>>935 異常ではないのじゃ。
 自分を認めると善いのじゃ。
 愛によって苦しむことがないのは得なのじゃ。
 世間に飽きたら悟りを求めて修行すると善いのじゃ。

>>936 むしろ答えすぎなのじゃ。
 無こそ真の答えなのじゃ。

>>940 最初から無いのじゃ。

>>941 全ておぬしに与えるべきじゃろう。

>>942 おぬしがおっさんと思った年からなのじゃ。

>>946 うまいもんじゃろう。

>>950 狙って善いのじゃ。
 それもルールの上で健闘した結果であるからのう。
 
 攻撃的なスポーツや武道は、攻撃欲をコントロールするものであることを常に心がけるのじゃ。
 自我のある人間には自らを守ろうとして、攻撃する欲が生じるものじゃ。
 それも恐れから起こるのじゃ。
 恐れが過剰な者は、攻撃欲も過剰となってしまうのじゃ。
 それをうまくコントロールできない者は日常で事件を起こしたりするのじゃ。
 スポーツや武道でコントロールできれば、そのようなこともなくなるのじゃ。

 達人は争いの場でも自分も他人も傷つけずに収めることができるのじゃ。
 そのようになればスポーツや武道をしていた意味もあったということになるのじゃ。
 自他の利益をもたらす慈悲の行いになるからのう。
 そのような者は人より優れた境地以上に生まれることが予想できるのじゃ。