0001我 ◆82SSORBSMo 2008/12/07(日) 19:54:24ID:7LKxVSXs
新約聖書 ローマの信徒への手紙3章
20節 なぜなら、律法を実行することによっては、
だれ一人神の前で義とされないからです。
律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
新約聖書 ヤコブの手紙1章
15節 そして、欲望ははらんで罪を生み、
罪が熟して死を生みます。
新約聖書 コリントの信徒への手紙一/15章
56節 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙3章
12節 律法は、信仰をよりどころとしていません。
「律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる」のです。
13節 キリストは、わたしたちのために呪いとなって、
わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。
「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。
14節 それは、アブラハムに与えられた祝福が、
キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、
わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
新約聖書 ヘブライ人への手紙13章
15節 だから、イエスを通して賛美のいけにえ、
すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。
16節 善い行いと施しとを忘れないでください。
このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。
20節 永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、
死者の中から引き上げられた平和の神が、
21節 御心に適うことを
イエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、
御心を行うために、
すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。
栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
0916神も仏も名無しさん2018/07/14(土) 05:31:15.54ID:FJiGYSnc
歴史上、パウロとイエスは無関係なので、
そこははっきりさせてください。
イエスはイエスの教えを述べ、パウロは後出しジャンケンを
したのです。パウロの書簡にはイエスの言葉の引用は
一言もないし、小鳥や花に対しての言及もなく
被創造物という言葉を使っています。パウロは果たして、信じていい人ですか、
検証してください。
私は、小鳥や花を被創造物だという人がいたら、
その人とは仲良くなれそうにありません。
目線がイエスとは決定的に違います。
パウロの視線は、弱者を見下す視線です。
K県で起きた障がい者施設の惨殺犯人の視線と同じです。
こうした人は、ファリサイ人の心を持っているのです。
社会の中で一定数はいますが、イエスの御言葉の種が届いていない
人たちなのです。
パウロの書簡を読めば、パウロが弱者を見下していたことが
よくわかります。そして、パウロは周りの人の悪口をいい、
人を攻撃する性格でした。ますます、パウロの周りから人が
いなくなっていったのです。イエスの弟子でパウロと最終的に
行動を同じくしていた人はいなかったのです。
イエスは小さな花や小鳥の命に寄り添う視線を持っていました。
イエスの心は弱者と共にありました。
イエスは性のマイノリティーのラザロと友達でした。
イエスは一言も性のマイノリティーの人々を攻撃していません。
東方正教会は、その人の罪の大小に応じた「償い」がなければ天国に行けないとも教えません。必要なのは悔い改めて神の愛を信じ、委ねることです。
イエスの隣で十字架につけられた犯罪者のひとりが、主の姿に悔い改め「天国で私を思いだしてください」
と願った時、主は「よく言っておく。おまえは今日、私と一緒にパラダイスにいる」と救いを約束されました(ルカ23:39〜43)。彼は罪の償いなど何も求められず、またそれを行う事もできなかったはずです。
正教会で善い行いが勧められるのは、罪の償いのためではなく、神への信仰・主キリストへの愛の「果実」としてです。
詩編14編1節【指揮者によって。ダビデの詩。】
神を知らぬ者は心に言う/「神などない」と。
人々は腐敗している。
忌むべき行いをする。善を行う者はいない。
『 聖書 新共同訳 日本聖書協会 』
Tコリント11:23〜26(参照 エレミア31:31〜34)
私達があなた方に伝えた事は、私自身、主から受けたものです。
即ち主イエスは引き渡される夜、
パンを取り、感謝の祈りを捧げてそれを裂き、
『これは、あなた方の為の私の体である。
私の記念としてこのように行いなさい』と言われました。
また食事の後で杯も同じようにして、
『この杯は、
私の血によって立てられる(エレミアのいう)新しい契約である。
飲む度に、私の記念としてこのように行いなさい。』
と言われました。
だから、あなた方は、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
主が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのです。
ルカ22:19ー20
マタイ26:26ー28
マルコ14:22 一同が食事をしているとき
イエスはパンを取り
賛美の祈りを唱えて それを裂き
弟子たちに与えて言われた
取りなさい これはわたしの体である
23 また杯を取り
感謝の祈りを唱えて
彼らにお渡しになった 彼らは皆その杯から飲んだ
24 そしてイエスは言われた これは多くの人のために
流されるわたしの血 契約の血である
0920神も仏も名無しさん2018/07/14(土) 09:50:55.38ID:XCsVU7/m
>>919
パウロはイエスと接点がありません!
