>>272

kotaroさんへ

 福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故による放射放射能汚染被害という問題は、公害病訴訟の例を考えると良いでしょう。
水俣病の場合ですと、有機水銀が原因と特定されるまでに時間がかかり、それを医学的に証明してから、訴訟を起こし、原告勝
訴に至るまでに27年も掛かりました。

• 1946年:日本窒素がアセトアルデヒド、酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。
• 1949年頃:水俣湾でタイ、エビ、イワシ、タコなどが獲れなくなる。
• 1952年:熊本県水俣で最も早期の認定胎児性患者が出生。ただし認定は20年後。
• 1953年:熊本県水俣湾で魚が浮上し、ネコの狂死が相次ぐ。以後、急増。
• 1954年:熊本県水俣でのちに水俣病と認定された患者が12人発生。ほかに5人死亡。
当初、患者の多くは漁師の家庭から出た。原因が分からなかったため、はじめは「奇病」などと呼ばれていた。水俣病患者と水俣出身者への差別も起こった。
その事が現在も差別や風評被害につながっている。
• 1956年:5歳11か月の女児がチッソ水俣工場付属病院小児科に入院。5月1日に水俣保健所が「原因不明の奇病発生」として水俣病を公表。後に水俣病の「公式確認」となる。
この年、50人が発病し11人が死亡。