華氏911 あれ本当?
もう一つ我々に可能なことは、
公式説と食い違う具体的な証拠を調べて、
誠実になり、心を開いて、物事の両面を見ようと決意することです。
そして事実は何なのかを自分自身で決めることです。
911で問題となる証拠に触れた際に起こる自動的な初期の反応の例があります。
「私は真実を知りたくない。否定的になりすぎてしまい、心理的に落ち込んでいくだろうから。」
「私は知りたいと思わない。もしそれが真実なら、上と下があべこべになってしまう。
人生がすっかり変わってしまうだろう。」
これらは信念であり、科学的な事実ではありません。
しかしこれらの信念が、事実に基づいた証拠を見ないようにさせるのです。
我々が「信じるのはごめんだ」というときに、目の前に立ちふさがる証拠が耐え難いもので
我々の世界観とあまりに矛盾することがはっきりと分かるのです。
これらのあらゆる反応について考えながら、その全てに共通することに気付きました。
それは、恐れの感情です。
人々は村八分にされることを恐れます。疎外されることを恐れ、遠ざけられることを恐れます。
生活が不便になることを恐れますし、生活を変えなければならないことや、困惑すること、
心理状態が悪化することや、無力や弱々しさを感じること、そして
沸き起こってくるそんな感情に対処できなくなるのを恐れているのです。
誰一人、無力さや弱々しさを感じたくありません。
癒しがやってくるのは、真実と向き合い、それを経験し、その感覚を受け入れることを通してです。
もし恐れの感情があるのなら、それらのことはたぶん、
今まで考えたこともない、たとえば社会の中の暗黒の要素によって
引き起こされたのだというものです。
それを受け入れ追及することにしましょう。
起こったことの全てに光を当ててください。それが最大の癒しのプロセスです。」
『911 爆破の証拠ー専門家は語る』 イラク侵攻により空爆開始される2日前にバックパッカーで偶々イラクに入国していた。
宿泊先からでも夜空一面に煙が舞っていて最初は花火だと思ったほど。。
エジプトから来ていたオマールが、リョースケ危ないから外に出るなと止められ、そこで事態の異変を察した。
オマールはテロだと思っていた。
翌日、明るくなるまで一睡も出来ず、皆で外に出てみると地獄絵図・・・
言葉で表し難い程の残酷だった、辺りに焼けて硬直した死体が散乱し、トラックの後ろに爆発で引き裂かれた顔の皮膚がこびりついてたり、焼け焦げた片腕が転がってた。
頭の中はパニックで放心状態に近く、死体を怖いとかエグいとかグロテスクだとかいう感情がないんだよ。
もう頭が正常に判断していない感じだった。
結局、空港も殺到してパニック。
俺はバックパッカーなので帰国という手段より安全な隣国を目指して移動していくのみだった。
まず安全地帯の情報を慎重に得る必要があり、衛生電話や大使館などの情報を繋いでいく。
空爆の翌々日、俺が立ち寄ったレストランのマスターが黒焦げの死体を抱きながら泣き崩れていた。
手に黒焦げの日本のコマを持っているんだよ。俺があげたコマだった。
もう涙が溢れて止まらなかった。
空爆から1週間以上経過した頃、なにやら群衆が群がってアラッーフアクバルやシャハーダを叫びながら、なにやら棒で叩いてるんだよ
エシュヘドゥ アナーハ アッラー イルゥッラッラー・・と泣きながら何かを叩いてる つづき
近寄ってみると、米兵2人が木でボッコボコにされていた
捕縛されていて、一人は顔面が腫れ上がり何とか生きている様子だった
もう一人は既に息絶えていた。
すると、空爆で殺されたのだろう、ターバン巻いたオジサンが3・4歳ぐらいの死骸を抱きながら、泣き叫び、私の大事な娘をどうして殺した!
何の罪もない私の娘をなぜ・・と嗚咽を漏らしながら米兵を棒で叩いていた
俺はどこの国に行っても日本人としての自覚を大事に持っていた。
俺はその時、思った
俺らの先祖も広島長崎で同じ目にあったんだと・・・
目の前の光景が実際に俺が生まれた日本でも起きていたんだと。
気づくとオジサンに、私は日本人、この死体はUSアーミー? 棒を貸してくれと言った
すると周りの群衆が、なんだなんだ日本人が止めに来たのかという感じで、不思議な面持ちで近づいてきた
俺は続けた。あなた達の気持ちが今とても分かる。私の国日本もワールドウォー2で広島長崎にアトミックボムを投下された。棒を貸してくれと受け取って無我夢中で号泣しながら米兵の死骸を殴った。
この話を帰国後に友にしたら、否定はされなかったが、よくやったと言う友と、複雑にそういう心境になるのかもなという声で分かれていた。
しかし、いくら思い返しても良かったとか悪かったとかいう次元の話ではなかった。
目の前でそういう状況を目の当たりにした時に日本人としての原爆被害の感情とイラク国民の空爆被害の感情が偶々重なって共感してしまった イラク市民の何人かとは今もFacebookで繋がっているが、俺はイラク侵攻を目の当たりにした以来、大の反米主義者になった。
と言っても、左翼の考えに否定的であることも念を押しておきたい。
かといって右翼でもないと思っていて、純粋に自国の日本に生きる上で天皇陛下を敬愛し、先祖を敬う気持ちを大事にしたいというのみが譲れないポリシーとなった。
棒で米兵を殴ったあと、オジサンと二人して号泣しながら抱き合う形で泣き崩れた。
それを日本だと小学5、6年ぐらいのイラクの少年が自分の服を抜いて涙を拭いてくれるんだよ
もう涙腺が切れたのではないかというほど涙が止まらなくなった
その後、群衆の人たちが日本人泊まる場所はあるか?お腹空いてないか?うちに来いと言って下さり、お世話になった。
その後はひたすら、瓦礫の下敷きになった人をイラク市民と一緒に掘り起こし、水を運んできたり、包帯を持ってきたりと右往左往だった
よく、ジャーナリストの人たちがカメラを回し、その映像がテレビで流れるが、実際はもっと過酷だと感じて見てしまう
何秒間におさまり切らず、カメラを撮っている暇もなく、ただ無我夢中で身体が勝手に動いている感じで、
まだ息のある子供を抱きかかえて走って代用病院に運んだり、大人を両脇から肩を貸して抱えて連れて行ったりを繰り返していると、腕が相当痛んでるのだが麻痺してくると知った。
戦争はやっぱり嫌だよ。
反戦運動とかは何となく戦争を実際に見ていない人が別の思惑から利用しているのではないかとか思えたりして、そういう活動に参加してどうこうしたいとは思わないのだけど、反戦の気持ちは強いと感じる https://i.imgur.com/01bo6dy.jpg
「電通が嫌いならハイジャックして汐留のビルに突っ込んでみろ」こいつ911遺族の前でも同じこと言えんのか 華氏911がどこのサブスクにもないんだけど
禁書扱いだよねこれ