日刊ゲンダイ 権藤博「奔放主義」

近鉄時代は2人して当時の仰木彬監督とやり合った。目の前の勝利に集中する仰木さんと、先を見据えて投手をやりくりしたい私。「仰木マジック」と言われた独特の勝負勘は、投手に無理を強いることが多く、選手からも用兵に異を唱える声があったが、その筆頭格が吉井だった。

中でも1989年、近鉄が優勝を決めた試合が印象深い。当然、最後の場面はストッパーだった吉井に任せるべきところを、仰木さんは先発エースの阿波野秀幸を指名。私と吉井は、歓喜の胴上げに加わらなかった。仰木さんの体が宙を舞っているとき、すでにロッカールームで帰り支度を始めていた吉井に、「すまん!」と頭を下げた私は「ほかの選手も待っているんだ。ユニホームを着ろ」と説得。なんとかビールかけには参加したのもいい思い出だ。
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