>>233
他者への危害というのは考えたこともありませんでしたが、確かにおっしゃっている事に誤りが見つかりません。
奪う、奪われるという行為は物質の移動でしか無く、人間の認識による作用を無いものだと考えて善悪の区別を無くしてしまえば、咎める理由すらなくなってしまう。

犯罪の咎を後悔する事なく受け、善悪による自己肯定や罪悪感を消し、自然の状態でいるなら、何も誤りを見出せません。
社会への調和ではなく自然や宇宙との調和を考えてみれば、ただの移動でしかありませんね。
過去の聖者の答えはどのようなものなのでしょうか。