>>549
>私とは世界から私を切り離し私に名前を付けたことから生じていることを自覚しました。
>それが生きる苦しみと死の恐怖を生み出していることを自覚しました。

そうなのですよ。その通りなのです。
それをさらに深く徹底的に解明し詳細に描写することによって、他の人々も同じ洞察を得ること
を教え続けて来たのが仏教です。

例えて言えば、日本の関孝和の<和算>を考えてみればよいでしょう。<和算>の世界では
欧米の「微積分学」などと言う言葉も知らずに、微積分の基礎的な部分を理解していたのです。
<和算>だけを知っていた人は、「微積分学など関係ない。そんなものは知らなくても同じ計算が
は出来る」と言うかも知れません。ところが、現実は「微積分学」の理解と発展は「和算」レベル
では及びもつかないほど発達しているので、<和算>だけ知っていた人も最終的には欧米の「数学」
の世界に入って行くことになるのです。

宗教体験の世界でも同じです。仏教のことなど知らずに似た体験をする人もいるのですが、
仏教はそれを2500年以上も追求し続けて来た世界なので、個人的な体験をした人も仏教を
学べば、自分の体験がさまざまな人によってさまざまな角度から徹底的に研究されている
ことを知って驚くことになるのです。