X



1981 ジョン・レノン日本公演 at武道館
0001ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/15(土) 12:53:32ID:???0
Title : John Lennon And Yoko Ono With Plastic Ono Band
World Tour In Japan (August 1981 at Nippon Budokan Arena)

Track list
#01 : Help
#02 : Walking On Thin Ice
#03 : Everyman Has A Woman Who Loves Him
#04 : Give Me Something
#05 : I'm Moving On
#06 : Why
#07 : Open Your Box
#08 : Hard Times Are Over
#09 : Don't Worry Kyoko
#10 : Imagine
Encore
#11 : (Just Like) Starting Over
#12 : Give Peace A Chance

Plastic Ono Band:
Yoko Ono (Vocal) John Lennon (Guitar, Piano, and Vocal)
Undecided (Bass) Undecided (Drums)
0002ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/15(土) 13:01:34ID:???0
「ドラムスとベースをバックに、僕がギターを弾いてヨーコが歌う。
ツアーはそんな感じになるだろう。ちょっと古いけれど「ホワイ」や
「オープン・ユア・ボックス」なんて曲をやったら反応は凄いだろうね」

ジョン・レノン 1980 NY
0003ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/15(土) 13:10:38ID:???0
Plastic Ono Band:
Yoko Ono (Vocal) John Lennon (Guitar, Piano, and Vocal)
Tony Levin (Bass) Andy Newmark (Drums) Earl Slick(Guiter)George Small(keyboards)

もしツアーで来てたらこのメンバーに近かったかと
0004ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/15(土) 13:27:19ID:???0
>>3
ごめんね。折角の貴重な主観的意見だけれどw
3ピースのバンドで演奏することは既に決まっていたんだ。
0006ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/15(土) 14:49:50ID:???0
>>2
>「オープン・ユア・ボックス」なんて曲をやったら反応は凄いだろうね」

今でも、すごいことに成ると思うよ
ジョンがいたらどえらいギターをかましてくれるとおもう。
0007ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 01:02:55ID:???0

今日遠出のドライブをしてポールマッカートニーの数ある作品を聴いた。
ラムはポールにしては辛辣な曲が並び、ビートルズ作品でお馴染みの転調を
駆使した作品もあった。
しかし、ワイルド、レットローズになるとそれらの転調は茶番と化し、
バンドオンザランでようやくそれを使いこなすことが出来たようだ。
考えてみればそれらの転調はジョンレノンが
自然と作り上げていたものであり、
ポールはそれを甚く気に入り、自らの曲にも取り入れた。
解散後の自作曲がいたって単調で刺激に乏しいこともあり、
断片曲もうまく利用できる利点と思ったのだろう。
彼は多く凝ったアレンジをアルバムに残した。
しかしそれらの曲達ははポップソングの断片の数珠繋ぎであり、
彼個人では平凡なアーティストであることを露呈していた。
彼は自分を天才らしく見せられるビートルズという刺激を
解散する最後まで欲していた。
0008ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 01:03:59ID:???0

確かに悲劇的な死がジョンの価値を高めた部分もあるだろう
でも、21世紀になってYouTubeやBGM, CM, 映画のテーマなど
社会生活の中で出会う曲を思い起こせば、ジョンの作品の印象度
の方が圧倒的に高い

ソロ期は言うに及ばず、ビーの頃のポール作品ですら、耳さわりは
悪くないのに、なぜかまったく印象に残らない

演奏家としてのポールは抜きん出たものがあるが、音楽家、作曲家
としてのポールはジョンはおろかバカラックにも追いつけない

でも、それでも構わないと思う ビートルズは幸せだった、稀有の作曲家
とここ一番の演奏家が合体した最高のバンドだったからだ
0009ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 01:05:10ID:???0

1967年全世界を網羅する史上初の衛星生中継番組「アワ・ワールド」に番組出演が決まると、
どの国の視聴者にも理解できるシンプルな内容の曲づくりを依頼され、
ジョンとポールは別々に着手した。自然な流れでジョンの曲に落ち着いたという。
普遍的な「愛」を訴える曲のメッセージは、当時の若者が抱いていた理想を見事に写しとったと評価されている。
「あの曲のいいところは、誤解する余地がないところだ。
愛がすべてという、明快なメッセージを持った曲だから」と当時のマネジャー、ブライアン・エプスタインは語っている。