パウロの書簡は全てインチキで神の言葉では
ありません 0921神も仏も名無しさん2018/07/14(土) 09:58:54.28ID:chpXUq2P
そだよ。
パウロカルトがキリスト教を名のって伸して来ただけ。
0922神も仏も名無しさん2018/07/14(土) 10:02:52.38ID:3cdSkmUj
サウロは本物のキリスト教徒をぶち殺し事を生業にしていた
神聖ローマ帝国であった話だが、
一切言葉をかけず、母乳と柔らかい食べ物で
50人の赤ん坊を育てる実験があった。
1、2年とも生きておられず全員死んでしまった。
ナチスの時にもあったかもしれないが
かろうじて成人まで育った1人は
殆ど喋れず重度の障害者となった。
それを命じた王や皇帝は
赤子の心でヘブライ語を喋りだすと思って
人体実験したという。
例えばの話。
地獄病院に通っていた或る病人がいた。
だが病気は一向に治らない。
天国病院の院長の一人息子が、その友達の病人に、
ビスケットを割って2人で食べ葡萄ソーダを飲み合った。
心電図や皮膚の採取の肉体の検査と
血液検査があるので、
その記念としてビスケットと葡萄ソーダを飲み食いしたんだが
天国病院の院長は、実は僕のお父さんが経営している病院なんだ。
地獄病院のサタン医師はお父さんの生徒だったんだ。
お父さんに言ってサタン医師に紹介状を書いて貰うから
うちのお父さんの天国病院で通院してみたら
症状が軽くなるかもしれない、いや病気が治るかもしれないから。
と病気の友達に勧めた。
こんな感じで言いかなたとえ話なんだが。
ヨブ記の、神とサタンの関係。
福音書と使徒書にある、病人(罪人)の為に来たとか、聖餐の話。
うまく通じるかなぁあ?
私は教会(日本基督教団・正教会・カトリック)にも
モルモン教にも通っていた事が有るけど、
どこのバプテスマ(洗礼)は受けてないんだけどね。
キリスト教的な考え方を学んだし、
今もネットや書籍を使って独学で学んでいる。
家庭礼拝(讃美歌を聞き・今日の聖句を読んで)や
毎日のミサという小冊子や神父様の説教を読みながら
独学で学んでいる。
日本の信者さんの殆どは
正平協や共産党と関わってないんだけどね。
信者さんの中には自民党に投票している人もいると思うんだ。
教会員の中に共産党の政治活動に参加している人を
嫌がっていたのを覚えています。
キリスト教徒は共産党とグルで反体制派ってイメージが強いけど
一部の有名なキリスト教徒が反政権のグループだからアカってイメージを
世間様に持たれていて、私は残念に思っています。
共産党でも正平協でもないけど、coop(生協)を〔ご〕利用してます。
カルト連呼さん。
コピペのマルチポストほか色々の困ったルール無視は
2ちゃんの世界では当たり前な事なのだよ。と
言っておきましょうか。
守る人は品行方正なのでしょうけどもね。いい事です。
さて別件ですが。
キリスト教(カトリックや正教)は
新約聖書だけでなく
新約から時代続く使徒教父文書や新約外典のほか
旧約外典のエノク書や第二旧約(間訳聖書・旧約外典)も説明に使い
7度の公会議の決定事項や儀礼や礼拝にかかわる規則や式次第ほか
使徒教父以降の聖人の善行や奇跡の話、マリア崇敬の奇跡の話など
沢山の聖伝に守られて存在しているんです。
ラテン語の新旧約聖書ありギリシア語の新旧約聖書あり
ヘブル語とアラム語の旧約聖書ありと
3言語の意味合いの研究も含めて
それは極めつくせないキリスト教勉強の世界があるのです。
マルコによる福音書2章
17節 イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
わたしが来たのは、
正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マタイによる福音書11章
28節 疲れた者、重荷を負う者は、
だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
29節 わたしは柔和で謙遜な者だから、
わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
30節 わたしの軛は負いやすく、
わたしの荷は軽いからである。」
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
マルコによる福音書14章
22節 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、
賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。
「取りなさい。これはわたしの体である。」
23節 また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。
彼らは皆その杯から飲んだ。
24節 そして、イエスは言われた。
「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
コリントの信徒への手紙一/11章
23節 わたしがあなたがたに伝えたことは、
わたし自身、主から受けたものです。
すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、
24節 感謝の祈りをささげてそれを裂き、
「これは、あなたがたのためのわたしの体である。
わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
25節 また、食事の後で、杯も同じようにして、
「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。
飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。
26節 だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
使徒言行録2章
42節 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、
パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
20章
7節 週の初めの日、わたしたちが
パンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で
人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
マルコによる福音書12章
31節 第二の掟は、これである。
『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
