ブライアンジョーンズってそんなにイケメンか? [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
飛び抜けたハンサム!
みたいに言われてるけど
そうでもなくね?
ただモテそうな雰囲気は凄くある ブライアンはストーンズの中ではハンサムだろう。
でもポールやジョージほどの美男子じゃない。
1963年の時点ではブライアンがストーンズのリーダーだった。
当時はマネージャーも兼ねていたのでギグの金をあつめて管理してそこからガソリン代、電話代、
ギターの弦の代金、等の経費をひいて5等分してメンバーに支払っていた。
彼が金をごまかしていたのは解っていたが非常に精力的なリーダーでバントを運営していたので
誰も文句を言わなかった。 >>49
ポールやジョージが美男子って感覚がもうね・・。
反逆者的存在だったブライアンと
優等生的な彼らは正反対な存在だし。
もとよりストーンズの魅力は中性的なところだよね。
ビートルズはもろ男子なんだよ。 >>54
ビートルズが優等生だっていうのは全然違うと思うけど。
彼らの下積み時代の本「ビートルズ派手にやれ」を読んだら解ると思うけど。
ビートルズが優等生でストーンズが不良と言うのはレコード会社の売り出しの戦略なので。
星加ルミ子が1965年に初めてビートルズと単独会見した時にポールを見て世の中にこんなに綺麗な男の子が本当に存在するんだと驚いたそうだよ。 >>56
ビートルズが本当に優等生かどうか言ってるんじゃなくて
ポールやジョージにブライアンのような反逆児のイメージは
まったく感じ取れないってこと。
だいたい星加ルミ子はブライアン(や当時殆どの外人)とは会ったわけじゃないんだから
そこでそんな例あげてもしょうがないだろう。
ブライアンかポールやジョージほど美男子じゃないって・・・
まあいいやw ブライアンはアクセルと似てる。
89年のアトランティックシティ公演はブライアンが復活したって感じだったもんな。
ビルもいるしまさにデビュー当時のストーンズの再現w
https://www.youtube.com/watch?v=qeqLuX51zXw ストーンズこそロックの教科書通りの優等生。ビートルズを見ろ。ステージではみんな楽器弾きながらコーラスするし、イエロー・サブマリンやオール・トゥゲザー・ナウにオブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダじゃ。これぞ不良街道まっしぐら! ストーンズの場合はビジネス不良
マネージャーに言われて 不良のふりをしていただけ ブライアンは不良イメージで売り出すことに反対し(一部の世代だけに聞かれるような音楽はダメだと)度々アンドリューと言い争っていた Σ(゚Д゚;エーッ!
ダムドのギターの人ぢゃないんね >>60
そういうこと言ってんじゃねえんだよな。
こういう悪行したから不良だとかそんなんじゃなくて
顔に滲み出てる持って生まれた反骨精神というか。
ミュージシャンじゃなくても普通の人でも
こいつは不良性のある顔だなとかこいつはまったく不良性のない雰囲気だなとか
あんじゃん。
言ってもわかんねえかw ビートルズは実は不良
ってやつだが、連中のどこが不良なんだか ビートルズは大人になってから不良を卒業した
ストーンズはいい歳こいて不良やってた恥ずかしい連中 ストーンズの不良っぽいエピソードって一つも無いけどな
逆にビートルズだとレノンの障害者パフォーマンスとか包茎こんにちわとか、家庭内DVとか、全部レノンだなこりゃ ガソリンスタンドの壁に小便かけた
ブライアンはデパートの店員をしていた時に、レジの金を盗んでクビに >>61
それって逆だと思うけど。
元々ブライアンはジミー・リード等のブルース・ミュージックに取りつかれていてブルースをやりたかった
のだけど、ミック、キース、が大衆向けのポップミュージックを自ら作曲するようになって
バンドの方向性が違って行ったので自分の居場所が無くなったのだろうね。
ビル・ワイマンが初めてブライアンに会った時に彼の眼の下に真っ黒なクマがあってびっくりしたようだ。
エドサリバンショーでサテイスファクションを演奏しているブライアンを見ても目の下にクマがある様に見えるし