ちなみに“落選”したポールの曲は「ユア・マザー・シュッド・ノウ」だった。
http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/070625.html
        ↑
>>1
>(なお、マッカートニーは自作の『ハローグッドバイ』の採用を強く推したが、
>スタッフ関係者全員から却下されたという経緯がある)

「ユア・マザー・シュッド・ノウ」でジョンに競り負けたくせに、
悔しいポールは涙目で執拗に『ハローグッドバイ』の採用を強く推していたんだねw

ジョンはサージェントの製作過程について
「ポールは自分の曲が揃ったら『レコーディング始めるぞ』と
せっかちに言ってスタジオにメンバー集めたが、
僕はヨーコといろんな活動をしていたので1曲も用意していなかった。
それでもアデイインザライフやルーシーなどを急いで書いたよ。」 と言っていたが、

「アワ・ワールド」の曲づくりを依頼され、 2人が別々に同じ条件で作曲を競った
「愛こそはすべて」と「ユア・マザー・シュッド・ノウ」の出来を見れば2人の実力差は歴然。

0010ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 01:09:27ID:???0

Queenは全員がジョンヲタ。 ジョンの射殺事件後のコメントでは、

フレディ: 僕らは偉大な財産を失った。この財産は今後数世紀以上にわたって
       穴埋めされることは無いだろう

ブライアン: 弾きたかった。僕ならAcrossThe Universeを世界一の名曲にしてやれた。


「ジョンとのレコーディングはとても刺激的だったよ。
フェイムもアッという間に仕上がった。ジョンはスタジオのギターが
手に馴染まなくて自宅へ取りに帰っちゃったのには驚いたな(笑)
歌詞の表現法は、ジョンは「強く分かりやすく」で
ボクは「あいまい」なので解釈が違ったりしたけど、
やはりジョンレノンという人は凄い人だと思ったよ。
あれほどオリジナリティーを持ってる人は他に居ないね。
ポールマッカートニー? 全く興味ないね、ヒット狙いならボクでも難しい事じゃないからね」

         ・・・・デヴィッド・ボウイ


「ウイングスは、キッズ向けの幼稚な音楽だ」

      ____ジョージ・ハリスン

0011ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 01:11:56ID:???0

あらゆる状況からジョンレノンがビートルズのリーダーであったのは明白だよ
ドラッグと創作枯渇で落ちこぼれても「ホワイト」のレコーディングに洋子を介入させたり
ループコンサートの最終決定者になったり、ジョンとヨーコのバラードという
プライベートソングをビートルズ名義でリリースしたり、アビーロード事故って
プチリタイアから洋子のベットを帯同させて復帰したり、あげくの果てトロントコンサート
で成功したと妄想にかられて「ビートルズと離婚する」といってグループに
the endさせたり彼の動向言動でビートルズが動いていたんだよ。
やってることはめちゃくちゃおよそプロフェッショナルにかけているかもしれないが
ビートルズをつくりとどめをさしたのはジョンだよ。それに比べてポールはマスコミを利用して脱退宣言したりリーダーになれなかった
腹いせでメンバー間に決定的な深い憎悪と二度と再結成をできなくした原因をつくった真犯人だよ。
リーダーでないものがビートルズ解散を宣言するから空中分解したんだ。
そんなやつに肩入れしてA面の数だけでリーダーを決めるな


マックススウェルに関しては、ジョンのコメントも参考にすれば良い。

「マックススウェルやオブラディのような幼稚な曲は
本当に勘弁してほしいよ。マックススウェルがレノン&マッカートニーのクレジットで
発表されるなんて恥ずかしいね。あんな曲をポールは本気で気に入っているんだから
信じられない。おまけに録音に何10テイクも付き合わされて、気が狂いそうで
うんざりしたよ。」____ジョンのインタビューより

ジョンがビートルズから逃げ出したのは、マックススウェルも1つの原因であろう。

0012ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 01:28:53ID:???0


ローリングストーン誌の偉大なアルバム500
http://www.rollingstone.com/news/story/_/id/5938174?rnd=1130966465232&has-player=true&version=6.0.12.1212

1. Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band, The Beatles
3. Revolver, The Beatles
5. Rubber Soul, The Beatles
10. The Beatles ("The White Album"), The Beatles
14. Abbey Road, The Beatles
22. Plastic Ono Band, John Lennon <---ジョンの魂
39. Please Please Me, The Beatles
59. Meet the Beatles, The Beatles
76. Imagine, John Lennon <---ジョン
86. Let It Be, The Beatles







418. Band on the Run, Wings <---ポール


ポールがソロになってから精彩を欠いてるのは、音楽ファンの共通認識だし、ヲタの視点を外せば
間違った指摘でも、根拠のない中傷でもないよ。
しかも、ポールはジョンよりキャリアが20年以上あるし、出したアルバムも多いことを考えれば、
ビートルズ期に比べ、落ち方が異常と結論が出る。

0013ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 02:03:49ID:???0


「A Day In The Life」が最優秀ブリティッシュ・ソングに

音楽誌『Q Magazine』が行なった最優秀ブリティッシュ・ソングを
決める投票で、ビートルズの「A Day In The Life」が1位に選ばれた。
名作『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』収録のこの曲を、
同誌は「ブリティッシュであることは何かを示した究極の楽曲」と評している。
続く2位にはザ・キンクスの「Waterloo Sunset」が登場。
3位にはオアシスの「Wonderwall」が選ばれた。
同曲は今年5月に行なわれたヴァージン・ラジオのリスナー投票で
最優秀ブリティッシュ・ソングに選ばれている。
『Q Magazine』が発表した今回のリストは一般からではなく
音楽業界で働く人々が選んだ。

http://www.barks.jp/news/?id=1000011762&m=oversea


これは、【後期ビートルズもジョンのおかげで持った】ことの一つの証明である。
0014ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 02:05:36ID:???0



ローリングストーン誌が選ぶ偉大な曲500

http://www.rollingstone.com/news/story/_/id/6596661/sort/rank/pagenum/1?pageid=rs.RS500&pageregion=blob

3位    Imagine

338位  Maybe I'm Amazed (ビートルズ時代にジョンの影響下の元で書かれた曲)




作曲家としても
ジョン>>>>>>>>>>>>>>ポールと後世では評価されるはず。
もっともビートルズの偉大さは、ジョンの存在にその大部分が比重を置いているから
ポールは評価が下がったのではなくて、もともとそれぐらいの重要さと思われていたのかも。
ポールの曲だから評価されていたのではなく、ビートルズだからという意味で。
0015ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 02:06:44ID:???0



シネクラブで紹介された「イギリスで集計されたランキング」

【ソロ曲】
1 イマジン
2 ウーマン
3 マイ・スウィート・ロード
4 ジェラス・ガイ
5 メイビー・アイム・アメイズド
6 ノー・モア・ロンリー・ナイツ
7 労働階級の英雄
8 #9ドリーム
9 バンド・オン・ザ・ラン
10 インスタント・カーマ!

【ソロアルバム】
1 イマジン
2 オール・シングス・マスト・パス
3 ジョンの魂
0016ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 02:08:23ID:???0


【 TIME誌が<歴代のベストアルバム100枚>を発表 】

http://www.time.com/time/2006/100albums/index.html


1970s
Coat of Many Colors Dolly Parton RCA, 1971
Hunky Dory David Bowie RCA, 1971
Led Zeppelin IV (a.k.a. Zoso) Led Zeppelin Wea International, 1971
Paranoid Black Sabbath Warner Brothers, 1971
Sticky Fingers The Rolling Stones Virgin, 1971
Tapestry Carole King Ode/A&M, 1971
What's Going On Marvin Gaye Motown, 1971
Who's Next The Who Mobile Fidelity, 1971
After the Gold Rush Neil Young Reprise, 1970
Bridge Over Troubled Water Simon and Garfunkel Columbia, 1970
●John Lennon Plastic Ono Band Apple/EMI, 1970                          ←
Moondance Van Morrison Warner Brothers/Wea, 1970
0017ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 02:12:07ID:pXj0f3bd0
凄いショーになるよ。
ストーンズもウイングスも太刀打ち出来ないだろうね。
日本を最初に回って、日本からアメリカに入ってくるって感じが神秘的
なんだ。ポールが捕まったようなへまを僕はしないよ。

