●「原爆の子」追悼ライブ おいの歌手 3日福岡市で    
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050802-00000074-nnp-kyu

 広島市で被爆し、白血病のため一九五五(昭和三十)年に十二歳で亡くなり、
同市の「原爆の子の像」のモデルとなった故佐々木禎子さんのおいのロック歌手、
佐々木祐滋さん(35)=福岡県春日市出身=が三日、五十回忌ライブコンサートを
禎子さんが眠る福岡市で開く。祐滋さんは「原爆が生んだ悲劇と禎子が教えてくれた
家族愛のすばらしさを、自分たちの世代に伝えたい」と語る。

 「禎子さんのDNA(遺伝子)が入っているのだから、彼女の歌を歌って」

 二〇〇〇年夏、東京での平和集会での出来事だった。禎子さんの兄でもある
父雅弘さん(63)=同県那珂川町=と一緒に参加した会場で、見知らぬ高校生の
一言にハッとした。

 禎子さんのことは、幼いころから雅弘さんや祖父から聞いていた。家族を気遣って
亡くなるまで「痛い」「怖い」と言わなかった十二歳の少女。「僕にはまねできない」と
尊敬していた。毎年、福岡市内に墓参りにも行った。しかし、中学時代から始めた
バンド活動で歌うテーマとは思わなかった。「身近にありすぎて見えてなかった」。

 〈泣いて泣いて泣きつかれて 怖くて怖くて震えてた 祈り祈り祈り続けて 生きたい
と思う毎日でした〉(「INORI」)