0001Christian.dinner2016/09/10(土) 17:38:43.79ID:dGD6h4aF
「あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のように この世に輝いています。
このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、
労したこともむだではなかったと誇ることができます。 」
新約聖書 ピリピ人への手紙
0591Christian.dinnerの葡萄デザート2016/10/05(水) 08:14:18.29ID:pisBVYE4
わたしたちは、あなたがたの所まで行けない者であるかのように、むりに手を延ばしているのではありません。
事実、わたしたちが最初にキリストの福音を携えて、あなたがたの所までも行ったのです。
わたしたちは限度をこえて、他人の働きを誇るようなことはしません。
ただ、あなたがたの信仰が成長するにつれて、わたしたちの働きの範囲があなたがたの中でますます
大きくなることを望んでいます。 こうして、わたしたちはほかの人の地域ですでになされていることを
誇ることはせずに、あなたがたを越えたさきざきにまで、福音を宣べ伝えたいのです。 誇る者はヤハウェを
誇るべきです。 自分で自分を推薦する人ではなく、ヤハウェに推薦される人こそ、確かな人なのです。
0592よーさん ◆aXOb53Jrsg 2016/10/05(水) 08:25:33.87ID:VW218X02
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。ハレルヤ 。
Christian.dinnerさん、みなさん、おはようございます。
>>586
おはようございます。 0593神も仏も名無しさん2016/10/05(水) 08:28:18.66ID:oR2AglTV
おはようございますって、宗教2chも、まことだけだろww
0594Christian.dinnerのカフェオレ2016/10/05(水) 08:37:43.37ID:/fkfInxR
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。ハレルヤ 。
>>592
よーさん、おはよう。
>>593
宗教板のまことじいさんてだれ。君自身ではないか。笑い
君が戯言を言ってるだけ。君は他人に成り済ます、盗人であり、詐欺師、わかった?大笑い わたしが少しばかり愚かなことを言うのを、どうか、忍んでほしい。もちろん忍んでくれるのです。
わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛しています。あなたがたを、きよいおとめとして、
ただひとりの男子キリストにささげるために、婚約させたのです。
ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、
キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということです。 というのは、もしある人がきて、
わたしたちが宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、あるいは、あなたがたが
受けたことのない違った霊を受け、あるいは、受けいれたことのない違った福音を聞く場合に、
あなたがたはよくもそれを忍んでいます。 事実、わたしは、あの大使徒たちにいささかも
劣ってはいないと思います。 たとい弁舌はつたなくても、知識はそうでありません。わたしは、事ごとに、
いろいろの場合に、あなたがたに対してそれを明らかにしました。
それとも、あなたがたを高めるために自分を低くして、神の福音を価なしにあなたがたに宣べ伝えたことが、
罪になるのでしょうか。 わたしは他の諸教会をかすめたと言われながら得た金で、あなたがたに奉仕し、
あなたがたの所にいて貧乏をした時にも、だれにも負担をかけたことはなかったのです。わたしの欠乏は、
マケドニヤからきた兄弟たちが、補ってくれました。こうして、わたしはすべての事につき、
あなたがたに重荷を負わせまいと努めてきたし、今後も努めよう。
わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います、この誇がアカヤ地方で封じられるようなことは、
決してありません。 なぜでしょうか。わたしがあなたがたを愛していないからでしょうか。それは、神がご存じです。
しかし、わたしは、現在していることを今後もしていこう。
それは、わたしたちと同じように誇りうる立ち場を得ようと機会をねらっている者たちから、
その機会を断ち切ってしまうためです。
こういう人々は偽使徒、人をだます働き人であって、キリストの使徒に変装しているにすぎないからです。
しかし、驚くには及びません。サタンも光の天使に変装するからです。
だから、たといサタンの手下らが、義の奉仕者のように変装したとしても、不思議ではありません。
彼らの最期は、そのしわざに合ったものとなるでしょう。
繰り返して言うが、だれも、わたしを愚か者と思わないでほしい。もしそう思うなら、愚か者あつかいに
されてもよいから、わたしにも、少し誇らせてほしい。 いま言うことは、ヤハウェによって言うのではなく、
愚か者のように、自分の誇とするところを信じきって言うのです。 多くの人が肉によって誇っているから、
わたしも誇ろう。 あなたがたは賢い人たちなのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるでしょう。
実際、あなたがたは奴隷にされても、食い倒されても、略奪されても、いばられても、顔をたたかれても、
それを忍んでいます。 言うのも恥ずかしいことだが、わたしたちは弱すぎたのです。もしある人があえて誇るなら、
わたしは愚か者になって言いますが、わたしもあえて誇りましょう。 彼らはヘブル人なのですか。
わたしもそうです。彼らはイスラエル人なのですか。わたしもそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。
わたしもそうです。 彼らはキリストの僕なのですか。わたしは気が狂ったようになって言います、
わたしは彼ら以上にそうです。苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、
はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばありました。 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを
受けたことが五度、 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、
そして、一昼夜、海の上を漂ったこともあります。
0597Christian.dinnerの特製弁当2016/10/05(水) 11:19:31.43ID:r3MfV04W
幾たびも旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、
にせ兄弟の難に会い、 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢えかわき、しばしば食物がなく、
寒さに凍え、裸でいたこともありました。 なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る
諸教会の心配ごとがあります。 だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれましょうか。
だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれましょうか。
もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
永遠にほむべき、ヤハウェ・イエス・キリストの父なる神は、わたしが偽りを言っていないことを、ご存じです。
ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕えるためにダマスコ人の町を監視したことがあったのですが、
その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれたのです。
わたしは誇らざるを得ないので、無益でしょうが、ヤハウェのまぼろしと啓示とについて語りましょう。
わたしはキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、
からだのままであったか、わたしは知りません。からだを離れてであったか、それも知りません。神がご存じです。
この人が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知りません。
神がご存じです―― パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない
言葉を聞いたのを、わたしは知っています。 わたしはこういう人について誇りましょう。
しかし、わたし自身については、自分の弱さ以外には誇ることをしません。
もっとも、わたしが誇ろうとすれば、ほんとうの事を言うのだから、愚か者にはならないでしょう。
しかし、それはさし控えましょう。わたしがすぐれた啓示を受けているので、わたしについて見たり聞いたり
している以上に、人に買いかぶられるかも知れないからです。そこで、高慢にならないように、
わたしの肉体に一つのとげが与えられました。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのです。
このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度もヤハウェに祈りました。
ところが、ヤハウェが言われました、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。
わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、
喜んで自分の弱さを誇りましょう。 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、
行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからです。
わたしは愚か者となったのです。あなたがたが、むりにわたしをそうしてしまったのです。
実際は、あなたがたから推薦されるべきでした。というのは、たといわたしは取るに足りない者だとしても、
あの大使徒たちにはなんら劣るところがないからです。 わたしは、使徒たるの実を、しるしと奇跡と
力あるわざとにより、忍耐をつくして、あなたがたの間であらわしてきました。
いったい、あなたがたが他の教会よりも劣っている点は何か。
ただ、このわたしがあなたがたに負担をかけなかったことだけではありませんか。
この不義は、どうか、ゆるしてもらいたい。
さて、わたしは今、三度目にあなたがたの所に行く用意をしています。しかし、負担はかけないつもりです。
わたしの求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身なのだから。
いったい、子供は親のために財をたくわえて置く必要はなく、親が子供のためにたくわえて置くべきです。
そこでわたしは、あなたがたの魂のためには、大いに喜んで費用を使い、また、わたし自身をも使いつくそう。
わたしがあなたがたを愛すれば愛するほど、あなたがたからますます愛されなくなるのでしょうか。
わたしは、あなたがたに重荷を負わせなかったとしても、悪がしこくて、あなたがたからだまし取ったのだと、
人は言います。 わたしは、あなたがたにつかわした人たちのうちのだれかをとおして、あなたがたから
むさぼり取ったでしょうか。 わたしは、テトスに勧めてそちらに行かせ、また、かの兄弟を同行させた。テトスは、
あなたがたからむさぼり取ったことがあるでしょうか。わたしたちは、みな同じ心で歩いたではありませんか。
同じ足並みで歩いたではないですか。あなたがたは、わたしたちがあなたがたに対して弁明をしているのだと、
今までずっと思ってきたでしょう。しかし、わたしたちは、神のみまえでキリストにあって語っているのです。
愛する者たちよ。これらすべてのことは、あなたがたの徳を高めるためなのです。わたしは、こんな心配をしています。
わたしが行ってみると、もしかしたら、あなたがたがわたしの願っているような者ではなく、わたしも、
あなたがたの願っているような者でないことになりはしませんか。もしかしたら、争い、ねたみ、怒り、党派心、
そしり、ざんげん、高慢、騒乱などがありはしないでしょうか。 わたしが再びそちらに行った場合、
わたしの神が、あなたがたの前でわたしに恥をかかせ、その上、多くの人が前に罪を犯していながら、
その汚れと不品行と好色とを悔い改めていないので、わたしを悲しませることになりはしないでしょうか。
0601Christian.dinner御膳2016/10/05(水) 17:11:54.83ID:MHVZkIu6
わたしは今、三度目にあなたがたの所に行こうとしています。すべての事がらは、ふたりか三人の証人の