23歳の青年と思えないような顔に見える。 >>66
ストーンズは存在自体が不良。
勿論お前が言いたげなレベルの低い意味でじゃないぞ。
どんなに有名になっても商業主義に走っても何やっても
未だ色あせない反骨的でクールなイメージ。
ビートルズは何やっても田舎臭いダサイメージしかない。
>>68
まあ同じ意味だよね。
ブライアンは純粋に音楽で売りたかった。 >>67
やってる事が小物。田舎の底辺DQNじゃん >>69
ストーンズの不良エピソードを言ってみろよ。
勿論現役中のだぞ。
すげえ楽しみなんだけど。 >>69
存在自体が不良とかもうアフォかと
そんな事ばかり発信してるから馬鹿にされるんだろが
お前みたいなのはストーンズファンであることを世間にアピールしないでくれ
同類と思われるのは超迷惑だ ミックのチンポは小さいが金玉はデカい。これ豆な( ̄ー ̄) ブライアンは結局ストーンズの中で孤立してしまったのだけどそれには3つの理由があった。
一つ目は金と彼自身の貪欲さだった。
二つ目は彼は基本的に曲作りに興味が無かった。
三つ目はアンドリューがミックとキースをソングライティングのチームとしてバンドの中核にした事だ。
ブライアンは喘息だったので何時も吸入器を持ち歩いていたし他のメンバーよりはるかに体力が無かったので
頻繁にギグを休んでいた。 貧乏な家庭で育ったわけでもないのに
金に執着心があったのね
確かに体がついていかない面もあったろうけど、ライブを休んだのに
どっかのパーティーに出席したりして
キースが怒ってた。けどそういうのも
バンド内の状況がおもしろくなくなったからだろうね。
プライドの高さもあっただろうな。 作曲出来ないことがコンプレックスとなり、自滅の道を歩んだ
完 ブライアンなんて、早死にしなきゃ誰も注目しなかった もし生きてたら
解雇
↓
自宅で数年間引きこもり生活
↓
破産
↓
演奏の仕事を転々とする
↓
飲み屋でレノン、ニルソン、ムーン、リンゴらと合流
↓
このメンツでロックグループ「ザ・ドランカー」結成。2人のドラマーを擁する珍バンドとして注目される。
↓
レノンがヨーコの元に戻り、ムーンが逝き、バンドは自然消滅
↓
その後はコネのあるミュージシャンのレコーディングやライヴに参加する等の地道な活動で細々と暮らす。
その間、ストーンズとの接触は無かった。
↓
2018年、ストーンズのツアーに車椅子で参加し「ルビー・チューズデイ」「ノー・エクスペクテーションズ」を演奏した。 ブライアンの人格が引き起こす問題と身体の衰弱は65年には他のメンバーに影響を与えるようになった。
グループの中で一番容姿が良くて一番不安定だった彼が大きく変わってしまうのは予想できた。
初期の頃はミックよりブライアンの方が女の子に人気があった。
金髪の長髪で女の子のハートをわしずかみするような危ない雰囲気を持ったブライアンが一番モテた。 この世の中で最も思いやりがあって優しい人だと思ったら
史上最高に嫌なやつにもなれる人だった
ビルワイマン 1964年になって
ブライアンはヒット・シングルを狙って売れ線の曲作りをするにはミュージシャン気質が強すぎた。
だからアンドリューはミックとキースを組ませなくてはならないと悟った。
問題はギタリスト同士のキースとブライアンの仲を崩さなければならない事だった。
ミックとキース、アンドリューがメイプルスベリー・ロードで一緒に住むようになり分裂したバンドに
なってしまった。 ブライアンが作曲してたのは本当だから
ルビーチューズディはブライアンの作曲した曲
証言があるんだよ ブライアンが作曲しようとすると即座にお前に作曲なんかできないよとくるのだから。
スタジオでみんなで作る曲を別にすれば、ミックとキースだけが作曲する機会を与えられ
奨励されていた。
65年になるとミックとキースがポールとジョン並みのヒット曲を書けるようになったので
ブライアンは益々孤立していった。
曲のうちの数曲は、その成り立ちからして、ミックとキースの名だけがクレジットされているのは
不公平だと思うものもある。 リンゴスターだってそこそこ出来の良い曲を作ったんだから