ジョン・レノン 1980 NY
0018ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 02:14:23ID:???0



こんな曲目でストーンズ以上になるかよwwww
ジョン・レノンは知恵遅れか。



0019ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 02:20:04ID:???0
「だけど、それは仕方なかったんだ。僕とポールの立場を入れ替えさせたのは、
リヴォルヴァーからだったんだ。ペパーの前のアルバムだよ。最初に僕がTomorrow Nver Knows
を書いたんだ。1コードでね。ポールは大袈裟なほどに驚いて「何て過激なんだ!!凄いよ
ジョン!!ってね。それで自分が書いたのはこの程度さ、と聴かせてくれたのがHere There And
Everywhere。落ち込んだよ(笑)。

それで負けじとAnd Your Bird Can Singを書くと、またしてもファンキーだと大絶賛しておだてる。
追いつければいいんだけどと聴かせてくれたのがGot To Get You Into My Lifeだよ。その後は、
She Said She SaidとI'm Only Sleepingと Doctor Robertさ。ポールと来たら絶好調だったよ。
僕には最高の褒め言葉を並べつつFor No One とGood Day Sunshineを書いたんだ。

そしてリンゴのためにYellow Submarineを書くや、Eleanor Rigbyまで書き上げたんだ。悔しく
ってね。ファーザー・マッケンジーをマッカートニーにしようっていう冴えないジョークしか
言えなかった。ポールはシリアスに“父さんが怒るよ”って言うんだ。」

月刊Solanum lycopersicum誌 
1980年5月のジョン・レノン・インタビューより
0020ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 02:21:22ID:???0
「だったらさ、Eight Days A WeekやIn My Lifeみたいに、君が作った曲でも
僕が歌ったっていいよ。そう言ったんだ。相手にされなかったね。それどこ
ろか、あいつときたら僕らに演奏すらさせないで、ストリングスだけをバックに
ヴォーカルもダブル・トラックで全部を独りでレコーディングしたんだ。それで
グラミーまで獲った。

そんな状態でツアーをやって、フィリピンでは危険な目にあった。例のキリ
スト教発言で叩かれ、ツアーも止めてしまったんだ。それから映画を撮影してね
ペパーを作る時には既にボロボロだよ。途中でStrawberry FieldsやAll You Need
Is Loveを書いたけれど後が続かなかった」

月刊Solanum lycopersicum誌 
1980年5月のジョン・レノン・インタビューより
0021ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 02:22:44ID:???0
今じゃ「イマジン」や「ラヴ」はビートルズの曲、つまりレノン・マッカー
トニーの曲だって思われているんだよ。たまにラジオで流れるけれどね。
そして、「真夜中を突っ走れ」はエルトン・ジョンのカタログって認識だよ。
「コールド・ターキー」や「インスタント・カーマ」なんて、レコードがあった
ことすら忘れられている。

そろそろ活動を始めないと、誰もが僕のことを忘れてしまうだろう。不思議な
ものだ。最初はそれを求めていた筈なのに、誰も振り向いてくれないとなるとたまらなく
寂しい。ポールとウイングスは、ストーンズの連中は、最早僕をライヴァルだとも思って
いないんだろうか。

僕は・・・、僕はきっとポールやストーンズを振り向かせるために、「あの曲は、僕が書いたんだ」
とか「この曲は僕の曲の盗作だ」なんてことを喚き続けているに違いない。きっと狂ってるんだ。
嗚呼、どうしたらいい?僕は全裸になって、ヨーコに抱きつくしかないのか?

