宇宙には果ても無もない [無断転載禁止]©2ch.net
宇宙を四次元空間だと仮定すれば
宇宙が果ても無もなく存在していることを証明できる 四次元は三次元の無限集合で実在するなら三次元は無限にあるのかな?
0次元は実在しないし。
次元で説明するで実在しないんじゃないかな
時間もまた 無限自体が概念で存在しない
0と無限が出て来た時点で理論は破綻する 宇宙学者A「宇宙空間は球体だから、果てし無く突き進むと、最後は最初の地点に戻る。」
↑これって知ったかぶりの詭弁じゃね?なら四畳半の俺の部屋も球体にしたら果てが無くなる訳か・・・・? >>142
観測されるかされないかは関係ない
実際宇宙の全天球で同じ星のパターンがないか探してる学者もいる
無知がどう頑張っても無知乙 >>145
>実際宇宙の全天球で同じ星のパターンがないか探してる学者もいる >>145
量子力学を一生理解できないタイプの人間の見本 >>145
その宇宙学者の話は球体の表面を二次元宇宙として例えた話だろ?
球体の内側を移動できる四畳半の球体とは訳が違う >>149
>その宇宙学者の話は球体の表面を二次元宇宙として例えた話だろ?
違う >>150
そうなのか?
球体の上に真っ直ぐ線を引くともとの場所に戻ってくるのと同じ原理で、それを三次元に拡張した理論だと思ってた
それがいわゆる閉じた宇宙じゃないの?
実際には観測によると曲率はほぼ0に近く、この宇宙は平坦らしいが(平坦性問題)
ちなみに閉じた宇宙は高次元の世界なので、頭で形を完璧にイメージするのは不可能だよ >ちなみに閉じた宇宙は高次元の世界なので
間違い
背伸びすんな 3DCGソフトで平行投影の状態がどこまでもつづく平坦な空間
しかし実際にはこんな空間はない >>155
>平坦な空間
アホの戯言
並行投影はレンダリングの仕方
何の関係もない 宇宙の始まりがブラックホールのような凄い重力で時空も存在しなくて量子揺らぎだけがあるようなものだったら、その反対の状態が宇宙の果てって事なんじゃないかな。
さっぱりイメージできないけどw 凄い重力や密度なら脱出出来ないから
ビックバーンなんて起こらんだろ
理論自体が間違ってるよな まず無の定義ができない
数学最大の発明?は0という数字を作ったことなんだけど
ないものがそこにあるという状態を現実世界では造れないし証明できない 無限大がないから0も無いわな
計算上でなく、現実にビックバンを実現させないと
本当の証明では無い
観測で得られたものは存在の証明にはならない おまえらまだ分かってないのか・・
無とはブラックホールのことだよ 重力粗無限大になったらほぼ時間は停止するんだよ。
それを時間も空間も無い状態=無って言ってる。
情弱向けにね。 >>167
× 重力粗無限大に
○重力がほぼ無限大に >>172
>>167
>重力ほぼ無限大になったらほぼ時間は停止するんだよ
それを時間も空間もない状態=無っていってる
事象の地平面に近づけば近づくほど時間の流れが遅くなるのは分かるけど、それと空間が消えることに何の因果があるの?空間はあるから無じゃないだろ ほぼ無限大というのはどんな数値なんだ
かなり大きな重力としか言えないはずだ >>174
酔っぱだから説明できんw
詳しくは
神の数式を見てくれ。
https://youtu.be/HG7BYsJ3U8o
相対性理論だと無限大になっちゃって式が破綻するんだけど
最小単位では弦の振動が揺らぎを持っていてそれが熱を発生してるなんちゃらかんちゃらw
んでどっかーん! インチキ理論だから無限大なんて言葉で誤魔化すんだよww >>177
弦理論によって無限大問題は解決されてますが? 宇宙に果てがあるとなるとお前ら、その果ての外側には何があるか訊くだろ?
だからそうならないために宇宙には果てがない 太陽系が8万光年も位置ジャンプしたってマンデラエフェクトがあるんだけどどう思うよ?
