廣島の店舖は物産陳列館時代に開店した。
朝鮮京城の三越(現新世界百貨店)のテナントや臺灣、樺太、確か滿洲の奉天にもあつた。
全盛期は全國に3000店はあつたが、戰災や朝鮮や臺灣の店舖が敗戰で閉店した事、戰後のどさくさで昭和22年頃には全て廢業した。
昭和50年代のコンビニの普及で再興したが、平成20年代になつて競爭が激化してついには全部ファミマになつて終つた。