証言によって確定するのです。 わたしは、前に罪を犯した者たちやその他のすべての人々に、二度目に
滞在していたとき警告しておいたのですが、離れている今またあらかじめ言っておきます。今度行った時には、
決して容赦はしません。 なぜなら、あなたがたが、キリストのわたしにあって語っておられるという証拠を
求めているからです。キリストは、あなたがたに対して弱くはなく、あなたがたのうちにあって強いのです。
すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。このように、
わたしたちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によって、
キリストと共に生きるのです。あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、
自分を吟味しなさい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、悟らないのですか
もし悟らなければ、あなたがたは、にせものとして見捨てられます。しかしわたしは、自分たちが
見捨てられた者ではないことを、知っていてもらいたいのです。
0602Christian.dinnerの葡萄デザート2016/10/05(水) 17:20:55.45ID:MHVZkIu6
わたしたちは、あなたがたがどんな悪をも行わないようにと、神に祈ります。
それは、自分たちがほんとうの者であることを見せるためではなく、たといわたしたちが
見捨てられた者のようになっても、あなたがたに良い行いをしてもらいたいためです。
わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力があります。 わたしたちは、
自分は弱くても、あなたがたが強ければ、それを喜びます。わたしたちが特に祈るのは、あなたがたが
完全に良くなってくれることです。 こういうわけで、離れていて以上のようなことを書いたのは、
わたしがあなたがたの所に行ったとき、倒すためではなく高めるためにヤハウェが授けて下さった権威を用いて、
きびしい処置をする必要がないようにしたいためです。
最後に、兄弟たちよ。いつも喜びなさい。完全な者となりなさい。互いに励まし合いなさい。
思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるでしょう。
きよい接吻をもって互いにあいさつをかわしなさい。聖徒たち一同が、あなたがたによろしくとのことです。
ヤハウェなるイエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にありますように。
あなた方の結んだ全ての契(セツ)は破棄され
災いは過ぎ去ることはない。
あなた方の契約、協定は罪人の結んだ契=セツ=舌だからである
ゆえにこれを引き抜くことを主は許す。
災いを偽証者の上を過ぎ去ることはない。
陰府が裁くのではない。陰府の頭上にある
生と死の境界(教会)の権威があなた方を裁くのである
陽府、陰府ともに伏して災いがすぎるのを待て
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。ハレルヤ 。
イエス様を信じる愛する兄弟、姉妹たち、よーさん、おはよう。
人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた
父なる神とによって立てられた使徒パウロ、ならびにわたしと共にいる兄弟たち一同から、ガラテヤの諸教会へ。
わたしたちの父なる神とヤハウェなるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、
ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのです。栄光が世々限りなく神にあるように、アーメン。
あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、
違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならないのです。それは福音というべきものではなく、
ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことです。
しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に
反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわれるべきです。 わたしたちが前に言っておいたように、
今わたしは重ねて言います。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、
その人はのろわれるべきです。
今わたしは、人に喜ばれようとしているのでしょうか、それとも、神に喜ばれようとしているのでしょうか。あるいは、
人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、
わたしはキリストの僕ではありません。
兄弟たちよ。あなたがたに、はっきり言っておきます。わたしが宣べ伝えた福音は人間によるものではありません。
わたしは、それを人間から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのです。
0607よーさん ◆aXOb53Jrsg 2016/10/06(木) 09:08:51.98ID:Zq0IgaZB
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。ハレルヤ 。
Christian.dinnerさん、みなさん、おはようございます。
0608Christian.dinner2016/10/06(木) 10:56:40.10ID:hPK7bOB/
ハレルヤ
ユダヤ教を信じていたころのわたしの行動については、あなたがたはすでによく聞いています。すなわち、
わたしは激しく神の教会を迫害し、また荒しまわっていました。 そして、同国人の中でわたしと
同年輩の多くの者にまさってユダヤ教に精進し、先祖たちの言伝えに対して、だれよりもはるかに熱心でした。
ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、
異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、
血肉に相談もせず、 また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行きました。
