0001口下手番長2017/01/08(日) 14:05:26.76ID:RsGUOp3R
0515神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 08:56:25.45ID:r+pUqaUJ
「ワンマン社長」としての大川隆法の力量
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/46.html
また、テレビの討論番組にも出演して大いに気を吐いた大沢敏夫も謹慎を命じられているという。
私のいた頃から、大川は幹部職員の首を頻繁にすげ替えた。
何かあると、すぐに地方の支部へ飛ばされる。
そこで会員獲得に功績があれば、また本部へ呼び戻す。
ひどいときは、三カ月も置かずに配置替えになる。
一人の人間を長く身近に置くことに、何かの恐れを抱いているかのようであった。
もし、私があのまま会に留まっていたら、この第一の大黒天も、どこかの支部へ飛ばされていたに違いない。
支部長と本部の最高幹部では、天と地ほどの違いがある。
一方は、会員集めや寄付集めに奔走しなければならない。
しかし他方私たちは、本部の大先生である。
地方へ講師として行けば、下にも置かない歓迎を受ける。
女性にとりまかれ、握手やサインまで求められる。
三日やったらやめられない、というところだろうか。
しかし、信じ切れない宗教団体の幹部でいることが、私には苦しくてならなかった。
たとえどんなに給料をもらおうと(八九年当時、「来年は年収一〇〇〇万にしてやるぞ」と主宰先生はおっしゃっていた)、本部の大先生といかに崇められても、自分が信じ切れないものを信ぜよと説く。
これ以上の拷問はないのである。
0516神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 09:06:35.86ID:r+pUqaUJ
「高橋信次」はなせ大川隆法に霊言したのか
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/47.html
一九八八年の春、はじめてGLAから正式な抗議文が送られてきた。
内容は、「繰り返しニセ信次先生の本を出されては困るから止めてはしい」というものだった。
それを読んだ私たちは、「なにがニセ信次だ!」「信次先生の霊が語っておられるのだぞ」と大いに憤慨した。
しかし、GLAが抗議するのもあたりまえだろう。
八六年十二月に『高橋信次霊言集』を出して以来、大川は『高橋信次の新復活』(八七年五月)『高橋信次霊訓集』三巻(同年六月、八月、十月)『高橋信次の天国と地獄』(八八年一月)とたてつづけに高橋の霊が登場する本を出版していた。
それ以降も『高橋信次の新幸福論』『高橋信次のUFOと宇宙』(以上二冊同年六月)『高橋信次のユートピア論』(同年八月)
『高橋信次の大予言』(同年九月)『高橋信次の心の革命』(同年十一月)『高橋信次の愛の讃歌』(同年十二月)と続く。
宗教学者の島田裕巳の調べによれば、その霊言集は一六冊になり、大川に降りた回数も七〇回になるという。
この数は、ほかの霊とくらべて群を抜いて多い。
〈幸福の科学〉を特徴づける最も重要な高級霊なのである。
GLAとしては、当然心中おだやかではない。
亡くなった自分たちの教祖、神とも崇める教団創設者が、こともあろうに何の関係もない他教団に出現し、生前には聞いたこともないような話をしだしたのだから。
GLAというのは″God Light Association″ の略で、一九六九年に高橋信次が設立した「大宇宙神光会」を母体とする。
高橋は霊界と自由に交信することができ、その教えでは、顕在意識と潜在意識との間にできてしまった想念帯の曇りを反省によって取り去れば、誰でも神とストレートにつながると説いている。
この思想はGLAの枠を超え、精神世界に関心を持つ人々に少なからぬ影響をおよばした。
0517神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 09:07:13.61ID:r+pUqaUJ
「高橋信次」はなせ大川隆法に霊言したのか
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/47.html
善川や大川も例外ではなかった。
大川の『太陽の法』によると、彼がはじめて霊的体験をしたのは高橋の『心の発見』を読んでいる最中だったという。
しかし高橋は、わずか七年の後の一九七六年、その全盛期に自らの予言通り突然世を去った。
残されたのは、当時まだ一九歳のお嬢さん、高橋佳子である。
偉大な指導者を失ってGLAは混乱し、分裂を重ねた。
一時は五〇万とも言われた信者や高橋の信奉者は、宙に迷うかたちになり、その数は一万数千にまで激減している。
そんなとき、不意に別の教団で開祖の霊がしゃべり出した。
むろん、宙に迷っているGLA信者や信次ファンを、取り込もうとする大川の戦略でもあったろう。
たとえば、中原幸枝などは、敬愛する高橋信次の面影を求めて大川に近づいた一人であった。
というよりも中原の存在が、大川に高橋信次の霊言を思いつかせたと言ったほうがたぶん正しい。
もっと正確に言えば、〈幸福の科学〉の高級霊団の中心である高橋の霊は、中原の求めに応じて霊言を始めたのである。
ここで大川と中原の出会いについて触れておこう。
中原は、高橋の存命中からのGLA信者だった。
幹部のような特別の立場ではないが、一会員としてずいぶん可愛がってもらったらしい。
高橋信次という人は、信者と気軽に接することを好んだようだ。
このあたりは、一般会員の前にめったに現れず、常に本部の奥にいて神秘のベールにくるまっていたい大川とはずいぶん違った。
自分の霊的能力、信仰の深さに対する確信の差だろうと言ったら、主宰先生にはこっぴどく叱られそうである。
講演会か何かの後、幹部との面談待ちをしているところへ、思いがけず高橋がひょっこりやってきて、「次の人は誰?」と声をかけた。
0518神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 09:07:46.08ID:r+pUqaUJ
「高橋信次」はなせ大川隆法に霊言したのか
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/47.html
たまたま″次の人″が自分であったおかげで信次先生の知遇を得た、というようなことを彼女は語っていた。
中原の父親がガンで余命幾ばくもないと宣告されたときは、ガンにはクマザサの葉が利くというので、わざわざ自分でとってきて届けてくれたという。
それで思い出すのが、大川の″顔見せ興行″である。
あれほど一般会員との接触を嫌っていた大川が最近になって、会員と親しく接する機会を正月に設けた。
一人五分前後の持ち時間で、本尊はお顔を拝みたい人がベルトコンベア一式に次々と入れ代わる。
しかし、そのためには何万かの拝観料を包まなければならない。
この話を聞いて、私は暗澹たる気持ちになった。
トランプええなあ
公約を即実行する行動力
さすがやな
0521神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 10:58:35.18ID:Qp4+HnGl
底の深さを思い知らされたGLAとの接触
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/48.html
その後もGLAからは何度も抗議文が送られてきた。
内容証明も二度ほど来ている。
しかし、このときの大川はフライデー事件のときと違い悠然としていた。
「放っておけ。返答する義務はないのだから」
と取り合おうとしなかった。
GLAの幹部がついに中原の自宅まで訪ねてきた。
事務所ではなく、中原の自宅へ行ったのはどういうわけだろう。
大川の「高橋信次」は、元GLA信者である中原の影響によるものと見なしたからなのか。
とすれば、彼らは私たちが当時見落としていたものを、敏感に察知していたことになる。
この訪問は、たまたま中原が留守だったために空振りに終わった。
しかし、その報せがもたらされると、〈幸福の科学〉本部にはたちまち緊張が走った。
ついに衝突の時がきたか!と、誰もが顔を強張らせた。
あのときの大川の言い分には一理あったと思う。
「言論は自由。判定は読者がするのだから」
「主宰の佳子先生が来たなら私も会う。しかしナンバー2や3なら、会う必要はない。こちらもそうするまでだ」
霊言が言論と呼べるかどうかは疑問だが、そのホンモノ・ニセノモの判断は、読者にこそ任せるべきだというのは正論だろう。
さすが東大法学部、と心の中で拍手を送った。
また、大川が相手教団のナンバー2や3と会談するというのは、GLAの下に(幸福の科学)を位置づけることになる。
0522神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 10:59:20.77ID:Qp4+HnGl
底の深さを思い知らされたGLAとの接触
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/48.html
つまらないことと言えば、確かにつまらない。
しかし教団という存在そのものがすでに、自分のほうが正しいのだ、エライのだと言いつづけなければならない宿命を持っているのである。
結局、何らかのかたちでGLAと接触しなければなるまいという結論に達した。
『谷口雅春霊言集』もあるから、同じトラブルが生長の家とも起こる可能性があった。
日蓮を祖とする日蓮宗、創価学会、空海の真言宗、親鸞の浄土真宗……可能性は至るところにあった。
もっとも、金持ちケンカせずとでも言うのか、はとんどの場合は相手にもされなかったのであるが。
「総務局の渉外担当を窓口にしよう。関谷さん、一つやってみてくれ」
というので、総務局長だった私のところへお鉢がまわってきた。
大川をはじめ人生経験の乏しい人間がほとんどだったから、まがりなりにも一つの企業の社長として二〇年の間酸いも甘いも味わってきた私が、問題処理係になることが多かった。
だが、このときばかりはハタと困ってしまった。
基本的には、私も主宰と同じように考えてはいる。
しかし、高橋信次先生のことも心から尊敬している。
声を荒らげて批判しあうようなことは絶対にしたくない。
なんとか平和に、静かに話し合いたいというのが本心だった。
″どちらも、素晴らしい神理を打ち立てようとしているのだ。
話し合いによって、お互いに力を合わせ、一つになって進んでいきたい。
それこそが天上界にいらっしゃる信次先生の願いであるに違いない。
同じ神理を樹立するのだから、他と自を分け隔てるようなことを信次先生がされるはずがない″
だが、こんな理想論は、いとも簡単に押し流されてしまった。
