微差栗(びさぐり)

秦朝時代、陳勝・呉広の乱をきっかけに広まった反乱でとある秦軍の城が窮地に陥っていた。将軍は都に向けて援軍と食糧を送るよう要請するが、宦官の趙高はただ「抗戦主義」の掛け軸のみ送りつける有様だった。
やがて食糧が尽きて飢えが兵士を襲う中、城内の角に不自然に栗が置かれているのを見た将軍はそれを細かく切って兵士に分け与えた。
栗は何度も置かれていたために誰かが我々を助けようとしているのだ、と感じ取った将軍はその人物を探し出そうとする中、一人の兵士が食糧確保のために狐を射殺した。
狐の手には栗が握られており、それを見た将軍は「お前だったのか、俺たちに栗をくれたのは」と嘆き悲しんだ。
望みを絶たれた将軍は降伏したが、後に劉邦の軍勢に加わって名だたる将となった。後に将軍は「微かな命を狐が差し出した栗が繋いでくれた」と、狐を後々の代まで祀ったという。
後に日本の国語の教科書の定番の題材となった新美南吉氏の『ごんぎつね』はこの故事を元に書かれたというのは有名な話であるが、今では現場で苦しんでいるのに上司が助けてくれない状況を微差栗と揶揄することが多い。

民明書房刊『腹が減っては戦はできぬ 戦争における補給線の重要性』より