悟りというのは答える事が出来ない

悟りは意識を超えているが、答えるとすぐ意識が生じる

悟りは言葉による説明を超えているが、答えとすぐに言葉による説明に堕ちる

悟りは相対分別を超えているが、答えれば相対分別に陥る

無を認知したといっても、無もまたつかむことが出来ない。つかむことが出来ない事を知ったといったところでそれもまたつかむ事はできないよ

このような認識や言説は計らいや執着に過ぎないんだよ