0523神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 11:50:26.13ID:KrUtrb2n
0524神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 13:36:06.91ID:q8V9asBa
大川さんが書く本の内容は、絶対に兄のものではありません。
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/49.html
八八年の十月、〈幸福の科学〉の代表として、高橋信次の実弟にあたる高橋興和と会うことになった。
新宿のホテル・サンルートで、二十七日の二時と日時も決まった。
はじめて見る信次先生の弟さんは、予想していた通り温厚な紳士だった。
「私は実の弟です。兄の性格は百も承知しています」
と彼は念を押した。
「ほんとうに兄の霊がでてきたなら、すぐにでも飛んでいって話をしたいと思います。
でもねェ、関谷さん。
違うんですよ。
巧妙に似せてはありますが、兄じゃないんです。
私も残念なのですが」
とても土臭撃な話し方をされた。
肉親だからこそ言える実感がともなっていた。
私としては、抽象的な反論をするしかなかった。
「それは、あなたの主観ではありませんか。
ホンモノかどうかは、読者が決めるものだと思います。
イエス様の本だって、いっぱい出ている。
信次先生の本がたくさん世に出て教えが広まることは、喜ばしいことじゃありませんか」
「ほんとうの神理を樹立してくれるなら、ありがたいと思います。
でも、大川さんが書く本の内容は、絶対に兄のものではありません。
あのようなレベルで次々に本を出されては困るんです」
言うまでもなく私は、大川の霊言を信じていた。
👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 0525神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 13:36:50.15ID:q8V9asBa
大川さんが書く本の内容は、絶対に兄のものではありません。
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/49.html
かすかな疑いを抱きながら、それだけ余計必死になって信じょうとしていた。
「内容に関して、違いを証明できるんですか」
「二つはハッキリしています。
関谷さんも気づきませんか。
一つは、″愛の波動が伝わってこない″ということ。
愛を説く言葉は上手に並んでいるけれど、暖かみが伝わってきません。
ハートではなく頭で理解させ、うなずかせる感じです。
二つ目は、″冗談の言い方の違い″ です。
大川さんの冗談には品性がありません。
兄はあんな下品な言い方のできない人でした」
こう言われてしまうと、なお反論することができなかった。
感じや、身近な人しかわからない品性の問題を持ち出されては、マトモな議論にはならない。
それだけに、弟さんの言葉にはウムを言わせぬ説得力があった。
こちらとしては、こんなふうに逃げるしかないだろう。
「大川先生にも深遠な意図があると思います」
疑いが起こるたびに自分に言い聞かせていたのと、同じ言葉が思わず出てきた。
「少し長い目で見守ってください。
きっと信次先生のみこころが形となって表現されていくと私は信じています」
これはもう、霊言はホンモノじゃありませんと言っているに等しい。
しかし追い詰められていた私は、そんなことさえ気づかなかった。
これでは、弟さんを説得できるはずもないのである。
0526神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 13:37:24.88ID:q8V9asBa
0527神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 13:44:35.40ID:q8V9asBa
この猥褒さについては、私も違和感を持って読んだ一人だった。
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/50.html
この猥褒さについては、私も違和感を持って読んだ一人だった。
たとえば、『高橋信次の愛の讃歌』にはこういう一節がある。
「ライオンが、この女性の上にのしかかって、この女性を犯しておるようであります。
……かわいそうにこの女性は、三百五十年の間、こうしたライオンを中心とした人間に犯され続けたようであります」
霊言をまるで信じない心理学者なら、著者の潜在的欲望の現れと見なすだろう。
確かに、高橋信次の口から語られたとは信じがたい。
もう一つ、『新幸福論』の一節を、少し長くなるが引用しょう。
人間は多かれ少なかれいろんな願望を心に隠し持っているのだから、そのこと自体はとやかくいうつもりはない。
こういうものを高橋信次の霊言だと主張しなければならない、私の苦渋を察していただければいいのである。
それはね、男ってやっぱり自尊心の動物なんだ。
男から自尊心をとったら何も残らないんだよ。
「あなたって駄目ね」とかね。
「あなたね、全国平均は、だいたいあれよ、十五分よ」とかね、「一時間は、やはり夜の勤めがあるのよ」とかね。
「平均はいくらぐらい、どうのこうの」とかね。
こういう男性というのはね、平均もってこられて比較されると、非常にいやなんだよ。
「他の人が一時間でしたって俺が三分で何が悪い」って、「一分で何が悪い」って、「あなた、すごく早いのよ」ってこう言われるけど、
「あなた一分よ」って「なーに一分で何が悪い」って、「だんだん時間を短縮する傾向にあるじゃないか」って、
👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 0528神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 13:45:09.17ID:q8V9asBa
この猥褒さについては、私も違和感を持って読んだ一人だった。
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/50.html
「新幹線だって速く走りやいいし、オーブンだって短い方がいいし、電気釜だって早く炊けるのがいいに決まっとるじゃないか、早くって何が悪い」 って、
「だけど隣りの奥さんに聞けば、だいたい二時間よ、一時間よ」とかね、いっぱい言われますね。
「あなたって肉体的欠陥があるんじゃないの」って、こういろいろあるけれども、こういうことは決して言っちゃいけない。
特に男性というのは自尊心の動物だっていうことを忘れちゃいけないね。
だから平均だとかね、隣の旦那さんとかね、うちの親戚の人とかそんなの出してきて、比較しちゃいけない。
女性はしがちだよ。
全国統計なんか知らないくせに、ちょっと聞いたことしゃべるからね。
男性の肉体的欠陥、絶対言ってはいけない。
「体形が悪い」とかね。
「あなたは、夜のがへタ」だとかね、絶対これを言わない。
これ大事です。
なぜかって、男の自尊心を傷つける。
そうすると外へ出てもうまくいかない。
家の中でも自信がなくなる。
駄目になってきますね。
0529神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 13:45:45.16ID:q8V9asBa
この猥褒さについては、私も違和感を持って読んだ一人だった。
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/50.html
このところ特に気を付けてください。
胸に手をあてれば、心当たりある奥さんは九割以上いるはずです。
言われたことがあるっていう旦那さんは十割ぐらいいます。
だから僕もこれだけ力を入れている意味を、みなさん考えてくださいね。
なぜ高橋信次がそれだけいうか。
まあ考えてくださいよ。
話し合いは二時間ほどつづいたと思う。
私の勉強不足に、弟さんは物足りなさを感じているようだった。
勉強不足とは、宗教界全般についての知識のなさである。
そうなのだ。
〈幸福の科学〉の多くの会員と同じように、私も宗教に対してはほとんど何も知らず大川の本と出会った。
そして、入会後に読むものといえば、ほとんどが大川の著作である。
それもそのはずで、「おれの本以外に本が読めるなら読んでみろ」とでも言わんばかりに、立て続けに本が出るのである。
会に帰って会談の報告をしたが、ありのままを言うことはできなかった。
大川のためにも自分のためにも、適当にお茶を濁すしかない。
あらましを聞いた大川は、「もう煩くは言ってこないだろう」と安心した様子だった。
0530神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 13:53:06.98ID:q8V9asBa
GLAに対する大川主宰の異常な憎しみ
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/51.html
いまGLA事件のことを思い出すと、GLAと高橋佳子に対する大川隆法の異常とも言える憎しみに気づく。
″異常とも言える憎しみ″などと言うと、会員の中には、主宰先生を故意に定めるための意地悪な表現と受け止める人がいるかもしれない。
そういう人は、たぶん主宰の本を熟読玩味していない会員だろう。
熱心な読者なら、そのことに気づいているはずである。
たとえば、『高橋信次霊言集』のまえがきにこんなくだりがある。
「高橋信次氏のかつてのお弟子さんの多くが、現在、間違った方向へとそれて行っていることに対し、
同氏は、なんとか彼らを、彼らが生きているうちに救ってやりたいと、強い情熱の程を吐露されたのであります」
また、大天使ミカエルと言われていた高橋佳子に対しては、
「高橋佳子はミカエルではありませんし、ましてや私の本体でも分身でもありません」
ここにある″私″というのは、『高橋信次の新復活』の中の高橋信次、つまり、佳子の父親の霊である。
父親が、娘はミカエルではないというのだから、これ以上確かなことはない。
じつに巧妙な攻撃法だった。
高橋興和との話し合いの後、会へ戻ると、大川は真顔でこんなことを言った。
「GLAは今や悪霊の集団と化している。
そこの大幹部と会ってきたのだ。
当然、関谷さんも悪霊の影響を受けている」
「ほんとですか」
私は思わず聞き返した。
「ほんとだとも。もう、帰ってきたのを見て、すぐわかった」
私には、その言葉が不思議でならなかった。
0531神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 13:53:49.78ID:q8V9asBa
GLAに対する大川主宰の異常な憎しみ
