ローテの柱としてV奪回の立役者となった東浜巨投手(27)が本紙に独占手記を寄せた。
3球団競合の末に鳴り物入りで入団しながら苦闘した日々。工藤監督と出会い、転機となった3年目のオフ。花開いた今季の足跡を振り返り、支えてくれた家族への思いもつづった。
マジック1で登板する機会なんてプロ人生でも1回あるかないか。いつもと違った独特の雰囲気の中で目いっぱい飛ばしていった。何だかホッとした気持ち。
2年前の胴上げは、輪の外でただ手を挙げているだけで全然喜べていなかった。今年は先発ローテで投げ続けて優勝できた。1年間やることの大変さを今になって感じているし、それが報われた瞬間だなあ。
胴上げの輪の中で今までの苦しい日々がよみがえってきた。プロに入る時、自信は全くなかった。特に1年目はしんどかった。
結果が出ず、先が見えない。足の裏まで全身に発疹が出て治らなかった。
病院で診てもらったら汗や疲労、ストレスが原因と言われた。ストレスだったのかな。
今思えば、やらなきゃいけないと重圧をかけ過ぎていた。大卒でドラ1、それも競合。他球団の同期は1年目から活躍した。誰とも絡みたくないと思って、寮では長風呂。
一人で部屋にいるとふと、無性に悔しくなって泣いていたこともあった。冷静になった自分が「何、泣いとんや」って。
3年目は1勝。大卒で3年間結果が出ず、来年はクビだと覚悟もした。今までやってきたことを根本的に変えなければ絶対自分は変われない。そう思っていたオフに転機が訪れた。
(日本一直後の)秋季キャンプで工藤監督にみっちり鍛えられた。単身で米国にも渡った。そのときウエートトレーニングで体の変化を感じた。
(負荷を担ぎ下半身を鍛える)スクワットで最初は100キロでもハーハー言っていたのが、1カ月で160キロぐらいまで上げられるようになった。筋肉量はそんなに変わっていない。力の伝え方を覚えたからだった。
それが昨年の9勝にもつながった。鍛えながらのシーズンは本当にきつかった。監督は「トレーニングが第一で、その間に試合があると思って投げろ」と。