月刊Solanum lycopersicum誌 
1980年5月のジョン・レノン・インタビューより
0022ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 09:49:38ID:???0
僕がハウス・ハズバンドに専念した理由だけれど、
ショーンが生まれたからではないんだよ。そんなのは口実さ。
とてもじゃないけれど、ウイングスにはかなわないと思ったんだ。
だから一種の逃避だったんだよ。子育てにライヴァルなんていないしね。

ビートルズ解散後もウイングスが大成功している。まるでビートルズ
がウイングスの前身であったかのような話さ。そうなると僕のロックンロール
への貢献まで消えてしまいそうに感じたんだ。曲作りについては、あることないこと
デマカセも含めて話したよ。未だにレノン・マッカートニーの曲の本当の作者は誰か
なんて訊かれるんだからさ。どっちだっていいじゃないか(笑)。ついサーヴィス
過剰になって嘘を言っちゃうね。意外なものが多いほど、人は喜ぶんだ。


月刊Solanum lycopersicum誌 
1980年5月のジョン・レノン・インタビューより
0023ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 09:50:59ID:???0
ザ・レッド(赤盤)もザ・ブルー(青盤)も売れたね。『ロックンロール・ミュージック』
やハリウッド・ボウルのライヴだってね。「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・
マイ・ライフ」がシングル・カットされてトップ10に入ったんだ。信じられるかい。

だけど、あのヒット曲をステージで演奏するのはウイングスなんだ。皆はそれがまるで
ウイングスの新曲であるかのように受け止めているんだ。確かに好い気分じゃないさ。
矛盾しているね。ウイングスが売れているからこそ、ビートルズの編集盤が売れている
っていうのに。



月刊Solanum lycopersicum誌 
1980年5月のジョン・レノン・インタビューより
0024ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 15:48:09ID:pXj0f3bd0
Title : John Lennon And Yoko Ono With Plastic Ono Band
World Tour In Japan (August 1981 at Nippon Budokan Arena)

Track list
#01 : Help
#02 : Walking On Thin Ice
#03 : Everyman Has A Woman Who Loves Him
#04 : Give Me Something
#05 : I'm Moving On
#06 : Why
#07 : Open Your Box
#08 : Hard Times Are Over
#09 : Don't Worry Kyoko
#10 : Imagine
Encore
#11 : (Just Like) Starting Over
#12 : Give Peace A Chance

Plastic Ono Band:
Yoko Ono (Vocal) John Lennon (Guitar, Piano, and Vocal)
Undecided (Bass) Undecided (Drums)

「ドラムスとベースをバックに、僕がギターを弾いてヨーコが歌う。
ツアーはそんな感じになるだろう。ちょっと古いけれど「ホワイ」や
「オープン・ユア・ボックス」なんて曲をやったら反応は凄いだろうね」 ジョン・レノン 1980 NY
0026ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 16:01:43ID:???0
1曲1曲が長くなる予定だったんだよ。ヨーコが叫びまくるので。
トロントの「ジョン・ジョン」みたいな感じらしい。

あとMCもヨーコは日本語OKなので、ペラペラしゃべってくれる。
だからきっと満足してもらえたと思っているらしい。

ジョンはこのライヴがストーンズやウイングスをはるかに凌ぐと
自信満々で思っていたらしい。
0027ホワイトアルバムさん
垢版 |
2011/01/16(日) 16:06:47ID:pXj0f3bd0
Title : John Lennon And Yoko Ono With Plastic Ono Band
World Tour In Japan (August 1981 at Nippon Budokan Arena)

Track list
#01 : Help  #02 : Walking On Thin Ice
#03 : Everyman Has A Woman Who Loves Him
#04 : Give Me Something #05 : I'm Moving On #06 : Why
#07 : Open Your Box #08 : Hard Times Are Over
#09 : Don't Worry Kyoko #10 : Imagine
Encore
#11 : (Just Like) Starting Over #12 : Give Peace A Chance

Plastic Ono Band:
Yoko Ono (Vocal) John Lennon (Guitar, Piano, and Vocal)
Undecided (Bass) Undecided (Drums)

「ドラムスとベースをバックに、僕がギターを弾いてヨーコが歌う。
ツアーはそんな感じになるだろう。ちょっと古いけれど「ホワイ」や
「オープン・ユア・ボックス」なんて曲をやったら反応は凄いだろうね」 ジョン・レノン 1980 NY
レスを投稿する


ニューススポーツなんでも実況