それから再びダマスコに帰ったのです。
その後三年たってから、わたしはケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在しました。
しかし、ヤハウェの兄弟ヤコブ以外には、ほかのどの使徒にも会わなかったのです。 ここに書いていることは、
神のみまえで言いますが、決して偽りではありません。 その後、わたしはシリヤとキリキヤとの地方に行きました。
しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には、顔を知られていなかったのです。
ただ彼らは、「かつて自分たちを迫害した者が、以前には撲滅しようとしていたその信仰を、今は宣べ伝えている」
と聞き、わたしのことで、神をほめたたえました。
その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上りました。
そこに上ったのは、啓示によってです。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、
「重だった人たち」には個人的に示しました。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、
むだにならないためです。しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、
割礼をしいられなかったのです。 それは、忍び込んできた偽兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、
キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためでした。
わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかったのです。
そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには
全く問題ではありませんでした。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人たち」は、
わたしに何も加えることをしなかったのです。それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音を
ゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、
(というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、
異邦人につかわして下さったからです)、 かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられている
ヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べました。そこで、わたしたちは
異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのです。 ただ一つ、わたしたちが貧しい人々を
かえりみるようにとのことでしたが、わたしはもとより、この事のためにも大いに努めてきたのです。
ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじりました。
というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、
割礼の者たちを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからです。
そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれていました。
0611Christian.dinner弁当2016/10/06(木) 11:47:12.98ID:hPK7bOB/
彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言いました、
「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、
どうして異邦人にユダヤ人のようになることを強いるのか」。
わたしたちは生れながらのユダヤ人であって、異邦人なる罪人ではありませんが、 人の義とされるのは
律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、
わたしたちもキリスト・イエスを信じたのです。それは、律法の行いによるのではなく、
キリストを信じる信仰によって義とされるためです。
なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからです。
しかし、キリストにあって義とされることを求めることによって、わたしたち自身が罪人であるとされるのなら、
キリストは罪に仕える者なのでしょうか。断じてそうではありません。 もしわたしが、いったん打ちこわしたものを、
再び建てるとすれば、それこそ、自分が違反者であることを表明することになります。
わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死にました。わたしはキリストと共に十字架につけられたのです。
生きているのは、もはや、わたしではありません。キリストが、わたしのうちに生きておられるのです。
しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた
神の御子を信じる信仰によって、生きています。 わたしは、神の恵みを無にはしません。
もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになります。
ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に
描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのですか。わたしは、ただこの一つの事を、
あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが聖霊を受けたのは、律法を行ったからですか、
それとも、聞いて信じたからですか。あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのですか。聖霊で始めたのに、
今になって肉で仕上げるというのですか。あれほどの大きな経験をしたことは、むだであったのですか。
