田無場(たなしば)

墾田永年私財法が成立した後、藤原謙介という貴族はあちこちで田を開墾し私有地としていった。
ところがあまりにもの強引な手法で開発が進められたために法を停止しして、墾田を没収しようという動きが起きた。
そのため謙介は開墾した土地のあちこちに「田無場」という地名をつけて田で無いことをアピールし、没収を免れたという説話がある。
後に謙介は田から得た利益を元に遣唐使船の建造事業に着手してさらなる莫大な利益を手にするが、菅原道真の遣唐使廃止とともに謙介一門は没落した。
なお近年の研究で謙介は「田無場」以外にも「芝生地(しばふっち)」という地名をつけていたことが判明し、現地との関わりについての解明が期待されている。

民明書房刊「土地活用の日本史」より