ちょっとここで解説してよ
【マンデラ】現実と違う自分の記憶28【宮尾すすむ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/occult/1544529015/ 座標原点、つまり静止、始まりが自然に実在したら光速度一定の原理が成立しない
わたしが生まれる→物理状態の変化
わたしが死んだ→物理状態の変化
何も生まれない、無くならない
つまり自然に生死は実在しない
自然自体も生まれない、無くならない 太陽、いや全ての天体は地球の周りを運動しているように見える
太陽から見たらそれは同じ
見る、観測は静止という仮定が必要だからそうなる
つまり観測自体は天動説と言える 観測はこの意味で直接自然を反映していない
同時の相対性は観測するからこそ
まさに観測問題
あくまでも観測された自然だ わたしという物理状態は赤ん坊から今に至るまでわたしという同一で捉えられる
しかし一瞬たりとも同一であることはない
運動変化する自然を理解する論理もまた静止
理解そのものが天動説
つまり実在しない静止で理論は展開される
理論は人間のもので、それは自然には実在しない 天動説は地球からはそう見えるのは真実
太陽が地球の周りを運動していると理解したら誤り
地球以外でしか観測出来ない時代は、地球からはこう観測されるが、といろいろ「翻訳」され理論は展開される 光速度一定の原理は、座標原点の実在を否定した
この原理は私たちが自然を理解するには座標原点、静止が必要だが実在を否定した
この原理は理解の自己言及でもある 座標原点が実在しないなら始まりは実在しない
始まりが無いなら終わりもまた無い
終始が実在するという理解はエネルギー保存則、光速度一定の原理の否定
ビッグバン仮説は観測に必要な静止、座標原点、静止が実在するという天動説 理論は実在しない基準を設定して展開される
天動説モデルはその範囲では真理
太陽モデル、銀河系モデル、大構造モデル、つまり理論はそのように展開される
理論は認識理解する人間のもの
自然に理論、論理は実在しない 自然は実在しない座標原点を設定して理解される
始まりが実在しないから有限は実在しない
有限で無限を理解しているだけ
観測は静止で為される
論理は同一で 自然はエネルギーの濃淡の海から成り
全ては〜に成るだけ
観測問題は波が渦の状態だとすれば良いだけ
ブリゴジン学派はそう予想して研究をしている
無限の海なら終始は実在しない となりの家の事も知らないのに宇宙の果ての事語るな! 宇宙の外側をおどろおどろしく想像している人が多いけど、
宇宙の外側は光が届かない、情報のやりとりが不可能なだけで俺たちの周りとなんら変わりがない空間だよ
コンビにもあればポストも赤い、なんらおどろおどろしい世界ではない 行けども行けども宇宙の外側とやらには辿り着けないから それは困った!いけどもいけども行っても辿りつけない世界とは! 行けども行けども辿り着かない領域は、いけどもいけどもやっと辿り着いた地域がかつて行き来していた世界
かつては交流していたのでコンビニもあればポストも赤い似たような世界が広がっていた ブラックホールの逆の概念の様な所だと思う。
けどそれがどういうもんか全く想像がつかないw 星の密度は限界があるが
空間は際限がない。人の脳では認識できんし。
頭がおかしくなるぞ。 宇宙は一様で、特別な方向を持たない等方的であるとする宇宙原理がアインシュタイン理論の前提となる 光より速いスピードで膨張してるんでしょ?
っていう事は
光より速く空間が広がってるとイコールだよね?
っていう事は端っこ付近は超ウルトラスーパー何にも無い真空
って感じなんだよね?
