感情って生理的行動を主体がどのように認識するかじゃないの?
蛙が蛇に睨まれて竦んでいる状態はまだ機械的反応で感情と呼べないかもしれない。
でもこれがもう少し高等な生物で、逃げたいとか怖いとかいう内観が生まれればそれは感情でしょう。

別の考え方もある。
強い敵に会って、身体が震えだしたとする。
これを武者震いと認識すれば喜びの感情が湧くかもしれない。
到底勝ち目が無いと認識すれば恐怖の感情が湧くかもしれない。

主体が生理的反応をどのようにラベリングするか。
認識の結果で、同じ生理反応でも結果としての感情は異なることがありうる。

だから知能と感情は決してどちらが主というわけではなく、
お互いに影響を与え合う独立したシステムと考えなければならないと思う。


なので「感情が学習で習得可能である」という>108の意見には同意しかねる。