まさか、むだではないでしょう。すると、あなたがたに聖霊を賜い、力あるわざをあなたがたの間でなされたのは、
律法を行ったからですか、それとも、聞いて信じたからですか。
このように、アブラハムは「神を信じた。それによって、彼は義と認められた」のです。
0613神も仏も名無しさん2016/10/06(木) 12:19:43.93ID:IaBlcTEQ
再臨のキリストを見間違う人などいないのです。
0614Christian.dinnerの桃デザート2016/10/06(木) 12:28:23.63ID:hPK7bOB/
だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきです。 聖書は、神が異邦人を信仰によって
義とされることを、あらかじめ知って、アブラハムに、「あなたによって、すべての国民は祝福されるであろう」
との良い知らせを、予告したのです。 このように、信仰による者は、信仰の人アブラハムと共に、
祝福を受けます。 いったい、律法の行いによる者は、皆のろいの下にあります。
「律法の書に書いてあるいっさいのことを守らず、これを行わない者は、皆のろわれる」と書いてあるからです。
そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかです。
なぜなら、「義人は信仰により生きる」からです。 律法は信仰に基いているものではありません。
かえって、「律法を行う者は律法によって生きる」のです。 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、
わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さいました。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」
と書いてあります。 それは、アブラハムの受けた祝福が、イエス・キリストにあって異邦人に及ぶためであり、
約束された聖霊を、わたしたちが信仰によって受けるためです。
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。ハレルヤ 。
イエス様を信じる愛する兄弟、姉妹たち、よーさん、こんばんは。
兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言いましょう。人間の遺言でさえ、いったん作成されたら、
これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできません。 さて、約束は、アブラハムと
彼の子孫とに対してなされたのです。それは、多数をさして「子孫たちとに」と言わずに、ひとりをさして
「あなたの子孫とに」と言っています。これは、キリストのことです。 わたしの言う意味は、こうです。
神によってあらかじめ立てられた契約が、四百三十年の後にできた律法によって破棄されて、
その約束がむなしくなるようなことはありません。 もし相続が、律法に基いてなされるとすれば、
もはや約束に基いたものではありません。ところが事実、神は約束によって、相続の恵みを
アブラハムに賜わったのです。それでは、律法とはなんでしょうか。それは違反を促すため、
あとから加えられたのであって、約束されていた子孫が来るまで存続するだけのものであり、
かつ、天使たちをとおし、仲介者の手によって制定されたものにすぎないのです。 仲介者なるものは、
一方だけに属する者ではありません。しかし、神はおひとりです。 では、律法は神の約束と相いれないものでしょうか。
断じてそうではありません。もし人を生かす力のある律法が与えられていたとすれば、義はたしかに
律法によって実現されたでしょう。 しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリストに対する信仰によって
与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込めたのです。
0617神も仏も名無しさん2016/10/06(木) 18:00:16.25ID:DBOumOz8
約束の虹とは何かね?
しかし、信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視されており、
やがて啓示される信仰の時まで閉じ込められていました。
このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのです。
しかし、いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいません。
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのです。
キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのです。
もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。
あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。 もしキリストのものであるなら、
あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
わたしの言う意味は、こうです。相続人が子供である間は、全財産の持ち主でありながら、
僕となんの差別もなく、 父親の定めた時期までは、管理人や後見人の監督の下に置かれていました。
それと同じく、わたしたちも子供であった時には、いわゆるこの世のもろもろの霊力の下に、縛られていた者でした。
しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになったのです。
それは、律法の下にある者をあがない出すため、わたしたちに子たる身分を授けるためでした。
このように、あなたがたは子であるのですから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」
と呼ぶ御子の霊を送って下さったのです。 したがって、あなたがたはもはや僕ではなく、子です。
子である以上、また神による相続人なのです。
神を知らなかった当時、あなたがたは、本来神ならぬ神々の奴隷になっていました。
しかし、今では神を知っているのに、否、むしろ神に知られているのに、どうして、あの無力で貧弱な、
もろもろの霊力に逆もどりして、またもや、新たにその奴隷になろうとするのですか。
あなたがたは、日や月や季節や年などを守っています。 わたしは、あなたがたのために努力してきたことが、
あるいは、むだになったのではないかと、あなたがたのことが心配でならないのです。
