監視カメラやセンサーで万人を監視することは、個人の行動を把握することまでしかできない
「監視による規律権力が人を理性的な行動のみに従わせる」なんて、近代に至って有り得ない事だとはっきり分かった
監視の効用には限界がある
ブレインマシンインターフェイスで個人の思考を把握してコントロールできるようになるまで、完全な秩序の支配は達成しえない

ただ、至る所にカメラが設置されるだけでも現状のスカスカ監視状態よりはるかに犯罪抑止効果がある
むろん、監視内容が公に開示されるのは公共空間に限定される
私的空間まで監視が及んだとしても、不特定多数にプライバシーが開示されることは防ぐべきだ
私的空間にアクセスできるのはAIスピーカーやスマートホーム、車載AI等の事業者と警察権力等の公的機関に限る必要がある
ここまでなら現状の法規制に則って監視社会を構築できるだろう

視点を遠い未来に移すと、先述のBMIを通してすべての人間が繋がっている状態こそ我々が進むべき道だ
あらゆる個人が、個であり集合である精神を形成し、個人という観念は希薄になる
この段階では人間の定義そのものが変質してプライバシーは意味をなさなくなるだろう
あたかも言語の使用以前以後で現生人類の心のありようが変化したように