33節 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、
また隣人を自分のように愛する』ということは、
どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
34節 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、
「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、
あえて質問する者はなかった。
ガラテヤの信徒への手紙5章
13節 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。
ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、
愛によって互いに仕えなさい。
14節 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という
一句によって全うされるからです。
15節 だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、
互いに滅ぼされないように注意しなさい。
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
申し訳ないが、君に回答したわけではない。
このスレを利用していると思われる人物でね
別のスレッドで言っていた事を述べただけ。
イエスは福音書でパウロは使徒書で、隣人愛を説いた。
プロクセイス(働き)アポストロン(使徒の)、いわゆる
使徒の働き[新改訳](使徒行伝[口語訳]・使徒言行録[新共同訳])で
パウロは復活したキリスト・イエスから布教の使命を負った(召命)。
使徒言行録22章
21節 すると、主は言われました。
『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」
ガラテヤの信徒への手紙2章
9節 また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、
ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、
わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。
それで、わたしたちは異邦人へ、
彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
大阪人とは・・・
・面白いか面白くないか
・損得勘定
・勝った負けた(勝てばオッケー)
・人情(他者の人情に訴える)
・インパクトの強さ、目立ちたがり、イカツさを好み、人懐っこさとの落差に萌える
・ダメもと交渉
・ほとんどが嘘で事実は重視されない
・1番が好き
・東京がライバル
・熱狂的で飽きやすい
・せっかち(いらち)
・ええやんかええやんか思想
・距離感が近く、勝手に友達だと思い込んだあげく「そんな人やと思わへんかった」と勝手に去っていく
・粉もんで生きている
・マナーの悪さ、口の悪さ、要求の強さ、自己主張の強さを笑いで緩和する
・他府県でも大阪弁(標準語を使うと居心地が悪くなる)
・他府県で大阪の素晴らしさをいちいち熱弁(大阪基準)
・打たれ強いが、放置されると弱って死ぬ
・自分は悪くないと信じている
・京都人と神戸人からはバカにされるが、奈良人からは憧れられる
大阪人は人懐っこさが魅力で親切な人も多いが、商人魂の抜け目の無さと犯罪率の高さはあるな。
物怖じしない交渉能力の高さは世界で通用する。ニューヨーカーや中国人は大阪人みたいなもんだし。
イザヤ書14章
12節 ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。
お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒した者よ。
13節 かつて、お前は心に思った。
「わたしは天に上り/王座を神の星よりも高く据え/
神々の集う北の果ての山に座し
14節 雲の頂に登って/いと高き者のようになろう」と。
15節 しかし、お前は陰府に落とされた/墓穴の底に。
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
旧約聖書(タナハ)はユダヤ人の神とユダヤ民族を語るもの。
新約聖書はユダヤ人のイエス様やペテロやパウロなど使徒の語るもの。
聖書を理解するには
ユダヤ人の歴史やユダヤと近隣の風習を理解しないといけない。
http://www.geocities.jp/todo_1091/religion/041.htm
11.まとめ
・新約聖書は霊感で書かれたと言うが、誤りのある人間が書いたものであるので、当然誤りも多い。
・読む我々も誤りのある人間であり、自分の新約聖書解釈を絶対視してはならない。また絶対の解釈など存在しない。
・新約聖書を学問的、批判的に読むことは決して不信仰でなく、謙遜で誠実でさえある。
・古代人が書いた文書であり、その時代の歴史、社会文化、風俗習慣、宗教制度を知らなければ理解出来ない。
・新約聖書は歴史的出来事も含むが、歴史書そのものではないので、事実とは異なるものが多い。
・教派教会の信仰思想の産物であるので、各文書により解釈が異なるのは当然である。
・文書を細切れに読まないで、全体の流れを把握し、著者編者の考えを知らなければならない。
(以下省略)
はじめにお読みください-聖書研究デスク-
旧約(ヘブライ語)聖書 新約(クリスチャン・ギリシャ語)聖書
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/8769/bible-desk/top.htm
ある程度の歴史的事実が含まれている寓話と考えれば良いのはないでしょうか? 聖書の語る神は
良い部分は愛の神、平和の神
悪い部分は自国民も敵国民も神に反すると虐殺する軍神(万軍の主)と
両方あると理解しないと。
ユダヤの神は、アドナイ(主)サバオト(万軍の)とも呼ばれていた。
旧約聖書サムエル記あたりから使われ始めたユダヤの神に対する呼称だ。
ミサに参加していれば、ミサの「感謝の賛歌」の部分で
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主」と歌っている。
教会の聖餐の、福音書とパウロの聖句を食人教義と否定しながら
神は愛という、ヨハネの聖句の部分だけは受け入れるのかな?