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/51.html
弟さんとの会談では、私の旗色は悪かったが、落ちついた礼節ある紳士との話し合いは、私の気持ちを充実させていた。
″あの話し合いは、両者が力を合わせて神理を中心に団結していくための努力だったのではないか。
私の気持ちはこんなに満たされているのに、悪霊に憑かれるなんていうことがあるのだろうか″
もちろん、そんな思いは口にしなかった。
十二月七日になって弟さんから電話があり、「もう一度ぜひ会いたい。今日しか時間がないが会えないだろうか」ということだった。
たまたま大川が留守にしていたので、職員に断って会いに出かけた。
交渉は、前回の域を一歩も出るものではなかった。
会話は静かだったが、どちらも主張を譲らず、最後には苛立ちさえ感じてきた。
弟さんのほうが、おそらく数段冷静だったろう。
もし、ほんとうの神理に立っていたら、少しも苛立つことなどなかったのである。
神理ではなく、大川に対して忠実であろうとしていたから私はイライラしていた。
事務所に帰ってくると、ちょうど大川も戻ってきたところだった。
「関谷さん、今日は何かいいことでもあったんですか。
なんだか、とてもスッキリした感じですね」
返事のしようがなかった。
高橋興和に会ったとも言い出せず、笑ってごまかした。
それ以降、私の在籍中はGLAから何の音沙汰もなかった。
私のような大川信奉者が窓口ではケンカにもならない、と思ったのだろうか。
あるいは、私を通して〈幸福の科学〉が学習のみであるという底の浅さを知り、どちらがホンモノかはわかる人にはわかると、自信を持ったのかもしれない。
0532神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 13:54:29.67ID:q8V9asBa
GLAに対する大川主宰の異常な憎しみ
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/51.html
しかし大川のほうは高橋信次の口を借りて、執拗にGLAを攻撃しつづけた。
GLAの会員のあいだでは、生前から高橋は″仏陀の生まれ変わり″と信じられていた。
一方、大川がはじめて自分を″仏陀の生まれ変わり″であると公言したのは、八九年に出版された『仏陀再誕』によってである。
しかし〈幸福の科学〉発足の当初から、ごく内輪では自分は仏陀の生まれ変わりだと打ち明けていた。
主宰先生が仏陀の転生であるということは、〈幸福の科学〉では公然の秘密だった。
すなわち二人の仏陀が、同時に存在したことになる。
この点を大川は、どのように考えていたのだろうか。
八七年五月に出版された『高橋信次の新復活』で、彼は高橋の霊にこうしやべらせるという奇策に出た。
「私自身が、自分を釈迦だと思っていた時もありました」
つまり、高橋の霊の口から「自分は仏陀の再誕ではなかった」と言わせたのである。
〈幸福の科学〉会員にとっては、高橋本人がそう語ったのと同じだった。
私が会にいた頃、仲間うちでは「高橋佳子はノイローゼだ」「彼女はじきに死ぬぞ」「もうすぐ死ぬから見ていなさい」と、大川はしつこく繰り返していた。
こうした不自然なほど大きな憎悪が、いったい何に由来するのか正確なところはわからない。
しかし私は、彼女に向けられた呪いの言葉の端々から、あの憎しみは高橋佳子に対する大川のあこがれの裏返し、コンプレックスではないかと推測している。
だが、これはあくまでも推測にすぎない。
0533神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 16:04:33.04ID:q8V9asBa
大事件となったある「神託結婚」の失敗
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/52.html
大川主宰に一つの神示が下った。
八八年十二月のその神示は、それから二カ月のあいだ会を揺るがし、初期〈幸福の科学〉最大の事件に発展していった。
それは、会随一の求道者・阿南浩行に佐藤真知子と結婚せよ!と命じる神示だった。
前にお話ししたように、阿南は一部上場企業の職を捨てて会に参加してきた、筋金入りの求道者である。
大川にも負けないほど頭脳明噺で、最近の若者には珍しい落ち着きぶりでも際立っていた。
情熱を燃やして学習に取り組む姿に、
″さすがアーナンダの生まれ変わりだ″
と感心したものである。
そんな彼に思いを寄せる女性も少なくなかった。
私は彼の鋭い洞察力を密かに恐れていた。
修行の足りない私の心の実態が、阿南には手にとるように読めるのではないかと怖かったのである。
そういう私とはまた違った意味で、大川隆法も彼を恐れているように見えた。
たとえば、学習会の席で鋭い質問をぶつけるのはいつも阿南だった。
会に入ってから勉強したのか以前から学んでいたのか、該博な知識から発せられる見事な質問に、私たちはしばしば舌を巻いた。
大川が阿南を恐れていたとすれば、その知識だったろう。
幹部だけの学習会でも、阿南の質問に答えられない場面が何度かあった。
むろん、わからないなどとは口が裂けても言わない。
0534神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 16:05:10.60ID:q8V9asBa
大事件となったある「神託結婚」の失敗
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/52.html
正面から答えようとせず、冗談に紛らしてしまう。
大川のいつものやり方だった。
さすがに言葉にする者はいなかったが、誰もが"もしかしたら阿南のほうが、先生よりもよく知っているんじゃないか″と感じていたと思う。
そんな阿南に、真知子と結婚せよという神示が下ったのである。
いくら神託結婚と言っても、奇想天外な組み合わせだった。
今までの神託結婚は、中原と私をはじめ、奇想天外というのではなかった。
二人の当事者には、ある程度のつながりがあったからである。
しかし阿南と真知子の場合は、つながりはないに等しい。
互いに口をきいたことすらなかったのだ。
マジメで学究肌の阿南と、まわりに子分を集めてキャーキャー騒いでいる真知子。
この組み合わせに、彼らを知るすべての会員が仰天した。
誰の目にも不釣り合いだった。
個性とか性格といった単純なことではなく、住む世界がまるで違うという感じがした。
今にして私はこの不自然さに、阿南を煙たく思う大川と、真知子を自分の配下に置こうとする大川夫人の意図を感じる。
彼らの最も身近にいた人間としての、カンである。
しかしこの神託が大きな事件に発展するまで、私たちはみんな、
″神様もイキなことをする。
我々の想像もつかないところで、チャンと組み合わせができているんだ。
赤い糸というのは、こういうことかな″
などと、のんきなことを言い合っていたのである。
阿南がどんなに苦しんでいるかも知らずに……。
大川は阿南を呼んで、ちょっと話があると言ったらしい。
後日、阿南本人から聞いたところを、そのまま書いてみよう。
---指定の場所へ行ってみると、大川夫妻と真知子が待っていた。
0535神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 16:05:46.24ID:q8V9asBa
大事件となったある「神託結婚」の失敗
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/52.html
席についた阿南の前に、大川がカレンダーを広げた。
「この日です」と大川は、カレンダーを指した。
「私が自転車を走らせて、阿南さんのために、この日に式場の予約をしてきました」
阿南が混乱していると、おもむろにこう言ったのである。
「ここにいる佐藤真知子さんと結婚式を挙げていただきます」
あっけにとられて、阿南はしばらく返事ができなかった。
中原と私のケースで一度成功していたから、大川には勝算があったのだろう。
自信たっぷりだったという。
あのときの中原もそうだったが、真知子のはうはすでに言い含められていた。
しかし私とは違い、阿南は簡単には言いなりになる男ではなかった。
難色を示すと、大川は怒りを爆発させた。
恭子、真知子の前で、彼を徹底的に侮辱したという。
「あなたは何もわかっていないんだ。
だいたいにおいて子どもすぎる。
社会的にもっと飛躍しないと、神理を学んでも何にもならない!」
この怒りはその後しばらくつづき、阿南のいない場所でもときどき噴き上げてきた。
私がクルマで送迎するときも、後ろのシートでは阿南に対する攻撃が延々とつづいた。
大川という人は、そこにいない人の悪口を言うのを好むタイプの人間である。
会議の席や、昼食のとき、あるいはクルマの中で、どれほど幹部連中の悪口を聞かされたかわからない。
能力のあるなしから始まり、ときには人間的な弱点まであげつらった。
その性癖が、阿南事件ではますますエスカレートした。
聞いている私のはうが憂鬱になるほどコキおろしてみせた。
0536神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 16:06:23.56ID:q8V9asBa
大事件となったある「神託結婚」の失敗
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/52.html
阿南の悩みは深刻だった。
数日後の朝、私の机の上に一通の封書が置かれていた。
阿南からの相談の手紙だった。
そこには、「結婚のことで悩んでいる」とあった。
じつくり考えてみたけれど、真知子とはどうしても合いそうにない。
しかし神のお告げと信じきっている彼女には、自分の考えが伝わらない。
どうしたらいいだろうか、ということだった。
あの頃の会は、「あの人にも神託があったんだって。羨ましいわね」「私も早く神託がはしいわ」という感じの雰囲気が支配的だった。
それでうかつにも、私たちは阿南がそんなに苦しんでいるとは気づかなかったのである。
さっそく真知子と会うことにした。
西荻窪の駅ビルの六階にある中華料理店へ、彼女を昼食に誘った。
「真知子さんは、阿南さんが好きなの?」
「とても素晴らしい方と、心から尊敬申し上げています」
まず彼女の気持ちを聞いてみるつもりだった。
しかし会話したこともない阿南に対して、彼女も特別な感情は持てないでいるらしい。
「私と中原さんの神託があったときはビックリした。
でも、ずっと前から仲良しだったからね。
0537神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 16:06:58.86ID:q8V9asBa
大事件となったある「神託結婚」の失敗