兄弟たちよ。お願いします。どうか、わたしのようになってほしい。わたしも、あなたがたのようになったのですから。
あなたがたは、一度もわたしに対して不都合なことをしたことはありません。 あなたがたも知っているとおり、
最初わたしがあなたがたに福音を伝えたのは、わたしの肉体が弱っていたためでした。 そして、わたしの肉体には
あなたがたにとって試錬となるものがあったのに、それを卑しめもせず、またきらいもせず、かえってわたしを、
神の使かキリスト・イエスかでもあるように、迎えてくれました。 その時のあなたがたの感激は、今どこにあるのですか。
はっきり言いますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してでも、わたしにくれたかったです。
それなのに、真理を語ったために、わたしはあなたがたの敵になったのですか。 彼らがあなたがたに対して熱心なのは、
善意からではありません。むしろ、自分らに熱心にならせるために、あなたがたをわたしから
引き離そうとしているのです。 わたしがあなたがたの所にいる時だけでなく、いつも、良いことについて
熱心に慕われるのは、良いことです。 ああ、わたしの幼な子たちよ。あなたがたの内にキリストの形ができるまでは、
わたしは、またもや、あなたがたのために産みの苦しみをします。 できることなら、わたしは今あなたがたの所にいて、
語調を変えて話してみたい。わたしは、あなたがたのことで、途方にくれています。
律法の下にとどまっていたいと思う人たちよ。わたしに答えなさい。あなたがたは律法の言うところを
聞かないのですか。そのしるすところによると、アブラハムにふたりの子があったが、ひとりは女奴隷から、
ひとりは自由の女から生れました。 女奴隷の子は肉によって生れたのであり、自由の女の子は約束によって
生れたのでした。 さて、この物語は比喩としてみられます。すなわち、この女たちは二つの契約をさします。
そのひとりはシナイ山から出て、奴隷となる者を産みます。ハガルがそれです。 ハガルといえば、
アラビヤではシナイ山のことで、今のエルサレムに当ります。なぜなら、それは子たちと共に、
奴隷となっているからです。 しかし、天のエルサレムは、自由の女であって、わたしたちの母をさします。
すなわち、こう書いてあります、「喜べ、不妊の女よ。声をあげて喜べ、産みの苦しみを知らない女よ。
ひとり者となっている女は多くの子を産み、その数は、夫ある女の子らよりも多い」。
兄弟たちよ。あなたがたは、イサクのように、約束の子です。 しかし、その当時、肉によって生れた者が、
霊によって生れた者を迫害したように、今でも同様です。 しかし、聖書はなんと言っていますか。
「女奴隷とその子とを追い出せ。女奴隷の子は、自由の女の子と共に相続をしてはならない」とあります。
だから、兄弟たちよ。わたしたちは女奴隷の子ではなく、自由の女の子供なのです。
自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのです。だから、堅く立って、
二度と奴隷のくびきにつながれてはいけません。見よ、このパウロがあなたがたに言います。
もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになるでしょう。
割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておきます。そういう人たちは、
律法の全部を行う義務があります。 律法によって義とされようとするあなたがたは、
キリストから離れてしまっています。恵みから落ちているのです。わたしたちは聖霊の助けにより、
信仰によって義とされる望みを強くいだいています。 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、
問題ではありません。尊いのは、愛によって働く信仰だけです。
あなたがたはよく走り続けてきたのに、だれが邪魔をして、真理にそむかせたのですか。
そのような勧誘は、あなたがたを召されたかたから出たものではありません。 少しのパン種でも、
粉のかたまり全体をふくらませるのです。 あなたがたはいささかもわたしと違った思いをいだくことはないと、
ヤハウェにあって信頼しています。しかし、あなたがたを動揺させている者は、それがだれであろうと、
さばきを受けるでしょう。 兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、
いまなお迫害されるはずがありましょうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているでしょう。
あなたがたの煽動者どもは、自ら不具になるがいい。
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためです。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、
愛をもって互に仕えなさい。 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」
というこの一句に尽きるからです。
気をつけなさい。もし互いにかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互いに滅ぼされてしまうでしょう。
わたしは命じます、聖霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはありません。
なぜなら、肉の欲するところは聖霊に反し、また聖霊の欲するところは肉に反するからです。
こうして、二つのものは互いに相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、
することができないようになります。 もしあなたがたが聖霊に導かれるなら、律法の下にはいないのです。
肉の働きは明白です。すなわち、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、
党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいです。わたしは以前も言ったように、
今も前もって言っておきます。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがありません。
しかし、聖霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、
これらを否定する律法はありません。 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に