ブライアンだってやれば出来たはずだw ブライアンがストーンズのいくつかの作曲してた事は関係者の証言があるんだよ
ルビーチューズディはミックジャガーは何もしてないと認めてる
でもブライアンが作曲してもミックキースが作曲した事になってた 初期の頃のキースの発言。
「曲を作るなんて考えたことも無かった、俺は自分の事をギター・プレイヤーだと思っていた。
二度ほどブライアンと一緒に座って曲を作ろうとした事がある。だけど俺たちは絶望してあきらめた。
アンドリューが強引にミックと俺にやらせたんだ。
最初はクズみたいなものやどこかで聞いたような曲を書いていたがやがて自分たちの独自の歌が
浮かぶようになった。」 ブライアンジョーンズとルビーチューズディで検索してみな
ブライアンの曲だと書かれてる ブライアンジョーンズルビーチューズディ作曲で検索した方が早いかな
あれだけ楽器弾けて曲が作れない方が不自然
ミックキーズは頑なに自分達のクレジットに執着した 1966年11月16日、オリンピック・スタジオで「Title8」のレコーディングを行った。
この曲は後に「Ruby Tuesday」というタイトルに変更された。
この時ビルが弦を押さえキースが弓で弾くダブルベースの二重録音をした。
このセッションにはマリアンヌ、アニタ、ジミヘン、その他大勢の取り巻き連中が押し寄せてきた。
「ルビーチュースデイ」はミックとキースの作る曲がますます内省的でひらめきのするどいものになっていくターニングポイントになる曲だから
ブライアンが作曲したとは考えにくいな。 >>109
サタニックの収録曲だけどブライアンがバンドから疎外されはじめている時期だったので
メロトロンをちょっとだけ弾かせてもらっただけなのでブライアンは作曲していないだろうね。
当時ブライアンは鬱状態になっていて精神科医のレナード・ヘンリー医師に治療をうけていたので
作曲等の創作活動は無理だろうね。 ルビーチューズディもブライアンの曲って証言多数
麻薬してない時ならいくらでも作曲するだろ ビルと違ってリーダーなのに自作曲を主張できないなんてどれだけヘタレなんだよ
おまけにアニタを寝取られるし
ビートルズはMBEもらったけどこいつはNTRだなwww
ブライアン・チョーンズwww サタニックのセッションにブライアンはほとんど参加していない。
シーズ・ア・レインボーでメロトロンを演奏しただけ。
あとアルバム・カバーのアイディアをブライアンが出したくらい。
当時のストーンズはミック&キースの作曲した楽曲しかレコーディング出来ない慣例があった。
その慣例を打ち破ってサタニックで初めてビルの曲「in another land」が収録された。 早わかりブライアンヒストリー
■ ストーンズのリーダーとしてギャラをふんだくる
■ ミックとキースが脚光を浴び落ち込む
■ アニタに八つ当たり
■ アニタとストーンズに逃げられ活動の場をモロッコに移す
■ シシカバブの匂いに耐えられず帰国
■ ストーンズのレコーディングスタジオを荒らしにいくが無視される
■ 謎の永眠 1967年の夏にはブライアンがストーンズを近々脱退するという噂が流れ始めた。
ミックはマスコミに対してそれを否定していたがブライアンがストーンズを離れるのは時間
の問題である事を他のメンバーは解っていた。
後釜にはジミーペイジが座るだろうという噂も流れていた。
ミックやキースは自分達の裁判費用やフラットの経費、その他のあらゆる必要経費を自由にストーンズの事務所から貰っていたのに
ブライアンはホテルの宿泊費もストーンズの事務所から払われなくなってしまった。
バンドのリーダーとしては余りにも哀れな待遇だった。 スレタイに添えば、イケメンと言うよか、退廃的な、まさにロックスター然とした佇まいだと思うけどね。
あのJJFのプロモとか観てると、丁度キースのビジュアルも格好良くなってきたころだし、フロントにミックを据えて、左右に退廃的な2人のギタリストって構図をもっと観たかったとも思う。 キースって初期はのりおよしおの上方よしおみたいな髪型しててダサかったのに
ボサボサでワイルドな髪型にしたらカッコ良くなったな レインボー、ブライアン作じゃなかったら誰が作ったんだよ?
