楽天・星野仙一球団副会長が、4日午前5時25分に膵臓(すいぞう)がんで死去していたことが6日、球団から発表された。70歳だった。
星野氏が最も熱く、激しかったのは中日での第1期(1987〜91年)だろう。チームを変革し、若手を登用した。
その「4兄弟」と言えるのが山本昌氏(52)、中村武志氏(50)、立浪和義氏(48)、今中慎二氏(46)だ。

「星野さんでなければ今日の私はない」。4人の中では最年長の山本氏が肩を落とした。
86年の秋季キャンプではブルペンで「おい、いつになったら本気で投げるんや」と言われた。
88年のベロビーチキャンプで「置き去りにされ」、ルーキーリーグに野球留学した時には嘆いたが、これが200勝投手への転機となった。

次男の中村氏は「誰よりも怒られたのがオレの勲章」と言い切る。最後に会ったのは11月末。
腰が痛そうな星野氏に「つえをもってきましょうか?」と冗談で言ったら「死んでもおまえの世話にはならんわ!」と頬をたたかれた。

三男は優等生の立浪氏。ドラフトでくじを引き当ててくれたのは星野氏だ。
「私が指導者としてユニホームを着ることをとても楽しみにしておられたので、とても残念」とうつむいた。

末っ子の今中氏は星野氏を骨折させたことがある。3年目のヤクルト戦で救援に失敗した時、星野氏はコンクリート製の火鉢を何度も蹴って骨折。
「でもね。ずっと勝てなくて6月に完投で1勝目を挙げた時に泣いていたと聞きました」

4人が共通して言ったのが「怒られたけど、使ってくれた」。だから今がある。第1期の教え子こそが、闘将の遺志を受け継ぐ資格がある。

https://www.daily.co.jp/baseball/2018/01/07/0010876132.shtml