攻撃欲が多いとちよっとしたわなとか、だましとかフェイントに引っかかってしまうのじゃ。
むしろ攻撃欲を抑え、冷静になることで勝つことも出来るのじゃ。
それによって攻撃欲をコントロールできるようになるのじゃ。
それらを実践しなければそれが出来ることも知らなかったじゃろう。
そうであってこそスポーツや武道も実践した意味があったということになるのじゃ。
それを他人にも教えるならば、慈悲の行為にもなるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>961 完全に観察が出来れば一瞬でもできるじゃろう。
完全でなければ一生やっても出来ないのじゃ。
本心から観察しようと思っているものは容易く出来るじゃろう。
心が自分であり、それを失いたくないと心の奥で思っていれば難しいのじゃ。
自分の本心をよく観察するのじゃ。