明らかにミックやキーズの作風ではない。
まさかビル?
この曲でのクレジットをあげない引き換えに
ビルに歌わせてあげたのかな ハートオブストーンってブライアンのこと歌っているの?
この頃はまだ尊敬されていたんだね サタニックは殆どの曲をビルが作ったんだろ
ダーティーワークがキースのアルバムだとしたら
サタニックはビルのアルバムだね ラストタイムのエンデイングのところで
オーノーノーノーノーって繰り返し歌ってるのブライアンなの? ビートルズと違ってどっちがメインで書いたか解らないバンドだからね
どこかに曲毎に解説(解析)してるサイトないかな? ビルワイマンという優秀なソングライターを失なってからストーンズのオリジナル曲はつまらなくなったんだが ブライアンが機能しなくなってからようやくストーンズはライヴバンドとして世界に認められた ストーンズに必要な順
ミック→キース→チャーリー→ビル→イアン
ブラいらん 初代マネージャーのアンドリューがブライアンに作曲能力が無いのを見抜いて、ミックとキース
を組ませたのがブライアンの悲劇の始まりだろうな。
初期のバンド内の序列がブライアン、ミック、キースだったのが、ミック、キース、ブライアン、に
なってしまった。
初期の頃はブライアンが一番人気だったので、多少の素行不良には目をつぶっていたミックだったが
キースとヒット曲を作曲できる自信がついたのでもうブライアンはバンドの足手まといになったのさ。
67年9月にアンドリューが去っていくとミックが事実上のストーンズのリーダーになった。 ミックもキースも観客の目をひくステージアクションなど
初期の頃からパフォーマーとして類い希なものを持っていたからな。
ブライアンは天才肌で個性的だったがパフォーマンスは平凡だった。
ステージパフォーマンスという観点でミックやキースの上行くもの未だいないからな。 そんなストーンズの掟として
作曲しろ曲のアイデアを出せ、
作った曲のクレジットと著作権はミックとキースに譲れというものがある。
この掟を守れない奴はストーンズから追い出されることになる。 ミックの代表曲
ブラウンシュガー 愚か者の涙
キースの代表曲
サティスファクション アンジー
ビルの代表曲
シーズアレインボウ ジャンピンジャックフラッシュ
テイラーの代表曲
スウェイ タイムウェイツフォーノーワン ブライアンの代表曲
ルビーチューズディ ゴーイングホーム 他のメンバーが不細工だからいい男に見えるね
最後は殺されたんだっけ? JJFのリフはビルがスタジオで自分で見つけたリフをピアノで弾いているときにミックとキースがやって来て
「続けろよ凄くイカしているんだから絶対忘れるんじゃないぞ」と言われたそうだ。
そのリフはミックの書いた詩「嵐の中で俺は生まれた」のバックホーンになった。
そしてメロディーは全員で作り上げた。
JJFは68年5月24日にリリースされて66年5月発売の「Paint It BIacK」以来のナンバーワンシングル
になった。「夜をぶっ飛ばせ」は2位。
68年5月12日にNMEコンサートに出演して初めてJJFを演奏したがこれがブライアン最後の
ライブ演奏になった。 JJFといえばB面のChild Of The Moonを
ブライアンはA面に推していたとか
そんなにいい曲だったっけとあらためて聴くと確かにいい曲ではある 67年はドラッグによる裁判があったり、その他にも色々なごたごたがあってストーンズは完全な
分裂状態だった。
マスコミもストーンズはもう過去のバンドと言うようになった。
だから68年のJJFはナンバーワンヒットにならなければならなかった。
(実際にナンバーワンになったけど)。 1969年のブライアン=バカリズム
1965年のジョン=バナナマン日村 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています