現実には無いから切り捨てる、これが科学的で論理的な対処法です。
合理化し物事を単純化することで効率的になり簡単にやさしく便利になります。

だが非論理に属する魂は、科学的アプローチでは扱えません、
魂といった存在しないものを扱う術は非科学の領域にしかないのです、
そして魂という存在を許容するか、勝手にそんなものできるだろうと投げ捨てするか
操作の範囲にもってくるかはアプローチにすぎません。

魂のこもった唄など、魂を感じさせる行為など、好き嫌いと同じで
一発芸で笑えない人と笑える人の差と同じです、オヤジギャグで気持ち悪いと思う人と
楽しめる人の差です。
ただそれらを扱うのは可能です、たとえば「ユーモア」を上手に操れる人がいます、
多くの人が失敗し「皮肉」にしかなりえまえん、ユーモアはそういう魂の領域を操作し
偶然でしかない秩序を連鎖させひとつの秩序へとまとめる術です。
それ以外にもありますが、「ユーモア」すら区別できないし言えない人に
そんなものの原理など受け入れられるものじゃないのは間違いない。
つまりユーモアは科学では説明できません。反証可能ではなく仕組みがなく
原理は常に変貌し、同じユーモアを別の人がコピーしても機能しないのが特徴です。
人気お笑い絶頂の芸能人のトップが、お笑い芸をして楽しめますが、初音ミクが
模倣してやっても同じ結果が得られない、志村けんがやることは志村けんが絶妙
なタイミングと視聴者の間合いと前後の状況から模索してやるからこそ
その力が生じるということです。