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/52.html
けれど、あなたたちはどうかな。
私には、二人には接点みたいなものがないように見えます。
もしお互いに引き合うものがなかったら、ムリに結嬉しなくてもいいと思いますよ」
「阿南さんを尊敬し、お慕いしています。
それに、先生のお言葉ですから、きっと幸せになれると信じておりますわ」
彼女はキッパリと言い切った。
好き嫌いより信仰のはうが大切だと言いたげな、これも一途な真知子であった。
阿南も、ある程度の覚悟を固めたのだろうか。
暮れも押し詰まった頃、真知子の実家へ電話を入れている。
こんな思いがけないことになったが、まずは自分を知っていただきたい、ということのようだった。
真知子の家族は一家をあげて〈幸福の科学〉の会員だったから、異議のあろうはずもなかった。
0538神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 18:56:15.56ID:jwIy6Wyh
愛なき断罪と追放の実態
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/53.html
事態は進捗しないまま、あの忘年会の夜がやってきた。
五〇人ほどの職員を研修場の二階に集め、ビールやつまみをならべて、一年の労をねぎらうささやかな宴会が開かれた。
その席で総務局長の私から、阿南と真知子の神託結婚を発表したが、発表するまでもなくもう全員が知っていた。
底抜けの明るさで人気のあった真知子が結婚することに、ガッカリしている男性も少なくなかった。
彼女は嬉しそうに見えた。
阿南のほうは、彼女から離れた席で固い表情を崩さずに座っていた。
神託結婚の報告でワッと盛りあがって始まった忘年会だったが、じきに重苦しい雰囲気に変わっていった。
真知子が声をあげて泣きだしたのである。
トラブルが生じたときの常で、私が何か言いだすしかなかった。
「おい、みんな。今こそ、神理を打ち建てる大事なときだ。我々の人生には、これからもいろんなことがあるだろう。
みんな(光の天使)なんだ。大きな心で、花も嵐も踏み越えて生きていこうじやないか」
最後のほうは、自分自身に言い聞かせているかのような気持ちになった。
正月を迎えるために、阿南は関西の実家へ帰っていった。
真知子のことも両親に伝えなければならない。
しかし神託結婚の話をすると、狂人あつかいされたという。
そう、それが常識ある人間なのだ。
〈幸福の科学〉という狭い世界の中で、その常識を私たちが忘れかけていたということなのだ。
〈幸福の科学〉は″偉大なる常識人″を理念の一つとして掲げている。
0539神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 18:56:49.60ID:jwIy6Wyh
愛なき断罪と追放の実態
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/53.html
しかし″偉大なる常識人″をいくら説いても、それで常識人になれるわけではない。
健全な常識は、職場や家庭で懸命に自分のつとめを果たし、人と人が互いを思いやり、支え合うような、ありふれた生活の中に存在するのである。
ついでに言い添えておくと、″偉大なる常識人″の概念は、大川に提出したレポートの中で私がはじめて提唱したものである。
それが、いつの間にか会のモットーとして定着してしまった。
明けて一九八九年一月。
年末年始の一〇日間の休暇を、家族という常識世界に触れてすごした阿南は、心を固めて東京へ戻ってきたようだ。
彼は大川に、この話はなかったことにしてほしいと訴えた。
大川のワンマン体制下では、その意向に逆らえば、会から追放されても文句は言えなかった。
よほど勇気が要ったに違いない。
なにしろ仏陀の指示を拒むのである。
阿南浩行は自分の心に正直にしたがった。
たとえ、全知全能の神の命令でも、自分がおかしいと感じたら、やはりおかしいのではないか。
彼は自らの行動で、そのことを私たちに問いかけたのである。
けれど、私たちはまだ自分の浅はかな考え″よりも、大川の霊言を信じていた。
「神は自分の心の中にある」と高橋信次は繰り返し説いた。
そういう心の中の神を、真っ直ぐに見つめることのできた人間から、順番に会を去っていった。
「明日から出社におよばずだ! もう出てくる必要はない!」
大川の憤慨は、私たちもはじめて見るほど激しいものだった。
「佐藤家を訪問したというのは、すでに承諾したと同じではないか。
相手に正式に結婚の申込みをしたということだ。今さら断れない!」
0540神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 18:57:27.04ID:jwIy6Wyh
愛なき断罪と追放の実態
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/53.html
六大神通力を持つはずの主宰先生が、怒りのためにその能力に曇りが生じたのか、すでに阿南は真知子の実家へ挨拶にいったものと勝手に思い込んでいた。
「神託結婚を承諾できないのは、高級霊からの霊言が信じられないということだ。
これだけの本(当時は六〇冊)を認めないと言っているんだ。信仰心がなってない!」
「自惚れている。大したこともできないくせに!」
局長会議が頻繁に開かれた。
そのたびに、私たちは、主宰先生の″不調和な言魂の響き″を耳にしなければならなかった。
大川から各局長あてに 「綱紀粛正」なる通達が出されたのは、一月七日のことである。
事務局長/総務局長/指導局長/推進局長 1/7/89 大川
〈綱紀粛正〉
1、阿南氏
当会幹部としての発言、行動が社会的常識に欠け、三宝帰依の精神がない。
また自己変革の意思がない。
* 来週より二週間、自宅での反省を命ずる。
* 指導局課長解任。
* 青年部講師、当分の間資格停止。
* 二週間の反省期間後、多少本来の姿になっておれば、事務局付で勤務、又は大阪への配転を考える。
反省の色がないようなら、退職勧告をする。
0541神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 18:58:03.91ID:jwIy6Wyh
愛なき断罪と追放の実態
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/53.html
(中略)
(全体的展望)
1、当会の性格からいって師と弟子の信頼関係は絶対必要。
高級霊への信仰も必要。
神を裁く性格の人はいられない。
(正しき心の探究)の基準の運用による(破門)も検討の必要がある。
2、今回は青年部講師再考のよい機会。
人生経験未熟で大人になりきっておらず、社会常識を疑われる講師の登用は避け、(研究員)あるいは(研究生)とする方向へ切り替え必要。
通達は、大川がみずからワープロ打ちしたものだった。
こうした事件の、いったいどこに愛があるだろうか。
神様の気まぐれとも思える神示をぶつけられ、悩まない人間がいるだろうか。
本人には、どうしても理解できない問題だから悩む。
そういう人間の心を、主宰は一片の通達によって残酷に切り捨てたのである。
師と弟子の信頼関係を破壊しているのは、はたしてどちらだったか。
人生経験未熟で大人になりきっていないのは、大川自身ではなかったろうか。
この事件があって、中原幸枝は出勤を拒否するようになっていった。
0542神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 19:10:24.33ID:jwIy6Wyh
悲しくそれぞれの道へ別れて
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/54.html
道を求める真剣さにおいて、中原幸枝と阿南浩行は初期〈幸福の科学〉の双壁だったと言える。
阿南事件が中原にもたらした衝撃は非常に大きかった。
二人が仲よしだったからだけではない。
おそらく中原の心の中で、大川に対する何かが崩れ去ってしまったのだ。
疑い、不信が一気に噴き出してきた感じだった。
一分の疑念を飼い馴らしながら活動していた私のような人間とは違い、中原は切ないぐらいに純粋だった。
主宰先生のために死ねと言われたら、死にかねないほど一途に打ち込んでいた。
その主宰先生には愛のかけらもない。
あれほど愛を説きながら、どこにも愛の実践がない。
神理というのは、口先だけのおしゃべりだったのか……。
一つ屋根の下で彼女を見ていた私は、その絶望の深さを言いあらわす言葉を持たない。
「いや、何かある。後になってああ、あれはこういうことだったのか″と私たちが気づくような、何か深いお考えがあるに違いない。それを信じてみょう」
ずっと大川信仰の浅い私が、そんなふうに彼女を励まさなければならなかった。
設立準備の頃から超人的なパワーで働いてきた中原の、心と体を支えていたものがプツリと切れたようだった。
それまで溜まっていた疲労がドッと襲ってきた。
彼女は体の不調を口実に事務所へはあまり顔を見せなくなった。
大川のほうも、中原に異変を感じとったのだろう。
会の顧問か参与に昇格させるからと、慌てて言ってきた。
地位を与えたり解いたりすることで、人の心までコントロールできると思い込んでいるのが大川主宰だった。
0543神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 19:10:59.41ID:jwIy6Wyh
悲しくそれぞれの道へ別れて
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/54.html
どういうかたちで断ったかは知らないが、そんなものに魅力を感じる彼女ではなかった。
二月頃からは、もうはとんど出て来なかったのではないだろうか。
そのまま中原は会を去った。
こうして大川は最大の協力者、会の土台を築いた第一の功労者を失った。
同時に、最も真剣に神理を求めた、一番純粋な(光の天使)を見失ったのである。
そして、私たち「夫婦」は、話し合って仲良く離婚した。
まるでブレーキが利かなくなったように、〈幸福の科学〉はこの年から露骨な拡張路線をひた走っていくことになる。
中原にくらべると、私はずっとしぶとかった。
阿南の処分にどうしても納得できなかった私は大川に直訴した。
「高い次元から見ている主宰には、いろんなことがおわかりでしょう」
高次元にいる自分の考えなどお前たちにわかるはずがない、というのが大川のログセだった。
だから言う通りにせよ、というのが主宰の論法なのだが、そこを逆手にとるしかないと私は考えた。
