私たち家族は主人の仕事で1977年から3年間、韓国の釜山に住んでいた。

 当時の韓国は、食堂で出されるご飯は麦飯のみと定められ、砂糖、塩すら配給制だったが、闇市に行けば何でも手に入った。

 女性に人気があったのは日本の化粧品で、韓国人と親しくなると、よく手に入れてほしいと頼まれた。

 日本統治時代の面影があちこちに残り、家屋や街並みは昔の日本に戻ったようだった。

 ■「北は悪」の思想

 北朝鮮の工作員たちが夜陰に紛れて行う活動を阻止するため、深夜の午前0時になれば、一斉にサイレンがけたたましく鳴り響き、路上には人っ子一人いなくなる。

 酔った男たちが、サイレンの前に自宅に帰ろうとタクシーを奪い合う様子は、もう2度と見ることのできない韓国の風物だった。

 北朝鮮からの攻撃に備えた訓練として、月に1度だったか灯火管制もあった。

 サイレン音とともに、家庭のみならず町全体から灯りと音が消え去り、墨を塗ったように真っ暗な静寂が襲ってくる。

 再び鳴り響くサイレンで解除となり、町には一斉に灯りが戻ってくる。当時は、朝鮮戦争の体験者が多く生存し、
「北朝鮮は悪」という思想が強く、市民はこうした政府の対応にも不平も言わず従っていた。

 夕方5時には、大音響で国歌が流れ始め、全国民は、右手を胸にあて、終わるまで直立不動で立つことを義務付けられていた。

 ■デモが銃撃戦に

 このようなご時世に、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺(1979年)、学生たちの民主化デモから始まった光州事件(1980年)と戒厳令が発令された緊張感は、今では想像もできない。


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