という事は? 宇宙は一様で、特別な方向を持たない等方的であるので、中心も端っこもない 宇宙の果てには、たぶんコーラの瓶が落ちてると思う。 コーラ誕生から現在の宇宙の果てまでコーラの便を飛ばすには宇宙全体のエネルギーの10倍のエネルギーが必要 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆輪廻卒業キャンペーン・魂の回覧板☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
近年は地球文明の絶頂期を迎え、ここ日本もストレスの多い社会となって参りました。
そこで宇宙の法を理解して、今生を縁に輪廻転生を卒業しませんか? 蓮の花は泥沼から咲く♪
〜世界と人間のシステム〜
◆この世界は仮想現実(VR)のようなものである。
◆現れた世界のすべては全自動の因縁生起プログラムによって動いており、
ほんとうは個人的行為者は存在しない。ほんとうは誰一人この世界の動きに介入できない。
どんなに高次の存在がいたとしても、それも人間同様にプログラムで動いていると思われる。
◆人間は自我の催眠システムによって、ほんとうはプログラムどおりに動いてるのに
自分の意思で心身を動かしてる、と感じる催眠状態にある。
◆しかし仮想世界の中では行為の責任が個人に負わせられるのは、倫理上しかたのないこと。
◆人生は神聖なるジョーク。すべては宇宙意識の戯れであり、人間の意識もその深層の宇宙意識の一部。
ある意味では意識の中に世界と人間(=仮の自己)が現れ、霊魂が「私」という存在感覚を自我に投影する。
◆生きてる間に自我のシステムに何らかの強い力がかかって自我が落ちる(催眠が解ける)
ケースがあり、それがいわゆる悟りを開いた人たちで彼らは今生で輪廻を卒業する。
◆人間が体験する事象は、基本的には自分の深層意識にストックしてある過去の行為のデータ
を使って現象化してると考えられる。(人間関係なら自分と相手、集団ならその構成員たちのデータ)
◆このデータは前世から現在までのもので、現象化されればデータは消えるが、ネガティブ現象においては
それと戦ってしまう自我の防衛システムによって新たなネガティブデータが保存されやすい。
◆このデータが現象化される速度はピンキリであり、人の深層意識の状態と運命によるが、
おそらく平均的には人生の全行為の1/2以上は来世に持ち越される。 ◆この仮想プログラムは自然発生的に起こっていて、厳密な意味での全知全能のプログラマー(創造神)
のようなものは存在しないと思われる(創造の原理は存在する)。
◆高次の視点で見れば、すべての事象の運命は先々まで定まってる可能性が高い。
◆全ての二極性は表裏一体であり、輪廻の中に現れるあらゆる状況は時間の中でバランスをとる。
◆現時点の人類のDNAシステムと自然界のエネルギーバランスでは、生前に自我の催眠が解けて
解脱する(真我に目覚める)のは稀なケースで、今その部分の転換期に差し掛かってるのかもしれない。
◆しかしこれは仮想世界でほんとうは個人は行為者ではないと確信してそのことをよく考え抜き、
自我に根ざした行為を控え、ハートに根ざした道理に適った行為を心がけて深層意識のデータを浄化し、
真我は不生不滅でありそれはこの仮想世界とそれが現れる源泉の両方であることを確信して死ねば、
死後に輪廻を卒業してニルヴァーナに常にある荘厳なる至高の実在に目覚めると思われる。
◆しかし本当はそれは誰にとっても今の瞬間に存在する。眉間の後ろのほう(脳の中心部)とハートの中心に
全てである真我(≒無)への入り口があるが、その入り口の感触はたいてい味気なく感じられよく無視される。
幼い純粋な子供はその入り口の感触をおぼろげながら感じており、自己と世界の関係性が親密である。
その入り口の最深部から、仮想意識とその中に時間と空間の仮想世界がいま現れる。
現時点で多くの人間は我欲を主体とし、宇宙の法に従った生き方をしないために至高の統一生命が無視され、
延々と輪廻(幻想)の海を漂ってる可能性が高い。なお、宇宙の法は人生の境遇が悪ければ悪いほど甘くなる。 ◆そのような世界観を直感的に確信して賢く生きれば、仮に死後に輪廻したとしても、
深い洞察と良縁に恵まれた好ましい流れの運命を享受できる可能性が高い。
◆生前に「来世」という可能性も少し考慮して行為するのは理にかなってるかもしれないが、
死ぬ間際に来世という概念(イメージ)を強く持ってしまうと、それが輪廻の卒業を妨害する可能性がある。
自分で死期が迫ってることがわかるケースでは、最期にはなるべく欲望・執着を捨てて、
あらゆる概念を放棄してハートの中心(自我と真我の連結点)で静かにしているのがよい。
◆人生を例えるなら、それは既に作られたシリーズものの映画を見てるようなもん。
我々はほんとうは真っ白なスクリーン(=至高の実在、ホトケ)でありその中の小さな点(=霊魂)でもある。
その小さな点が、登場人物の視点から映画の中の世界を見てる(衆生本来仏)。
つまり人間はいわば夢に見られてる側であり、ほんとうは誰も生まれず誰も死なない。誰も何もやってない。
自分が世界の中を動き回ってる、という感覚は自我の催眠によるもので、
実際には霊魂の前に仮想意識とその中に仮想世界が現れて、その中の同化してる登場人物が
動き回ってるようなシーンが現象化されてるだけ。
◆生前に自我の催眠が解けて解脱した場合、メインの自己感覚は真我(映画でいうとスクリーン)の側になり、
仮想意識に中に現れた人間としての自己感覚は非常に小さくなり(ほとんど私は人間だとは感じられない)、
自分が行為者(行為の司令塔)であるという感覚もほぼ消失する。この状態には非常に現実的なパワーがある。
あえて肉体のレベルに焦点を合わせれば行為者の感覚が発生するが、それは偽りだという感覚が同時にある。
メンタルシステムの最大の障害物である自我が抜け落ちてるので、心はエナジーと喜びに満ち、
常に現在の瞬間を直感的に的確に捉え、慈悲深く注意深く道理に適った振る舞いを自動的にするようになる。
精神的にはネガティブ感情も起こるが幼子のように速やかに消えていく。
自分のことでは精神的には悩まないが、人々が苦しむのを見て胸を痛める。 肉体的な痛みは、
肉体のレベルにおいては普通の人と同じように感じられるが、同時に真我の位置からの観照が起こる。 観測できない宇宙の果てはどうなっているのかしら、空間だけはあるのかな 無限のエネルギーを無限の空間で割れば有限の1になる
無限÷無限=1だ >>219
ディラックの海
神の方程式のでなんかいろんなものが 地球人の脳は宇宙人に乗っ取られています。
地球人に対する最後の秘密、最大の真実は宇宙人/ETは、地球人の脳を遠隔操作
することができる高度な技術を持っているということです。
それがすでに世界中の大多数の地球人に使われています。
これが今最も地球人が知るべき脅威です。
なぜなら事件・事故・戦争・病気・天災などの不幸な出来事も宇宙人が人間を操作して行われてきたからです。運命操作とも言えます。
いま宇宙人情報の隠蔽派・公開派で争いが起きており、
公開派の方々が隠蔽派に攻撃されている例が多くあります。
・週刊誌連載を持つ某有名漫画家のように、身体被害を受け年に数週しか連載
できないような状態に体と精神被害を受けている事例
・脳のハッキングを扱う作品を書いた漫画家が、自宅兼職場を火事で消失させられた例
・UFOや地球外知的生命の国際発表を控えていたケネディ暗殺
・宇宙人問題評議会イベントを行った方の実家を火事で全焼させ、その方の叔母も死亡させるという攻撃
・宇宙後講座を行っていた方の脳内をテレポート攻撃し脳卒中にさせた被害
・元海兵隊員が神父へ銃乱射をした後、ホワイトハウスのフェンスから宇宙人
告発文書を投入し逮捕された事件(2016年)
地球外からの干渉による実在する被害を、神仏や霊が起こす現象として古来から
伝えてきたものを、非科学で実在しないとした嘘の社会はこれから真実を正しく
伝える社会に変える必要があります。 ヒッグス場やその他の場がまだ全く存在していない最初期の宇宙空間では
有と無の揺らぎの有は、生まれてすぐに無限に膨張していっただろう 最初に無限に膨張していった無と有の揺らぎの有が