十字架につけてしまったのです。もしわたしたちが聖霊によって生きるのなら、また聖霊によって進もうではありませんか。
互いにいどみ合い、互いにねたみ合って、虚栄に生きてはいけません。
兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、
柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に
陥ることがありはしないかと、反省しなさい。 互いに重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたは
キリストの律法を全うするでしょう。もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように
思っているとすれば、その人は自分を欺いているのです。 ひとりびとり、自分の行いを検討してみなさい。
そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるでしょう。
人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきです。
御言葉を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。まちがってはいけない、
神は侮られるようなかたではありません。人は自分のまいたものを、刈り取ることになります。
すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るでしょう。
わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならないのです。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになります。
だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではありませんか。
0625Christian.dinnerの葡萄デザート2016/10/06(木) 19:32:05.52ID:aHCYAt0Q
ごらんなさい。わたし自身いま筆をとって、こんなに大きい字で、あなたがたに書いていることを。
いったい、肉において見えを飾ろうとする者たちは、キリスト・イエスの十字架のゆえに、
迫害を受けたくないばかりに、あなたがたにしいて割礼を受けさせようとするのです。
事実、割礼のあるもの自身が律法を守らず、ただ、あなたがたの肉について誇りたいために、
割礼を受けさせようとしています。 しかし、わたし自身には、わたしたちのアドニーである
イエス・キリストの十字架以外に、誇りとするものは、断じてあってはなりません。この十字架につけられて、
この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのです。 割礼のあるなしは問題ではなく、
ただ、新しく造られることこそ、重要なのです。 この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。
また、神のイスラエルの上にあるように。
だれも今後は、わたしに煩いをかけないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に帯びているのだから。
兄弟たちよ。わたしたちのアドニーであるイエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。ハレルヤ 。
よーさん、こんばんは。>>517->>522と、>>532->>535のみことばを
2chの別の板のスレに引用していただきたいのですが?
わたしのように毎日だと負担も多いでしょうから、週に一度だけでもどうですか。
もし、可能なら今後のプランをここで話しあいましょう。 0628神も仏も名無しさん2016/10/06(木) 20:31:56.57ID:sTD12KC4
2chでプランwww
やってる事は聖書のコピペwww
0629神も仏も名無しさん2016/10/07(金) 06:39:58.88ID:2tLXEEvc
おはようございます
0630神も仏も名無しさん2016/10/07(金) 06:41:42.50ID:2tLXEEvc
>>627
主によらなければ、私達が何かを仕切ることは危険だ。 0631Christian.dinnerモーニング2016/10/07(金) 06:42:53.09ID:KJGFriin
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。
イエス・キリストを信じる愛する兄弟、姉妹たちよ、よーさん、おはよう。ハレルヤ。
神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。
わたしたちの父なる神とヤハウェ・イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
わたしたちのアドニーであるイエス・キリストの父なる神を賛美しよう。神はキリストにあって、
天上でもろもろの霊の祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえに清く傷のない者となるようにと、
天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって
神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのです。
これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためです。
わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、
すなわち、罪過のゆるしを受けました。神はその恵みをさらに増し加えて、あらゆる知恵と悟りとを
わたしたちに賜わり、御旨の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに
示して下さったのです。 それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかなりません。それによって、
神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのです。
わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあって
あらかじめ定められ、神の民として選ばれました。 それは、早くからキリストに望みをおいている
わたしたちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。 あなたがたもまた、キリストにあって、
真理の言葉、すなわち、あなたがたの救いの福音を聞き、また、彼を信じた結果、
約束された聖霊の証印をおされたのです。
0633Christian.dinnerの葡萄デザート2016/10/07(金) 07:17:52.16ID:KJGFriin
この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、
神の栄光をほめたたえるに至るためです。
こういうわけで、わたしも、ヤハウェ・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを耳にし、
わたしの祈りのたびごとにあなたがたを覚えて、絶えずあなたがたのために感謝しています。
どうか、わたしたちのアドニーであるイエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに
賜わって神を認めさせ、 あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが
神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、
また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、
あなたがたが知るに至るように、と祈っています。 神はその力をキリストのうちに働かせて、
彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、 彼を、すべての支配、権威、権力、
権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのです。
そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられました。
この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、
満ちみちているものに、ほかならないのです。
0634よーさん ◆aXOb53Jrsg 2016/10/07(金) 08:31:57.56ID:AZaBXMGb
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。ハレルヤ 。
Christian.dinnerさん、みなさん、おはようございます。
>>626
週一なら、可能です。どちらのスレに引用すればよろしいでしょうか。
一度に、>>517>>518>>519>>520>>521>>522を引用すればよろしいでしょうか。
>>629
おはようございます。 0635神も仏も名無しさん2016/10/07(金) 08:59:15.67ID:6IGEwM65
宗教2chも、まことしかいないと言われて
おはようございます、と言うのは
まことくらいなもんだろww
0636Christian.dinnerのカフェオレ2016/10/07(金) 09:46:08.33ID:XvXzE4SO
>>635
そんなコテは、ここにはいないよ。というか君がまことじいさんではないか。
そんな詐欺師みたいなこと恥ずかしいと思わないの? 笑い 0637神も仏も名無しさん2016/10/07(金) 09:49:38.63ID:wcDsxHNh
まこと以外に会いたいのう
0638神も仏も名無しさん2016/10/07(金) 09:50:28.84ID:JkoME5G1
まことも相当あせっているよな!
0639Christian.dinnerのカフェオレ2016/10/07(金) 09:57:15.32ID:XvXzE4SO
ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美しよう。ハレルヤ 。
>>629>>634
よーさん、名無しさん、おはようございます。
では、話しを進めていきましょう。まず、みことばを引用する前に、次のようにレスしてください。
「ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの御名を賛美します。ハレルヤ 。
愛するみなさん、こんにちは。(こんばんは)これから、ヤハウェなる父である神とイエス・キリストからの
良き知らせである福音をお伝えします。」
このように前置きしてから、>>517>>518>>519>>520>>521>>522と、 >>532>>533>>534>>535の
みことばを引用しましょう。 0640Christian.dinnerのカフェオレ2016/10/07(金) 10:10:40.17ID:XvXzE4SO
みことばを引用するときは、 まず>>532>>533>>534>>535を引用してください。
引用の前に次のようにレスしましょう。
「ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの啓示、使徒の働き 新約聖書より」
そのあとに、>>532>>533>>534>>535を引用してください。
このみことばの前にも同じように、こうレスしましょう。
「ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの啓示、パウロが記したコリントの聖への手紙 新約聖書より」
以上です。
では、よーさん、きょうこのスレで一度、試してもらえますか。ランチタイムにどうですか。
返事待ってますもし11時までに返事なければ、ランチはわたしが用意しましょう。では 0641Christian.dinnerのカフェオレ2016/10/07(金) 10:16:25.59ID:XvXzE4SO
>>540
訂正
みことばを引用するときは、 まず>>532>>533>>534>>535を引用してください。
引用の前に次のようにレスしましょう。
「ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの啓示、使徒の働き 新約聖書より」
そのあとに、>>517>>518>>519>>520>>521>>522を引用してください。
このみことばの前にも同じように、こうレスしましょう。
「ヤハウェなる父である神とイエス・キリストの啓示、パウロが記したコリントの聖への手紙 新約聖書より」
以上です。
では、よーさん、きょうこのスレで一度、試してもらえますか。ランチタイムにどうですか。
返事待ってますもし11時までに返事なければ、ランチはわたしが用意しましょう。では