鬼和尚さん?

あなたの言う観察って、伝統的な仏教の方法とは全然違うようですが?



止は、観察の対象(業処kammatthAna)が一つに限定され、他のも のに心の働きが移った時に、最初のものに戻るという特徴が見出されます。
目指されているものは心の働きを減少させて静かにすることです。

ここでも心の働きの一つ一つに「気づく」ことがポイントになります。


一方の観は、観察の対象が一つに限定されず複数のものになり、恒に身体が感じ取っているものを気づき続けるところに特徴があります。
目指されているものは、受→想→行→識の一連の心の反応を途中で気づいて、心が一気呵成に反応して、さまざまな働きを生じさ せることから脱却させることです。

ここでも「気づく」ことはポイン トになります。

「仏教瞑想論 ──アジア諸地域の特徴について── (箕輪顕量)」