「そもそも、なんで与田なんだ?」

中日の与田剛新監督(52)について複数の中日OBから、「確かにOBだけど、普段は東京を拠点にして、二十数年も名古屋から離れている。OBなら名古屋を拠点としているヤツが他にもいる」との声が出ている。

なぜ与田監督だったのか。さる地元関係者が声を潜めてこう言った。

「白井オーナーの頭の中には、以前から与田剛の名前があった。谷繁兼任監督が途中休養した2016年オフ、後任監督を選定する際にも、与田さんの名前がリストに入っています。
当時のGMだった落合博満さんから、与田さんを評価する声が出たというのです。

落合さんはGM退任後も白井オーナーの知恵袋といわれていますから、今回の人選には落合さんの意向が含まれていると考えるのが自然です」

与田監督と落合氏は接点がある。与田監督が中日に入団した1990年、落合氏は中日でプレーしていた。
その関係は落合氏が巨人へ移籍する93年まで4年間続き、98年に日本ハムで再びチームメートになる。某中日OBの話。

「与田監督は新人の頃、一塁の落合さんから『おい、ツヨシ』と、よくアドバイスをされていた。
与田監督はその後、肩を壊して思うような投球ができなくなったが、不屈の闘志で孤独なリハビリを続けた。

落合さんもプロ入りまでは大学を中退したり、日陰を歩いていただけに、与田監督に共感する部分があるのです。
そもそも先発と比べてリリーフは日が当たらないポジション。その後も与田監督のことを気にかけていたといいます」

白井オーナーは与田監督を評価する点について、「しぶといところ」とした上で、こう言っていた。

「失ったスピードを戻すため、命がけの練習をし、今日がある。取り組み方、常人のやり方を超えるすごさを持っていた。その気持ちは衰えていない」

前出のOBが言う。

「落合さんは名古屋色が強いOBを好まない。与田監督はうってつけの人材といえる。