それが、あなたの人生の中で
洗礼を受けた教会による良い報いであり良い影響だったのかな?
マルキオンの聖書という異端のルカ・パウロだけの聖書が昔あった。
アタナシウスの聖書という新約27巻の聖書が今ある。
私には、あなたは「神は愛」だけ受け取るヨハネ主義者のように見える。
聖書をネタに
キリスト教会と関係なく、色々な新興宗教が生まれている。
聖書をネタにする教祖などの人生経験が
聖書解釈に反映しているのではないかとも思う。
真光はノアの箱舟の形や六芒星を使っている。
洪水物語のない日本人の大和民族の話と違う神道を語っている。
聖書の悪用や盗用というなら日本人の新興宗教でも
聖書が書かれた事情も知らず
聖書に出てくる人名や事件を勝手に抜き出して使って
新興宗教の教義に入れて、こじつけた解釈をして広めていたりもする。
マザーテレサをネタにカトリック・マンセーになる人と
マザーテレサを否定してカトリックはサタンだとかいう人とがいる。
見る人、読む人により評価が違うのが書物や人の聞こえとかの評判だと。
>>927
マルコによる福音書8章
34節 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。
「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、
自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
35節 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
36節 人は、たとえ全世界を手に入れても、
自分の命を失ったら、何の得があろうか。
37節 自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
38節 神に背いたこの罪深い時代に、
わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、
父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】 御言葉を御送りします。
新約聖書 マタイによる福音書4章
4節 イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/
と書いてある。」
新約聖書 テサロニケの信徒への手紙二/3章
8節 また、だれからもパンを
ただでもらって食べたりはしませんでした。
むしろ、だれにも負担をかけまいと、
夜昼大変苦労して、働き続けたのです。
12節 そのような者たちに、わたしたちは
主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。
自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。
旧約聖書 コヘレトの言葉9章
7節 さあ、喜んであなたのパンを食べ/気持よくあなたの酒を飲むがよい。
あなたの業を神は受け入れていてくださる。
8節 どのようなときも純白の衣を着て/頭には香油を絶やすな。
9節 太陽の下、与えられた空しい人生の日々/愛する妻と共に楽しく生きるがよい。
それが、太陽の下で労苦するあなたへの/人生と労苦の報いなのだ。
10章
19節 食事をするのは笑うため。酒は人生を楽しむため。
銀はすべてにこたえてくれる。
20節 親友に向かってすら王を呪うな。寝室ですら金持ちを呪うな。
空の鳥がその声を伝え/翼あるものがその言葉を告げる。
日本聖書協会刊『聖書 新共同訳』(1987)による
>>649 >>751 パンとブドウ酒の儀式
参考:ミサ式次第 ttp://ubecat.jp/missa
ミサ(部分)
司祭
まことにとうとくすべての聖性の源である父よ、
いま聖霊によってこの供えものをとうといものにしてください。
わたしたちのために
主イエス・キリストの御からだと御血になりますように。
主イエスは、すすんで受難に向かう前に、
パンを取り、感謝をささげ、割って弟子に与えて仰せになりました。
「皆、これを取って食べなさい。
これはあなたがたのために渡されるわたしのからだ(である)。」
司祭
食事の終わりに同じように
杯を取り、感謝をささげ、弟子に与えて仰せになりました。
「皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、
あなたがたと多くの人のために流されて、
罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血(である)。
これをわたしの記念として行ないなさい。」
司祭
信仰の神秘。
会衆
主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。 参考:ミサ式次第 ttp://ubecat.jp/missa
感謝の典礼 記念唱(第二奉献文) 歌いましょう。
司祭 信仰の神秘。
会衆 主の死を思い、復活をたたえよう、主が来られるまで。
司祭 わたしたちはいま、主イエスの死と復活の記念を行い、
ここであなたに奉仕できることを感謝し、
いのちのパンと救いの杯をささげます。
キリストの御からだと御血にともにあずかる
わたしたちが、聖霊によって一つに結ばれますように。
世界に広がるあなたの教会を思い起こし、
わたしたちの教父○○○○世、わたしたちの司教○○○○(姓名)、
すべての教役者をはじめ、全教会を愛の完成に導いてください。
また、復活の希望をもって眠りについた
わたしたちの兄弟と、すべての死者を心に留め、
あなたの光の中に受け入れてください。
なお、わたしたちをあわれみ、神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒と
すべての時代の聖人とともに永遠のいのちにあずからせてください。
御子イエス・キリストを通して、
あなたをほめたたえることができますように。
感謝の祭典 栄唱 歌いましょう。
司祭 キリストによって キリストとともに キリストのうちに、
聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、
すべての誉れと栄光は、世々に至るまで。
一同 アーメン。
参考:ミサ式次第 ttp://ubecat.jp/missa
パンを供える祈り
司祭
神よ、あなたは万物の造り主、
ここに供えるパンはあなたからいただいたもの。
大地の恵み、労働の実り、わたしたちのいのちの糧となるものです。
会衆
神よ、あなたは万物の造り主。
カリス(杯)を供える祈り
司祭
神よ、あなたは万物の造り主、
ここに供えるぶどう酒はあなたからいただいたもの。
大地の恵み、労働の実り、わたしたちのいのちの糧となるものです。
会衆
神よ、あなたは万物の造り主。
自分はミサのこの部分で特に神妙になります。
今度の日曜(2018-6-3)は「B年キリストの聖体」の主日。
教会洗礼は受けてませんが、感謝の気持ちがこもります。
(私がカトリックでないのが分るのは、聖ペトロとか聖パウロと呼ばないからです)
救済論 >>908 で言えば
長文〔さん〕は「教会に属していない」から救いの予定がない。
わたくし「ろん」も「教会に属してない」から救いの予定がない。
聖書やキリスト教儀式の勉強をしている事と救われている事は別だと思う。
カトリックか正教会の洗礼を受けて教会に通っていれば救われている〔はず〕。
長文さん。通っていた教会は
聖公会やルーテル教会で〔は〕ないプロテスタントだったのでしょうか?
どうもカトリックや正教会ではなさそうですね。
一時エホ証かと思いました。モルモン〔と〕も原理と〔も〕思えなかったので。
あなたの言う「真実の神」は
ビブリア(聖書)に語られるアドナイ(主)やエロヒム(神)ではないのですか?
宇宙自体が生命である神なのでしょうか。
原理や法則や数学を神格化した神なのでしょうか? マルコによる福音書8章
31節 それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
三日の後に復活することになっている、
と弟子たちに教え始められた。
9章
31節 それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、
殺される。殺されて三日の後に復活する」
と言っておられたからである。
10章
34節 異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。
そして、人の子は三日の後に復活する。」
マタイによる福音書16章
21節 このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、
長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、
三日目に復活することになっている、
と弟子たちに打ち明け始められた。
使徒言行録10章
40節 神はこのイエスを三日目に復活させ、
人々の前に現してくださいました。
コリントの信徒への手紙一/15章
4節 葬られたこと、また、
聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
使徒パウロの7書簡の執筆後に、最初のイエス伝であるマルコ福音書が執筆された。
>>871
> 新約聖書で各書の成立順
> 50〜52年頃、テサロニケの信徒への第一の手紙
> 53〜54年頃、ガラテヤの信徒への手紙
> 54年頃、コリントの信徒への第一の手紙
> コリントの信徒への第二の手紙「涙の手紙(10〜13章)」
> 「和解の手紙(1〜9章)」
> 55〜56年、ローマの信徒への手紙
> 60年頃、フィリピの信徒への手紙
> フィレモンへの手紙
> 50〜60年代、マルコによる福音書
> 80〜90年頃、マタイによる福音書
> 90年前後(最終形は2世紀初頭)ヨハネによる福音書
> 90年前後、ヨハネの黙示録
> 90年代(あるいは2世紀初め)ルカによる福音書
> 使徒言行録
>>872
> 新約聖書の構成について
> 福音書
> マルコは、十二弟子ペテロの書記。福音書の編纂。
> マタイは、十二弟子で元は徴税人。マルコとQ文書を基に独自資料を加えて編纂。
> ルカは、医者で使徒パウロの親しい友人。マルコとQ文書を基に独自資料を加えて編纂。
> ヨハネは、教会の長老。マルコ・マタイ・ルカの3つの共観福音書と別の視点で編纂。
> 使徒の働き(使徒行伝・使徒言行録)
> ルカは、テオピロへイエス伝にあたる福音書を書き、その続編として使徒の働きを書く。
>>879
> 十字架にかかられた〔日時〕は
> 西暦31年ユダヤ暦ニサンの月(アビブの月・1月)の第15日の
> 朝9時から午後3時の出来事。
> 西暦50〜150年頃の間に新約聖書の使徒書簡(使徒の手紙)が書かれた。
> 古代ローマ皇帝ネロによるキリスト教への大迫害の理由となった
> ローマ大火(ローマたいか)は
> 西暦64年7月19日。西暦2世紀(100年代)初めの歴史家
> タキトゥスの年代記15:38〜44に記述あり。
> 西暦64〜150年頃の間に新約聖書の福音書と使徒言行録と黙示録が書かれた。 248神も仏も名無しさん2018/07/14(土) 11:05:58.66ID:hNGFrvgd
主イエスの昇天後、聖霊を受けた弟子たちは伝道をはじめました。ペテロは一回の説教で約三千人を救いに導き、それが五千人になりどんどん増えていきました。それを見て面白くない人間がいました、サンヒドリンと呼ばれるユダヤ最高議会です
249神も仏も名無しさん2018/07/14(土) 11:12:19.86ID:hNGFrvgd
「エルサレム中にあなたがたの教えを(ブレロー)てしまい 」とあります。日本語では「広め(る)」と 訳はまずい翻訳です。水を器に並々氾濫させる意味なので、英語ではFILLED(満たした) 中国語でも「充満」教会はエルサレム中に福音で満たしたのです、これが本当の伝道です
250神も仏も名無しさん2018/07/14(土) 11:24:33.33ID:hNGFrvgd
「すべての造られたものに、福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)(マタイ28:16参照のこと)つまり王の王なる方の布告、勅令なるケリュグマを実行したのです。
真理の霊 御子の霊 イエスの霊 主の霊 神の霊 聖霊
ヨハネによる福音書/ 15章 26節
わたしが父のもとから
あなたがたに遣わそうとしている弁護者、
すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、
その方がわたしについて証しをなさるはずである。
ガラテヤの信徒への手紙/ 04章 06節
あなたがたが子であることは、
神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、
わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。
使徒言行録/ 16章 07節
ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、
イエスの霊がそれを許さなかった。
ヨハネの手紙一/ 04章 06節
わたしたちは神に属する者です。
神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、
神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。
これによって、
真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。
重荷が軽いと言って人を誘う。
楽になるよと人を誘う。
実際には自分の十字架を背負えと指示。
犠牲の生け贄としての十字架をイエスが背負った様に、
甘い言葉で誘い、
現実は命を捧げろ!
殉教しろと命じる。
イエスの言葉ってのは真偽を問えば、
かなりデタラメで解釈するしないの問題ではなく、
嘘や詐欺的な手法で分裂している。
確か黙示録には、殉教した人たちが私たちのために
まだ裁きをしてくださらないのかと神に訴えている
箇所がある。自分を迫害する者には右の頬だけでなく
左の頬も向けなさいとか、迫害する相手救い、改心の
ために祈りなさいと言いながら、結局は殉教した後、
神に裁きによって仕返ししてもらうことを望んでいる
ように見える。なぜ、神は信者が酷い拷問で殺される
中、奇跡的に介入して彼らを助けなかったのだろう?
今はもう廃れてるだろうが、昔は日本の田舎には祈祷師
という職業があり、彼らには病気を治す力があった。
私の祖母は背中に腫物ができて苦しんだことがあったが、
市内の祈祷師のところへ行くと、その人は何かを口に含み
祖母の背中に吹きかけた。祖母が家に帰ると背中の腫物は
翌日までには治ったという。また、私の母は付き合いで
あるお年寄りからお茶を買っていたが、おの人はクリスチ
ャンは尊敬しているが、教会には行けない理由があると言った。
どういうことかというと、その人のお嬢さんが病気にかかり、
お医者さんでさえもう明日には死ぬかもしれないと診断する
状態だったが、その人が大きな蛇を門に飾った寺のお坊さんに
頼んで、祈祷か何かをしてもらうと病気がたちまちよくなり
一命をとりとめたという。そのお嬢さんは今も生きている。
キリスト教の視点からすれば悪霊が病気を癒したことになるが、
全知全能の神を信頼していながらそれほどの奇跡すら起こせない
今のキリスト教の聖職者が信者を増やせないのは当然だろう。
永遠の命を得る為に、
悔い改めの「洗礼」を受け、神と民の間に交わされた
旧い契約より「聖餐」をして新しい契約の記念をする。
この2つをして一生
洗礼を受けた教会の運営を「献金」「奉仕」で支え続ける。
あるいは宣教会・聖書勉強会・祈りの会で「聖徒の交わり」を確認する。
教会を離れても
ネットで「家庭礼拝」(私祈祷)をし、
ネットで信徒の会をする事で「聖徒の交わり」をする。
リンゴさんのアドバイスを受け〔まし〕たが
最近考えているのは、キリスト教徒になる為に
食前・食後の祈りと、家庭礼拝(私祈祷)の型から入るのは
いけない事なのかなと思っている。
お前、全てのクリスチャンが幼児性愛だとでも?
魔女裁判に賛成していたとでも?
異端審問を止めさせた司教もいるし、インディオ虐殺を止めさせたのはカトリックの人物だ。
インディオも宣教師の素晴らしさは認めている。
お前は、形式だけのクリスチャンとの違いが分かっていないのではないか?
>クリスチャンなるものは後から作られたもの、太陽より歴史がない。
だから、万物を創造された神は人間を愛して御子なる神を遣わされた、万物はイエスによって創造されたという信仰がキリスト教であって、それを認めたくないなら一向に構わないが、単に悪態をつきたいだけ、クリスチャンを挑発したいだけなら他でやれ。
あんたのは提案でも意見を述べるというものでもない。毒を吐きたいだけ、愚弄、好き勝手な落書きに過ぎん。
宗教批判の前に一般常識からやり直せ。
旧約聖書 イザヤ書6章
1節 ウジヤ王が死んだ年のことである。
わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。
衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
2節 上の方にはセラフィムがいて、
それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、
二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
3節 彼らは互いに呼び交わし、唱えた。
「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
4節 この呼び交わす声によって、
神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
ヨハネによる福音書/ 14章 17節
この方は、真理の霊である。
世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、
受け入れることができない。
しかし、あなたがたはこの霊を知っている。
この霊があなたがたと共におり、
これからも、あなたがたの内にいるからである。
ヨハネによる福音書/ 15章 26節
わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、
すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、
その方がわたしについて証しをなさるはずである。
ヨハネによる福音書/ 16章 13節
しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、
あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。
その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、
また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
コリントの信徒への手紙二/ 03章 17節
ここでいう主とは、“霊”のことですが、
主の霊のおられるところに自由があります。
コリントの信徒への手紙二/ 03章 18節
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、
鏡のように主の栄光を映し出しながら、
栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。
これは主の霊の働きによることです。
使徒言行録/ 05章 09節
ペトロは言った。
「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。
見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、
もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」
使徒言行録/ 08章 39節
彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。
宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、
喜びにあふれて旅を続けた。
ルカによる福音書/ 04章 18節
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、/
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、/
捕らわれている人に解放を、/
目の見えない人に視力の回復を告げ、/
圧迫されている人を自由にし、
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
コリントの信徒への手紙一/ 02章 11節
人の内にある霊以外に、
いったいだれが、人のことを知るでしょうか。
同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。
コリントの信徒への手紙一/ 02章 14節
自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。