現在のあまねく行き渡る真空エネルギーの正体であり、
最初の「場」であり、最初の相転移かもしれない そして真空エネルギーが行きわたった状態で、
もう一度無と有の揺らぎの有が膨張しようとすると
真空エネルギーという場を通ることによってエネルギーの大爆発=ビッグバンとなる デジモン(デジタルモンスター)シリーズのアニメの最新作を放送してね
デジモン(デジタルモンスター)シリーズのアニメの完全新作を放送してね
デジモン(デジタルモンスター)シリーズのアニメの新作を放送してね
デジモン(デジタルモンスター)シリーズのアニメの次期作を放送してね
デジモン(デジタルモンスター)シリーズのアニメの次回作を放送してね
デジモン(デジタルモンスター)シリーズのアニメの続編を放送してね
デジモン(デジタルモンスター)シリーズのアニメの続きを放送してね
デジモンチャンピオンシップは傑作だよ
デジモンチャンピオンシップは秀作だよ
デジモンチャンピオンシップは名作だよ
デジモンチャンピオンシップは良作だよ
デジモンチャンピオンシップは佳作だよ
デジモンチャンピオンシップは上作だよ
デジモンチャンピオンシップは意欲作だよ
デジモンチャンピオンシップは話題作だよ
デジモンチャンピオンシップは超大作だよ
デジモンチャンピオンシップはネ申アニメだよ
デジモンチャンピオンシップは神アニメだよ
カレンダモンの必勝
カレンダモンの完勝
カレンダモンの全勝
カレンダモンの奇勝
カレンダモンの連勝
カレンダモンの戦勝
カレンダモンの制勝
カレンダモンの優勝
カレンダモンの楽勝
カレンダモンの圧勝
カレンダモンの完全勝利
カレンダモンの大勝利
カレンダモンの勝利
カレンダモンの勝ち 2機の宇宙船が光速で飛んですれ違う。だけどどちらの宇宙船から見ても
相手は光速で飛んでいるとしか見えない。光速の2倍の速さにはならない。
簡単なことで宇宙は無限で果てが無いから座標もない。
つまり自分の宇宙船は対象物に対して光速で飛んでるつもりでも、
宇宙の中では座標がないので静止してるということになる。
だから止まった位置から相手を見てる状態になる。
だから相手が光速で飛んでるとしか見えない。
この状態が理解できないのが人間の脳の限界。 宇宙には真恒星というものがあってだな。
そこから毎日粒子やらエネルギーやらが溢れて膨張しているんだよ。
そのエネルギーが届くギリギリの場所が宇宙の端。
天の川銀河はその真恒星の衛星のひとつに過ぎないのだ。
しかし光のスピードをもってしてもその端に行くのに何億年もかけるという状況もおかしいので光より速い物質もどこかにありそうだが、
冷静に考えて粒子は人間よりも遥かに長生きなのでそもそも人と時間の感覚が違うのかもしれない。
よって端に行くまでに何億光年もかかる光が最速でも別に何もおかしくない。粒子目線だと億くらいどってことないのかも。
でももしかするとその先に第6宇宙があるかもしれない。
だとしたら我々の宇宙は第7宇宙ということになって思ったより宇宙は広いことになる。 座標原点が実在するっていうのなら
光速度一定の原理の否定
静止が自然に存在しないなら
自然は運動するエネルギーの濃淡 〈ここ〉から〈ここ〉までは自然には存在しない
全ては差異だが、否定で理解する
わたしは赤ん坊から現在まで大きく変化しているが同一の〈わたし〉
この今も運動変化している
非同一を同一で規定
運動を静止で
ウィルス、金属、人間、植物は物理としては差異だが否定で分類
同一を非同一で
規定は否定 空間は運動しているからやはりエネルギーの一形態で差異
わたしは自然の運動変化の過程で生成され、また差異として他の物理状態に生成していく
全ては運動変化する自然の過程で生成され、差異の物理状態に
光速度一定の原理が示すこと 最小単位はない
〈ここ〉から〈ここ〉までがない
粒子は波の渦状態
この理解は古代ギリシャ、イギリス科学者、ブリゴジン学派がある 座標原点、つまり0次元は運動を静止で理解すること
静止という無で運動という有を規定
だから限りなく0に近いが0ではないという説明になる
不確定性原理!