正攻法で攻めても、いつものように「霊が言ってるんだ」で煙にまかれてしまうのは目に見えている。
「阿南を呼びつけて、低次元の人間にもわかるように、どうか諭してやってください。
先生にしかわからないことが、いっぱいあるんですから」
大川は不機嫌にむっつりと押し黙っていた。
せっかくの戦法も、これでは役立たない。
その後も、この話題になると大川は急に不機嫌になり、胸襟を開こうとはしなかった。
二月二日に、事務局から(阿南元講師に対する当会の基本的考え方)という配付文書の原案がまわってきた。
見ると、次のような五つの項目が挙げられていた。
0544神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 19:11:41.70ID:jwIy6Wyh
悲しくそれぞれの道へ別れて
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/54.html
1、基本的視点 2、講師像の認識不足 3、問題認識の欠如 4、高級心霊に
関する批判的態度 5、社会的常識の欠如
それぞれの欄に、阿南に対する批判がピッシリと書き込まれていた。
″もう阿南が去っていくのはしかたないな″
もはや私には何もできない。
″いろんな問題があったとしても、このブッタサンガー(布教団体)に代わるものはない
のだ。
一時的に阿南が離れるのだと考えればいい。
それも、彼にとって何かの意義があるだろう。
阿南には悪いが、そう信じょう″
しかし、これほどの苦しみを背負って去っていく者に、こんな悪口だけを並べてハイさよなら、というのではあまりではないか。
それだけは絶対に許してはならない。
そう考えた私は、次のような文章を最後に追加させた。
---以上の如く、当会の発展途上の現機構には即さない為に本部を退職しましたが、法を学ぶ熱意、その他優れた点も多く持っており、本部としては暖かく見守っております。
配付文書では、わずか三行。
それを加えさせるのが、私にできる精一杯のことだった。
せっかく神示をいただきながら従おうとしないこのアーナンダに、職員全体が批判の目を
向けていたのである。
去っていく阿南のために、中原と私、そして彼を兄弟子として慕っていた伊藤博樹で別れのテーブルを囲むことにした。
私は残務があり欠席したが、食卓に料理が並ぶ前に、昨日まで尊敬してやまなかった兄弟子を、伊藤が口汚く罵り始めたという。
中原もただあっけにとられた。
0545神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 19:12:27.75ID:jwIy6Wyh
悲しくそれぞれの道へ別れて
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/54.html
「日ン玉をくり抜いてやろうか」
そんな暴言まで飛び出した。
思いがけない成り行きに、阿南はジッと耐えるふうだった。
しみじみと語り合いながら別れを惜しみたいというささやかな願いはかなえられなかった。
料理が運ばれてきたが、誰も手をつけずに外へ出たのだった。
私は、この話を中原と阿南に後で聞いた。
悲しかった。
無性に悲しかった。
私たちは一生懸命になって、いったい何を造りあげてしまったのだろう。
ともに同じ道を歩いてきた。
同じ理想を目指し、ともに学んできた。
その仲間が、なぜこんな憎しみを抱き合うようになるのか。
しかし歴史には、そんな例がたくさんある。
愛を求め、平和を求め、ユートピアを求めた者同志が、何を師とするかによって、最も激しく憎み合ってきたのである。
街の灯は、それぞれの心の中の苦しみなど知らぬ顔で、コートにくるまった三つの体を冷たく照らしていたに違いない。
同じ道をきた三人が、いま別々の道へ歩み去ろうとしている。
伊藤も阿南も、中原も。
そして私もまたもう一つの道を歩まねばならない。
0546神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 19:18:27.96ID:jwIy6Wyh
建前だけの「与える愛」
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/55.html
阿南は去った。
事件は会を大きく揺るがし、会員を動揺させた。
なかでも古い会員が受けたショックは小さなものではなかった。
二年後のフライデー事件とともに、良識ある会員の心を〈幸福の科学〉から遠ざけることになったできごとだった。
しかし会は、何事もなかったかのように活動をつづけた。
この年の会の課題の一つは、本部講師の知的レベルのアップだった。
私を含めて六人いた本部講師が、大川隆法じきじきの特訓を受けることになった。
毎週木曜日に研修ホールでおこなっているセミナーの後で、本部講師は質問を提出することというお達しが出ていた。
質問の内容で講師としての力量が問われる。
講師同士がライバル意識を燃やし、今まで以上に真剣に講義に耳を傾けた。
翌朝一番で、大川に質問状を提出するのである。
一日おいて、大川からの答えがワープロ打ちされて返される。
六人全員の質疑応答集として戻ってくることになっていた。
こういう面では、主宰先生は労を惜しまない努力家だった。
このQ&Aは順調に進み、何週間かするとかなりのファイルがたまった。
二月のある週に、『イエス・キリストの霊言集』が講義で取りあげられた。
霊言集の解説だったが、心に染みる愛の言葉が大川の口からは次々と気持ちよく語られた。
その夜、私は一行も書き出せないまま、レポート用紙の前に座りつづけた。
大きな疑問があった。
阿南事件の残り火が心にまだくすぶっていた私は、大川の素晴らしい愛の講義のあいだも、その疑問をどうしても消せずにいた。
それを押し隠したまま、あたりさわりのない質問をすることはできない。
0547神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 19:19:03.53ID:jwIy6Wyh
建前だけの「与える愛」
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/55.html
″この質問状で、阿南の処分に対する疑問を率直に投げかけてみよう″
ようやく腹をくくったときは、すでに夜が明けかかっていた。
しかしそれは、大川に対する重大な挑戦を意味していた。
ハッキリと反旗をひるがえしたことになる。
これまで最も身近な弟子として、常に私は主宰先生の傍らにいた。
会員なら羨まない人はいない、垂延の的とも言えるポジション。
このまま黙ってついていけば、その座は安泰である。
損得だけを考えたら、百人が百人ともおとなしくしているだろう。
けれど、私の正義感が、求道心がもはやそれを許さなかった。
″世俗的な望みを捨ててきたはずじゃないか。
あれだけの犠牲を払い選びとった道を行くのに、いまさら何を恐れるんだ。
即刻クビというなら、それもいい。
これをきっかけに大川先生に、ホンモノの大如来として、大きな愛の輝きを持っていただくことのはうが大切ではないのか″
一方には、不安もあった。
もしかしたら、今度のことは私には理解できない愛の表現なのではないか。
冷血を装って私たちをハラハラさせてから、すぐ後でウーソと唸らせるようなドンデソ返しが用意されていたら、どうしよう……。
0548神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 19:26:42.23ID:jwIy6Wyh
私は〈幸福の科学〉の愛の神髄を確かめるべく、思い切って筆を握った。
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/56.html
大恥をかくことになるが、こんな嬉しい恥はない。大いに笑われてやろう″
私は〈幸福の科学〉の愛の神髄を確かめるべく、思い切って筆を握った。
(質問)迷える小羊の扱いについて
イエス様の愛の表現の仕方としては、九九匹の羊を待たしても一匹の迷える小羊を探し出して連れて行くというふうに聞いております。
私の考えでは、今回神託結婚を拒否したAさんが迷える小羊に見えるので、先生には一対一でよく諭して欲しいとお願いしたのですが実現しませんでした。
会が急速に伸びなければならない時期という点はわかりますが、先生とイエス様の「愛の表現の違い」をわかりやすくご指導ください。
(答え)
問題の本質が十分に見えていないようです。
総務の仕事は火消し役です。
火種に油を注いではなりません。
知恵なき愛は人を我が儀にさせ、増長させ、そしてついに堕落させます。
A氏の問題でなく、自分の問題として考えてください。
過去自分の意図に反して人が行勤した際に、それがなぜであるか考えてみてください。
結婚の現象は、幸福の科学の指導霊団が今回の仕事の実証として計画しているものです。
そしてこの現象を妨害して、霊言の信憑性をぐらつかせようとしているルシファーたちの計画があります。
幹部たるもの職員たるもの、こちらに加担してはならないのは当然のことです。
指導霊団の怒りの真意を看破してください。
それともう一つは、こうした団体に集う人は、自分の日常生活的な問題や、身体的な問題まで、精神的なもの、霊的なものにスリかえる傾向があります。
---以上---
👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 0549神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 19:27:26.72ID:jwIy6Wyh
私は〈幸福の科学〉の愛の神髄を確かめるべく、思い切って筆を握った。
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/56.html
?------この人は何を語っているのだろう。
これでは、私の質問に何も答えていないのと同じではないか。
おまえたちは何も考えず与えられた仕事だけをしていろ、ということなのか。
それではヒットラーやスターリソと少しも違わない。
そのうえご丁寧にも、「日常生活的な問題や身体的問題を、精神的霊的問題とスリかえるな」と、体の不調を口実に出勤拒否している中原にまで牽制球を投げている。
どこにも愛はなかった。
思いやりも優しさも、仲間を護る暖かさも勇気も、何一つ見出すことができなかった。
これでも高次元の愛だと言うなら、一〇〇パーセント庇理屈である。
昨日までの仲間が悩み、迷っているのだ。
光を求め、道を探っているのだ。
職を捨てて霊性時代の樹立のためにはせ参じた私たちの同志が、いま迷っているのである。
こんなときに、愛の手を差しのべないで、いつ愛をおこなうのか。
自分の言うことを聞かないからとサッサと切り捨ててしまう。
そんな釈迦如来がいるだろうか?
