない」という反出生的な帰結が導かれるのか

その導きへの因果自体もまた実際には個人の価値観とは無関係なものなんだ