その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。
霊によって初めて判断できるからです。
コリントの信徒への手紙一/ 03章 16節
あなたがたは、自分が神の神殿であり、
神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。
コリントの信徒への手紙一/ 06章 11節
あなたがたの中にはそのような者もいました。
しかし、主イエス・キリストの名と
わたしたちの神の霊によって洗われ、
聖なる者とされ、義とされています。
コリントの信徒への手紙一/ 07章 40節
しかし、わたしの考えによれば、
そのままでいる方がずっと幸福です。
わたしも神の霊を受けていると思います。
コリントの信徒への手紙一/ 12章 03節
ここであなたがたに言っておきたい。
神の霊によって語る人は、
だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、
また、聖霊によらなければ、
だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
コリントの信徒への手紙一/ 06章 19節
知らないのですか。あなたがたの体は、
神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、
あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
テサロニケの信徒への手紙一/ 01章 05節
わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、
ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。
わたしたちがあなたがたのところで、
どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。
テサロニケの信徒への手紙一/ 01章 06節
そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、
聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、
わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、
テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 08節
ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、
御自分の聖霊を
あなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。
【 聖書 新共同訳 日本聖書協会 】
465野菜名人2018/07/17(火) 17:22:55.23ID:FrjqIdQC
三位一体というのは翻訳上の造語
原文はΑγία Τριάδα 直訳すると「聖なる 三者」
Hasta la vista[西] 「また、いつか」「さようなら」の意味。
キリスト教でも良いところはあり
アステカの生きたまま心臓くりぬきの儀式を止めさせる・
ラス・カサス神父の告発でインディオ虐殺を止めさせる・
インドで生きたまま妻を亡くなった夫と火葬をするサティの儀式を止めさせる。
ミサで信徒が
ホスチア(500円玉ぐらいのエビ煎餅のようなパン)に
預かる根拠となる話。
司教(監督)・司祭つまり神父の集まり(長老団)に従って
信徒が一つのパンを裂いて食べ合う教会の儀式が
使徒教父時代からあった。
使徒教父の教父とは「教会の父」の意味。
講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]
イグナティオスの手紙 八木誠一訳 一五七
1 エペソのキリスト者へ p157−168
20章2節
特にもしあなた方各人が、皆いっしょに、
恵みにより御名のゆえに、イエス・キリストにあって、
ひとつ信仰において集まっていると、
主が私に啓示して下さるなら(この箇所テクストは
破損しているらしい)。−
イエス・キリストは肉によればダビデの裔(ローマ1・3)、
人の子にして神の子なのです。(あなた方が集まるのは)
あなた方が心を乱さず監督と長老団に従うためで、(そこで)
あなた方はひとつパンを裂く(Tコリント10・16
以下)のですが、これは不死の薬、
死ぬことなくイエス・キリストにあって常に生きるための
(死に対する)解毒剤なのです。
今日まで続くキリスト教会が
土曜日(安息日)より
日曜日(主日)を重視する根拠の話。
講談社文芸文庫 使徒教父文書 荒井献[編]
イグナティオスの手紙 八木誠一訳 一五七
2 マグネシアのキリスト者へ p169−176
9章1節
それでも旧い生き方で暮らしていた人々が
希望の新しさのもとに至り、
もはや(ユダヤ教の)安息日(土曜日)を守らず、
むしろ主の日(日曜日。キリストは日曜日に復活した)
を守って生きるなら−主の日に私達の生が、彼を通し
また彼の死を通して、立ちあらわれたのです。
これを否定する人達もいますが。
しかし私達はこの秘儀を通じて信仰を得たのであり、
そしてだからこそ私達の唯一の師イエス・キリストの
弟子とされるために、忍耐しているのです。
【 聖書の構成変化の流れ 】 2005/03/09(水) 13:56:58
55年ごろからパウロ書簡(ギリシア語)、64年以降にマルコ伝(ギリシア語)
90年ごろマタイ伝(もともとはアラム語説あり「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」)
(90年にユダヤ教はヤブネア会議でヘブライ語の旧約聖書正典39巻を確定)
110〜150年ごろまでにヨハネ伝・ヨハネ書簡・ヨハネ黙示録(ギリシア語)。
@マルキオン(140年ごろ)の聖書、ルカ伝+ルカの使徒行伝+8書簡。
Aイレナエウス(180年ごろ)の聖書、4福音書+使徒行伝+13パウロ書簡
(フィレモン・ヘブライ・Tペテロ・TUヨハネ除く、黙示録は外典)
Bテルトゥリアヌス(203年ごろ)の聖書、
4福音書+使徒行伝+13パウロ書簡+ユダ書+ヘブライ+バルナバ+ヘルマスの牧者
Cオリゲネス(200年代前半)の評価、27書は疑わしい。
●ヒエロニムス(300前後)がラテン語聖書の編纂の際に旧約をヘブライ語から翻訳。
Dエウセビオス(325年ごろ)ニカイア会議前から「教会史」書き始める。
E小アジアのラオディキア会議(363年)、ヨハネの黙示録を除く26巻を正典に。
Fアタナシオス(367)第39復活祭書簡、27書を増やしても減らしてもいけない。
Gヒッポ会議(393)カルタゴ会議(397)27書を正典と確認。
Hコンスタンチノープルのトゥルルス会議(692)
東方教会がヨハネの黙示録を、外典から正典に承認し27書を決定。
Iルター(1522)ヘブライ・ヤコブ・ユダ・黙示録を正典から外す。