″与える愛″は建前だけ、理論として口で唱えるだけだったのか。
そんな宗教団体なら、今までにも腐るほどたくさんあった。
理論だけ、おしゃべりだけなんてクソにもならん。
私たちが夢見たものは、そんなものではなかったはずだ。
怒りを通り越して、落胆した。
必死に支えてきた心の奥の何かが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちるのが聞こえてくるようだった。
″やっぱり、本者のお釈迦さまではなかったのか……″
寒かった。
心が寒くてならなかった。
0550神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 21:06:39.33ID:+t3vAp81
さらば、〈幸福の科学〉よ
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/57.html
阿南事件のあった八八年から八九年にかけての冬は、寒く長いものに思われた。
その年の一月、昭和天皇の崩御があった。
二月には政界、財界、官界を巻き込んだリクルート疑惑で、リクルート元会長が逮捕されている。
また、新聞やテレビのニュースでは埼玉県で頻発していた幼女誘拐殺人のことが連日報じられていた。
バブル経済の真っ最中だったが、暗いニュースがつづいた。
物質的に豊かにはなったが、人の心はますます荒廃の度を深めていくようだった。
その荒廃から立ち上がるべく、新しい価値を求めた私たちの運動。
そこに、私はもう希望を見出せなくなっていた。
心が重く沈む。
春はなかなか釆ないように思われた。
しかしバブルが膨らみつづけていたように、〈幸福の科学〉も着実に大きくなっていった。
三度目の拠点となっていた西荻窪の地下の事務所もすでに手狭になっている。
さて次の事務所はどうしよう、という話がチラホラ出ていた。
またまた私の出番である。
駅前の七階建てビルが空くと聞いて当たってみたが、宗教団体はお断りとアッサリ振られてしまった。
西荻窪にしっかり根をおろし、ここを神理伝道の拠点にするというのが、〈幸福の科学〉の最初の決意だった。
「場所など問題ではない。
素晴らしい教えさえ説きさえすれば、地球の裏側からでもここへ尋ねてくるようになる。
だから、この西荻窪が聖地なのだ。
天理教ができて天理市になったように、(幸福の科学〉がこの町の名前を変える日がきっとくる」
はじめの頃、西荻窪への大川の入れ込みょうは大変なものだった。
しかし主宰先生の言うことは、すっかり変わってしまった。
0551神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 21:07:17.64ID:+t3vAp81
さらば、〈幸福の科学〉よ
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/57.html
「こんな田舎に何でいなければならないんだ。
政治家とのコンタクトも、これからは必要になる。
中央へ出たい。
高級霊からの通信も、それがいいと言っている」
大川に何か野心があるなら、便利屋程度にしか見られていない私が、何を言っても耳を傾けはしないだろう。
「高級霊からの通信」という切り札があるかぎり、どんな正論も通じない。
高級霊の指示だからと、その野心を達成しようとするだろう。
″どうせなら、何でもしてやろうじやないか″
そんな気持ちになっていた。
新宿三丁目に手頃な貸しビルがあった。
宗教団体を表に出さず、出版社として下交渉すると間もなくOKが得られた。
そこを第一の候補として、次にもっと思い切りすごいところを狙ってみた。
それが「紀尾井町ビル」である。
千代田区紀尾井町に建設が進んでいた地上二六階建てのこのビルは、当時ビジネスマンの話題の中心であり、あこがれの的だった。
東京の一等地ではもはや入手不可能な広いフロア、皇居や永田町にも近い地の利。
賃貸料も月何千万円という単位である。
そこに入居することは、トップ企業の証明であるかのように思われていた。
″一つ、あそこを狙ってやろうか″
新宿のビルの下交渉で親しくなった不動産業者に相談すると、たちまち目を輝かせた。
契約成立となれば、手数料だけで二〇〇〇万円を越えるのである。
しかし金を出せば誰でも入れる、というわけではなかった。
権威という付加価値をつけたいビル側(大京)の内容審査は厳しく、やっと名が売れ始めたばかりの宗教団体に簡単に貸してくれるとは思えなかった。
0552神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 21:16:28.51ID:+t3vAp81
紀尾井町ビルヘの入居契約が最後の奉公
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/58.html
とりあえず本部に相談すると、大川は身を乗り出してきた。
ダメでもともとではないか、とりあえず挑戦してみよう。
その気になって、大いに私を励ましてくれた。
中小企業が、一気に一流企業の仲間入りをするのである。
会の礎として献身してきた私にも、それは愉快なことである。
大京の事務所へ行くと態度こそ丁寧だったが、こちらを軽く見ているらしいことは、私にも推察できた。
〈幸福の科学〉などという名前は聞いたこともないのだろうから、それもしかたあるまい。
この敵をどう攻略してやろうか。
私はいつの間にか、″紀尾井町ビル入居″をゲーム感覚で楽しみ始めていた。
次の折衝のときは、建設中のビルへ案内された。
まだ骨組みしかなかったが、鳥カゴのようなエレベータで二一階まで昇った。
物凄い恐怖と、春とはいえ、寒々とした曇り空だったことをよく覚えている。
東京を脾睨するような、素晴らしい見晴らしだった。
あんな高みから見おろしたら、人の心や生活はますます見えにくくなるだろう。
今にしてそんなふうに思う。
しかしあのときの私は、そんなことを感じるゆとりはなかった。
高所恐怖症者のように、自分の高さが怖くてしかたなかった。
事務所に帰った私は、見てきたことをさっそく大川や幹部連中に話した。
私自身いくらか興奮していたかもしれない。
当初は夢物語でしかなかった。
それが次第に、大きな期待となって膨らんでいった。
0553神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 21:17:02.83ID:+t3vAp81
紀尾井町ビルヘの入居契約が最後の奉公
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/58.html
ついに高級霊からの指示があった。
「高級霊から指示が下り、九次元霊全員が新宿ではなく紀尾井町ビルに移れと言っている」
ある朝、そんな神示が大川から披露された。
ご存じない方のために言っておくと、九次元というのは人の霊としては最も進化した人々のいる世界で、仏陀、キリスト、アラー(高橋信次)、モーゼ、孔子、ニュートンなどが九次元霊である。
その霊たちがこぞって、「紀尾井町ビルに移れ」と言っているという。
私にとっては、いよいよ話が面白くなってきた。
例の業者と作戦を練った。
まず、新宿のビルのほうで内諾をとり、その信用で大京側を落とそうというものだった。
じきに大京から、もう少し具体的に調査したいと言ってきた。
今度は細田局長をともなって大京を訪れた。
質問は以前と同じだったが、私にはピンとくるものがあった。
私たちは、事務所としては最高の場所にある一八階を希望してその日の交渉を終えた。
外に出ると、細田が言った。
「ウチのスケールでは、ちょっと無理じゃないかね」
「いや、これはOKですよ。間違いない。ただね、一八階は貸せないが、三階か四階ならいいと必ず言ってきますよ」
まだ小寒い陽射しの中を、私たちは西荻窪の小さな事務所へと急いだ。
そこに入居することは、トップ企業の証明であるかのように思われていた。
これが、(幸福の科学〉における私の最後のご奉公になった。
しかしそれを今、複雑な気持ちで思い出す。
この紀尾井町ビルが、会の拡大路線に火をつけてしまったのではないだろうか。
0554神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 21:17:44.59ID:+t3vAp81
0555神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 21:27:36.70ID:+t3vAp81
「光の天使」から「光の戦士」への変質
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/59.html
一九八九年(平成元年)は、学習団体から伝道団体へと〈幸福の科学〉がその性格をハッキリと転換した記念すべき年である。
人材の用い方にも、拡大路線がはっきり現れてきた。
