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ダッカ航空人質事件ではテロの要求を呑んだのに
0001国連な成しさん垢版06/02/01 07:04ID:4JN16Egc
1977年9月28日、パリ発羽田行きの日本航空機472便(DC-8、乗員14名、乗客137名、犯人グループ5名)が、経由地のインド、ボンベイ空港を離陸直後、拳銃、手投げ弾などで武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた。
同機はバングラデシュのダッカ国際空港に強行着陸、犯人グループは人質の身代金として米ドルで600万ドル(当時の為替レートで約16億円)と、日本で服役および勾留中の、メンバー及び日本赤軍に加えようと目をつけた囚人
(新左翼活動家や、「獄中闘争」を評価した一般刑事犯)9名の釈放を要求し、これが拒否された場合、または回答が無い場合は人質を順次殺害すると警告した。この際、アメリカ人の人質を先に殺害するという条件がついており、
今後の日本の対応にアメリカへの外交的配慮があったとする見方もある。
バングラデシュでは、事件中にこれとは別件で軍事クーデターが発生するなど、現地は緊迫していた。
日本国政府は議論の末、10月1日に福田赳夫首相が「人命は地球より重い」と述べて、身代金の支払いおよび、
超法規的措置としてメンバーなどの引き渡しを決断。身代金と、釈放に応じたメンバーなど6名
(3名は拒否。内訳は、赤軍派系連合赤軍メンバー1人と、系列外の新左翼活動家2人)を日本航空特別機でダッカへ輸送した。
10月2日、人質との交換が行われ、乗員乗客のうち118名が解放された。10月3日、残りの人質を乗せたままハイジャック機は離陸、
クウェートとシリアのダマスカスを経て人質17名を解放、アルジェリアのダル・エル・ペイダ空港に着陸して、同国当局の管理下に置かれた。
この時点で残りの乗客乗員も全員解放され、事件は終結した。

しかしこの日本の考え方は国際世論的にはダメでありテロの要求には応じないというのが一般的であったそうで
国際非難を浴びたらしい。
日本の考え方がいいのか、国際世論がいいのか議論しよう。
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