私たちが生き残れるかどうかは極東にかかっており、極東から何を生み出すかである。
そして、政府首脳の叡智と忠誠心がその生殺与奪権を握っている。
マーシャル将軍の信頼性を問うために彼の記録を検証しているのはそうした大きな意味をもつ。

もちろん、中国政策の張本人は他にもいた。
ラッセル委員会の宣誓証言によると、中国に対する指令を起案したマーシャルが
アチソンやジョン・カーター・ビンセントの手を借りていたのは明白である。

第三の男ジョン・カーター・ビンセントについて知っていることはあるか?たくさなる。
米国に大損害を与え、ソ連に恩恵を与えた計画の首謀者と発覚した人びとのひとりとして、つねに彼の名前が取り沙汰されていた。
ビンセントこそ、オーウェン・ラティモアとともに、中国を視察したウォーレスを案内した人物だった。
この視察後ウォーレスは国務省に報告書を提出して、蒋介石の失脚を提言した。

彼は自著『ソ連アジア視察(Soviet Asia Mission)』でこう述べている。
彼とラティモア、ジョン・カーター・ビンセントが中国を視察中、ソ連高官セルゲイ・ゴッドリーズ――視察中の当地シベリア地区執行委員会議長で
スターリンの親しい友人――が、中国の将来の鍵を握る人物としてオーウェン・ラティモアとジョン・カーター・ビンセントを夕食に招いた。
その中国政策の庇護と意図の証拠となる予兆が他にもある。

マーシャルが中国に出発する二週間前の12月2日、米国共産党議長ウィリアム・Z・フォスターは従来の共産主義世界戦略の問題点を議論するために、
全米ソビエト共産党中央委員会政治局会議をニューヨークで開くと宣言した。

彼は新時代にふさわしい枠組みについて、こうい言った。
「中国の内戦は国際戦略に絡むあらゆる問題の鍵である」。言い換えれば、ヨーロッパの問題は中国問題しだいだった。

クレムリンがつぎにどういう世界侵略計画に出るのかは中国での勝利にかかっていた。
そうしたことが彼の言葉の端々からあきらかになった。

さらにその二週間前の11月14日、ディーン・アチソンは、ロシアが中国を領有するのが妥当だという結論を彼とマーシャルが下した経緯を説明した。