中原や阿南がいなくなり、かわって大川が耳を傾けるようになったのは、営業や組織づくりのベテランの声だった。
○○生命営業本部長の黒木文雄、熊本で不動産業者として成功していた坂本頼男、創価学会で会員集めに活躍した大沢敏夫などが、会を動かし始めていた。
大沢敏夫の登場についても、私は内心悔恨たるものがある。
会の発足記念座談会で、大沢が 「リユウホウ先生、リユウホウ先生」と発言したことはすでにお話しした。
その後も大沢からは、「リユウホウ先生の下で活動したい」というようなアプローチが何度かあった。
しかし申し出は、やんわりと拒絶されている。
彼の敏腕に会をかきまわされるのを、大川は心配したのである。
会の基礎が固まり、拡大がテーマになって、大川が思い出したのが大沢だった。
あれほど敬遠していた大沢に連絡をとり、職員になる気があるかどうか確かめよという指示があった。
その交渉役がまた私にまわってきた。
すでに私は、異を唱える気力も失っていた。
会全体にも、ワンマン社長というより神として、その言葉には絶対服従であるという暗黙の了解ができつつあった。
大沢との話はうまくまとまり、まずは相談役という立場で〈幸福の科学〉を応援してもらうことになった。
本部には、草創期の情熱とはまた違った熱気がみなぎっていた。
そんな雰囲気の中で、あるとき関東地方の青年部の集会が開かれた。
0556神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 21:28:11.15ID:+t3vAp81
「光の天使」から「光の戦士」への変質
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/59.html
そこでは、私が講演することになっていた。
拡大路線をひた走る会の将来を危惧していた私は、反省についてじっくり語ってみたいと思った。
ご存じの方も多いと思うが、〈幸福の科学〉では大川の説く「現代の四正道」が教義の柱になっている。
「愛」「知」「反省」「発展」の四つを幸福の原理として、自らの心を探究していこうという教えである。
まわりが発展と知ばかりだったから、私一人ぐらいは反省を説かなければという気持ちだった。
反省こそ自己確立の最短コースであると、事あるごとに私は述べていた。
自分の人生を振り返ることが、一番の修行法であり、また千に一つの間違いもないということを、私は講演会のたびに繰り返し強調してきた。
だから、この点にかぎっては私は青年部にひどく受けが悪かった。
理由はハッキリしている。
〈幸福の科学〉の会員、とくに若い会員たちは、反省など大嫌いだったのである。
そんな面倒なことは避けて通りたかったのだ。
性懲りもなく、この日も私は反省の必要を訴えた。
私の話が終わると、関東地方の世話役だった俳優の北原宏一がマイクの前に立った。
彼もまた反省の嫌いの部類だった。
「反省など要らない。〈幸福の科学〉にこんな教えがあるのがおかしいんだ」
何人かの委員がハッとして私のほうを見た。
「おまえたちは若いんだ。反省なんかしているヒマがあったら、外へ出て何でもいいからやってこい。何でもいいから会のために行動しろ」
こんなアジテーションが若い会員には受けた。
0557神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 21:28:43.96ID:+t3vAp81
「光の天使」から「光の戦士」への変質
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/59.html
世話役といえども部外者の北原が、本部講師の講演にイチヤモンをつけるなど、本来なら間違ってもあってはならないことである。
しかし″会のため″と言えば、それも許されてしまう。
そんなところにも、学習団体から伝道団体への会の変質が現れていた。
私の記憶では、この北原が(光の戦士)という言葉を最初に使ったのではないだろうか。
ある集会の席でこう発言したのである。
「私は(光の天使)にはなれないかもしれない。しかし(光の戦士)になら、なれる。
喜んで、会のために戦う(光の戦士)となりましょう」
それ以降、(光の天使)よりも(光の戦士)のほうが、この会のアイデンティティーを示す言葉として一般的になっていく。
大川の言う(光の天使)とは菩薩であり、利他行の実践者のことである。
一方、(光の戦士)は伝道者、ありていに言えば新しい会員を獲得し、たくさんの人を集める活動家である。
天使から戦士へ。
これほど〈幸福の科学〉の変質を端的に物語るものがほかにあるだろうか。
後のフライデー事件の際に示された、天使とは思えない攻撃的な姿勢も、じつはここに始まっていたのである。
北原の演説に湧き立ち、目を輝かせている若者たちを、私は講演者席から淋しい思いで見ていた。
この会での私の仕事はもう終わったのかもしれない。
去るべきときを、私は漠然と予感した。
0558神も仏も名無しさん2017/02/05(日) 21:44:07.47ID:CwRhlJD9
バカボン
ついに年貢の納めどきかよ
身体糖尿病で腐ってるな
0559神も仏も名無しさん2017/02/06(月) 10:19:09.59ID:IGTAjcwU
必然的だったフライデー事件への道
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/60.html
私たちの〈幸福の科学〉では、大川隆法の説く「愛」「知」「反省」「発展」の四つが幸福の原理とされた。
しかし今の会には、「発展」だけが残り、ほかの三要素はすっかり抜け落ちてしまったという印象が私には強い。
まず、愛。
主宰先生には素晴らしい愛の言葉がある。
しかし、愛の実践はどこにも見つからなかった。
実践なき愛に何の意味があるだろう。
″与える愛″などという言葉は知らなくても、生活の中で自然にそれを実践している人たちのほうが、はるかに高次元の魂である。
自宅前の道を掃くついでに、隣の家の前も掃いている主婦。
電車の中でお年寄りに席を譲る少女。
夜遅くまで同僚の残業を手伝ってしまうサラリーマン。
大川の本を読んで愛の発展段階をおぼえる前に、会員はそういうありふれた愛の実践をおこなっているだろうか。
もし、″伝道は与える愛の実践です″(大川きょう子『愛を与えることの幸福』)などと言うのなら、あまりにも人を喰った話ではないか。
次に、知。
私たちはこれを求めてきた。
そのために学習団体をつくった。
0560神も仏も名無しさん2017/02/06(月) 10:19:45.31ID:IGTAjcwU
必然的だったフライデー事件への道
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/60.html
しかし大川が導入した試験制度は、彼の神理を一方的に受け入れるだけの″受験勉強″に学習を変えてしまった。
考えるという、本来の学習は必要ではなくなったのだ。
---宗教法人「幸福の科学」は″人間にとってほんとうの幸福とは何か″というテーマを考えていく人びとの集いです。
会の出版物にはそう書かれている。
しかし自分で考える人間は、阿南のように去っていかなければならない。
〈幸福の科学〉では考えてはいけないのである。
(幸福の科学〉の優等生になりたい、試験でいい成績をとって表彰されたい読者のために、かつての採点者として、受験テクニックをご披露しておこう。
回答には、体験的な含蓄のある話は避けること。
霊言集の暗記に精を出し、抽象的な理論を展開し、できるだけきれいごとで終わらせること。
実人生の体験から神理を語るようなことは、ゆめゆめしてはならない。
どんなに神理に迫っていても高く評価されない。
さて、三つ目は反省である。
イエスも仏陀も最初に反省を訴えた。
ときには、それを厳しく強いてもいる。
大川も幸福の原理の一つに反省を挙げた。
自分の心を見つめる反省こそ最高の修行法である、と説いたのは高橋信次である。
想念帯の曇りを反省によって取り除いていけば、誰でも本源の神に通じることができる。
それが彼の教えの核であった。
大川が反省を挙げるのも、こうした高橋の教えの影響を強く受けているからだろう。
しかし〈幸福の科学〉には何の反省行もなかった。
そこが大きな問題であると、私は常々感じていた。
最近になって九〇年二月の『実践反省法講義』のテープを聞いてみたが、そこにも、世間で言われているような″軽く浅い″説法があるだけだった。
この講話でも大川は、反省が天上界につながる絶対条件であると一応は述べている。
0561神も仏も名無しさん2017/02/06(月) 10:20:22.31ID:IGTAjcwU
必然的だったフライデー事件への道
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/60.html
高橋信次そのままだから、そんなことは高橋の本を読めば誰にでも言える。
しかし知らない人はここで、「大川隆法はすごい」と思ってしまうのである。
大事なのはそんな理屈ではなく、ほんとうの反省があるかどうかである。
では、大川の反省法とはどのようなものか
@「小欲知足」を理解しなさい。
A他のせいにするな、原因はすべて自分にあると理解しなさい。
B自分の欠点を修正していく努力が大切であると理解しなさい。
この三つが講義の柱になっている。
頭で理解することと反省とは、まるで違うはずだが、それは措くとしよう。
講義の後に、大川による反省瞑想指導がある。
「ハイ、足ることを知らないでいた自分について思い出してください」
そして、一五分ほど無言がつづく。
そのあいだ参加者は、足ることを知らなかった自分を必死で思い出しているのだろう。
「過去、他人のせいにしていたことがなかったかどうか、思い出してみてください」
「ハイ、自分の欠点を直す努力をしたかどうか思い出してください」
信じられないことに、これが「実践反省法」のすべてだった。
なんとつまらない反省であろう。
こんなものでは、そこにいた全員が、もうそれっきり自分からは二度と反省などしないことは断言できる。
反省といっても、〈幸福の科学〉ではこの程度なのだ。
反省のないところに、正しい発展はあり得ない。
あのフライデー事件も、反省なき発展の結果ではなかっただろうか。
0562神も仏も名無しさん2017/02/06(月) 10:31:10.16ID:IGTAjcwU
これがフライデー事件の真相だ
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/61.html
あのフライデー事件における(光の戦士)たちの行動を思い出してみよう。
フライデー事件の背景となったのは、大川が九〇年に発表した「サンライズ計画」、翌年の九一年にブチあげた「ミラクル計画」による会の極端な膨張である。
私が退会した八九年には実数で一万数千人の会員がいた。
それが九〇年になると、わずか一年間で一七万に増えている。
さらに「ミラクル計画」では、九一年に一〇〇万人、九二年に三〇〇万人、九三年には会員一〇〇〇万人を目標に設定した。
正常な判断力があれば、この計画そのものに、すでに異常が潜んでいることに気づくだろう。
しかし、仏陀が掲げた目標である。
会員を動員し、出版、新聞、テレビ・ラジオを使った大キャンペーンが打たれる。
その経費が二〇億円とも言われている。
その結果、九一年には二〇〇万人を突破し、九二年をすぎると、会員のあいだでは五〇〇万、七〇〇万という数字が噂されるようになる。
仏陀の宣言した目標は着実に達成されているのである。
もし、この数字がほんとうに達成されていると信じる会員がいたら、おめでたいと言うしかない。
私のところへ集まってくる話では、実数はせいぜい一〇〇万人。
しかも、そのほとんどは、おつきあいで入った月刊誌だけの誌友会員である。
熱心な会員と呼べるのは一〇万人程度ではないだろうか。
大川の説く神理に実践がともなわなかったように、会員の数も実態のともなわない数字でしかない。
それでも目を見張るような発展ぶりである。
八六年に開かれた発足記念座談会の聴衆はわずか七〇人。
0563神も仏も名無しさん2017/02/06(月) 10:31:44.74ID:IGTAjcwU
これがフライデー事件の真相だ
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/61.html
それが五年後には、東京ドームを満席にするのである。
たいへんな躍進と言わなければならない。
しかし、出るクイは打たれる。
短期間に急成長を遂げ、紀尾井町ビルのワンフロアを借り切って、華々しいキャンペーンを繰り広げている新宗教に、マスコミが噛みつかないはずがない。
霊能力者ならずとも予想できることである。
案の定、〈幸福の科学〉バッシングが始まった。
″御生誕祭″ の二カ月後、写真週刊誌『フライデー』に批判的な連載記事が掲載される。
「急膨張するバブル教団『幸福の科学』/大川隆法の野望」。
記事は悪意と中傷に満ち満ちたものだった。
すでに自分の生活に戻った中原幸枝のプライベートにまで、無遠慮にカメラが向けられた。
なかでも大川を激怒させたのは、「学生時代の大川はうつ病で精神科医にかかっていた」という箇所だった。
名誉棄損罪で出版元の講談社と、フライデー編集長を東京地裁に告訴。
講談社には三〇〇人あまりの会員が抗議デモをかけ、同時に抗議電話が殺到。
ファックスも絶え間なく送られてくる抗議文に占領されて、業務にも支障をきたす事態になった。
「これは宗教戦争であり、聖戦である」
大川はそう宣言している。
前後の会の動きを、私が知り得たところをもとに再現してみるとこうなる。
まず、会としての対応を検討するために、紀尾井町ビルの本部に課長以上の幹部四〇名ほどが招集された。
会議は前後二日におよんでいる。
0564神も仏も名無しさん2017/02/06(月) 10:32:21.72ID:IGTAjcwU
これがフライデー事件の真相だ
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/61.html
最初は、「こんな写真誌の記事は無視しょう」という穏健な意見が大勢を占めていた。
それに対し、大沢敏夫ら数人の幹部が「そんな意気地のないことでどうするか」「今こそ仏陀様に恩返しするときである」と強硬に主張して譲らなかった。
両者の議論は白熱し、会議というよりはケンカに近い様相を呈してきた。
このとき穏健派を代表していた幹部の一人、前川節が主宰室に呼ばれている。
何事かを大川と話し合い、再び席に戻った前川はすっかり大沢グループに豹変していた。
これがその場の情勢を一変させる。
″正義のための闘い″へ向かって動き出したのである。
この会議の最中、大川家から二度ほどファックスが送られてきた。
「大衆受けするよう整然とした隊列をつくること。目立つように盛大におこなうこと」
といった内容が記されていた。
講談社への抗議デモの具体的やり方を、主宰夫人が指示してきたのだ。
おそらく抗議デモの一件は、大川夫妻と大沢のあいだで、あらかじめ決定されていたのだろう。
会議の参加者は、そのまま中野にあるオリンピックビルの研修場へ移動した。
そこにはすでに、関東支部の会員三〇〇人ほどが動員されていた。
彼らを前に、大沢、そして大川が拳を振り上げながら熱烈なアジテーションをおこなっている。
「我われは、魔に対して断固として闘う。キリストをはじめ、天上界の天使たちもそうせ
よと言っている」
と、天狗の団扇を正面に突き出して宣言したのだ。
0565神も仏も名無しさん2017/02/06(月) 10:38:57.88ID:IGTAjcwU
かくして、講談社へのイヤガラセ部隊の出陣となった。
http://sakihama-okinawa.muragon.com/entry/62.html
右の頼を叩かれたら左の頼を出せと説くキリストが、まさかそんなことを言うとも思えないが、霊言とはまことに便利なものではある。
かくして、講談社へのイヤガラセ部隊の出陣となった。
しかしこの滑稽劇にはまだ続きがあった。
デモ終了後、会員たちは再び研修場へ戻り、講談社への抗議文を書かされた。
ほとんどの参加者はそのとき渡されたコピーで、はじめて記事を読んだ。
主宰先生の結婚式の写真なども載っていたから、大川の私生活については何も知らされていない会員たちは、大喜びで読みふけったという証言もある。
デモで疲れているのに、さらに「抗議文」を書けという。
被害を受けた感じもしないので何を書いていいかわからず、戸惑った参加者も少なくなかったらしい。
こうした会の対応が世間の批判を浴びると、景山民夫らが中心となって「講談社=フライデー被害者の会」を結成し、市民運動を装いながら抗議を法廷へ持ち込んだ。
もちろん市民運動でも何でもない。
言うまでもなく、〈幸福の科学〉本部の指示でつくられ、命令にしたがって動いている。
また、抗議電話や抗議ファックスに関しても、「止むに止まれぬ気持ちから会員が自発的におこなったもの」と会は釈明したが、
たとえ止むに止まれぬ気持ちからでも、本部からの指令に基づいていたであろうことは断言してもいい。
会の体質からして、大川の指示がなければ何一つできないのである。
阿南事件で残った古い会員も、フライデー事件をきっかけに多くが会を去っている。
拡大拡大できた会員の獲得もかげりが現れ、資金面で行き詰まっていると聞く。
フライデーは、まさに〈幸福の科学〉のつまずきの石になった。
景山民夫や小川知子らが、もうしばらくの間は続けるであろう熱唱にもかかわらず。
そこで思い出すのが、昭和三十一年に起きた立正佼成会の読売事件のことだ。
👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)