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孫皓は、三国時代の呉の第4代皇帝
10歳のときに皇太子だった父が廃位となり正室供に自害
帝位に就いた当初は、人民を哀れみ、官の倉庫を開いて貧民を救ったり、官女を解放して妻のない者に娶わせたり、御苑を開いて鳥獣を解放するなどの政治を行い、明君と称されたこともあるという。
やがて粗暴で驕慢な人物となり、かつ小心で猜疑心が強く、酒と女を好むといった風であったため、地位のある者もない者も皆失望したという。
一方で、呉滅亡の責任を一身に負い、家臣には晋に仕官し才能を発揮するようと伝えている。